こたぬき、初めての家出

浅野エミイ

こたぬき、初めての家出

 今日、ぼくは家出をする――。

 友達の家で遊び、午後4時30分。そろそろ塾の時間だけども、ぼくはさらさら行く気はなかった。母さんには友達の家からそのまま塾へ行くと言っている。母さんも「気をつけてね」と言っただけで、またすぐスマホに目をやっていた。ぼくなんて……。

 母さんにとって、ぼくの存在ってなんなんだろう? ご飯を作ってくれたり、洗濯をしてくれたりはするけども、ぼくといるときはいつもスマホばかり見ている。どこかへ旅行したときも、スマホで写真ばっかり撮っている。もちろんぼくの写真もあるんだけど、それをどこかのサイトにUPしているみたい。ぼくは、そんな母さんに反抗したくなった。

 いつも言われた通りに塾へ行き、写真の被写体になるぼく。いい子でい続けるのはもうまっぴらだ。今日、ぼくは家出する。友達の家から塾へは行かない。そのままどこかへ消えてやる! 友達と別れた後、ぼくはまず小学校へ向かった。

 小学校では放課後、校庭で遊んでいる子たちがそろそろ帰ろうかと相談していた。空はオレンジから紫へグラデーションがかかっている。そのうち、校庭にいた子どもたちはいなくなっていて、ぼくひとりっきりになっていた。紫だった空には、キラキラと光るシリウスが見える。母さんに持たされた子ども用のスマホをちらり。もちろん、電源は切っている。

今頃母さんどうしているかな。本当は塾で勉強している時間だ。塾から母さんには連絡、行っただろうか? ぼくが来ていないって。母さん、怒っているかな。ぼくが塾をサボったから。

 そのとき、ぐうぅとお腹の音が鳴った。ああ、お腹へったなぁ。外は寒いし、凍えそうだ。空っ風がピューピュー吹いている。

少し、家の近くまで戻ってみようか。ちょっとぼくも帰りたくなってきてしまったし。だからって、家出は続行中。ほんの少し、遠くから家を見るだけ……。

 家の近くまで行くと、母さんと、さっきまで遊んでいた友達が集まっていた。お巡りさんの姿もある。もしかして、ぼくを探してる? これは大事になっているみたいだ。だからって、ぼくは家になんか戻らない。いつもスマホばっかり見ている母さんへの仕返しなんだから。

「……ぼく? こんな時間に何をしてるの?」

げっ、近所のおばちゃんだ! おばちゃんはぼくの家の方向を見て、察したみたいだ。

「あの……」

「おばちゃんとおうちまで行こうか。もう夜遅いんだから、おうちに帰らないと」

「ぼくは帰りたくない」

「なんで?」

「帰ったって、母さんはぼくなんか見てないから」

「だったらおばちゃんがそう言ってあげるから。ね、帰ろう?」

 おばちゃんはぼくの手をがしっと取ると、家のほうへと歩いていく。ぼくも引きずられるように家へ。

「優!」

 母さんが、ぼくに気づいた。いつもはぼくのことなんてどうでもいい母さんが。

「どこにいたの! 誘拐されたかと思って心配だったのよ!」

「……心配? したの?」

「そりゃあするわよ!」

 母さんは一緒にいたおばちゃんに気づき、挨拶をする。

「息子を見つけてくださって、ありがとうございました」

「いいえ。それより、ママがぼくのことを見ていないのが不満だったみたいですよ?」

「私が見ていない? 優、どういうこと?」

「母さんはいつもぼくよりスマホなんだよね。スマホのほうが大事なんでしょ? だから、ぼくなんていなくたって全然平気なんだ!」

「何を言ってるのよ、平気なわけないでしょ」

「お母さん、息子さんはあなたがスマホに熱中しているのが不満だったんじゃないですか。少しは控えたらどうです。お子さんは、親御さんのことを誰よりもよく見ていますからね」

「うっ……」

お巡りさんにもそう言われた母さんは、持っていたスマホを下す。

 そのとき、またぼくの腹の虫が鳴った。ぐうぅ……。

「優、お腹へったの?」

「早く何か食べさせてあげてください。我々は撤収しますから」

「ぼくはお宅の近くにいましたよ。スマホでお子さんを探すより、家の近くをしっかり探すべきだったんじゃないの?」

「は、はい……」

 お巡りさんとおばちゃんの言葉に母さんは反省したように元気なく返事する。そしてぼくの手をぎゅっと強く握る。母さんが涙目になっているのを横目で見る。

 少し許してやろうかな。母さん、いろんな人に怒られたし。本当はぼくが怒られなくちゃいけないのに。

「……ご飯、食べよっか」

「うん」

 母さんは塾をサボったことや家出したことを怒らず、ぼくに手洗いとうがいをさせると、ダイニングにあるテーブルの前に座らせた。

「あなたを探していたから、晩ご飯用意してなかったの。今から簡単に作るから、それまでこれを食べててくれる?」

 出されたのは緑のたぬき。母さんがお湯を入れてくれた。と、思ったら、またスマホ。でも今回はタイマーを設定しただけだったみたいだ。

 寒いところにずっといたから、暖房をつけたばかりなのに部屋の中が暖かく感じる。それに、緑のたぬき。お湯の入った緑のたぬきに触れると、とてもあったかい。

 母さんのスマホが鳴ったら、ぼくはフタを開けた。湯気がもくもくと出る。僕は箸でそばをつかむと、ふーふーと息をかけてずぞぞとすする。おいしい。そのときだった。

「優、ごめんね。お母さん、スマホばっかり見ていたの自分でも気づいてなかった。でも、あなたのことを大事に思っているのは本当よ」

「うん」

 天ぷらにかじりつきながら、ぼくは空返事。今は食べるのに忙しい。

 ぼくの初めての家出は失敗。でも、成功したら、きっと二度と家には帰ってこないってことだから、失敗してよかったのかも。母さんも反省してくれているみたいだし。

 初めての家出は冒険ってほどでもなかったけども、外が寒かった分、家で食べる緑のたぬきのおいしさを知られたからよかったのかもしれない。

ぼくはもうしばらく家出はしないだろう。母さんももっと、小さな画面の中だけじゃなく、大きな視界の風景を堪能すればいいのにね。幸せは、案外身近にあるんだから、見落とすなんてもったいないよ――そんなことをちょっと思った冬の夜だった。


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こたぬき、初めての家出 浅野エミイ @e31_asano

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