大安吉日、一歩前

浅野エミイ

大安吉日、一歩前

 今日、姉ちゃんが実家に帰ってきている。僕とは10も離れた姉ちゃん。年が離れているせいか、とてもかわいがってくれた姉ちゃん。久々に家族みんなで姉ちゃんリクエストの母さんのカレーを食べて、家族団らんで話して。

 でも、嬉しいはずだったのに、僕は先に自室へ戻ってきてしまった。姉ちゃんは、今度の大安に結婚する。もう相手の人とは同棲していて、今日は結婚式前の最後の団らんだったんだけど……僕はなんとなく寂しかった。

 きっと、『お義兄さんになる人』にやきもちを焼いてるんだ。14にもなって、姉ちゃんを取られたってやきもちを焼くなんて自分でも思わなかった。

 だけど、今までずっとそばにいてくれたのは姉ちゃんで。父さんとケンカしたとき、いつも仲裁に入ってくれたのも姉ちゃん。勉強を教えてくれたのも、姉ちゃん。もちろん、たまにぶつかったこともあったけど、姉ちゃんはずっと優しかった。

 ちゃんと「いままでありがとう」って言わなきゃいけないのに……。自室に籠るなんて、子どもっぽいな。そんなことを思っていたとき、トントンと扉をノックする音が聞こえた。

「裕―、入るよ?」

 姉ちゃんだ。なんか気まずいな。そう感じていたんだけど――

「夜食、買いに行かない?」

「夜食? あれだけ食べたのに?」

「夜食は別腹! ほら、コンビニ行くよ」

「……うん」

「お母さーん、ちょっと裕とコンビニ行ってくるー!」

 僕たちは上着を羽織ると、近所のコンビニへと向かった。

 コンビニまでの距離はそんなにない。200ⅿあるかないか。本当にうちの近くにある。姉ちゃんはさっさと緑のたぬきをふたつ手に取る。

「いいよね、これで」

「うん」

 僕、「うん」しか言ってないなぁ。姉ちゃんと話したいことはたくさんあったはずなのに。それと、きちんと言わなきゃ。「今日まで色々ありがとう」って。なのに、言葉がうまく出てこない。なんで……?

 レジでお会計を済ませて家に帰ると、姉ちゃんはふたつの緑のたぬきを開封し始めた。

「僕、そんなにお腹へってない……」

「このくらい付き合ってよ。なんだか話足りないからさ」

 フタを開けると、粉末スープと七味、そして片方の緑のたぬきは天ぷらも取り出した。

「天ぷら、出すの?」

「1個だけね」

 ポットからお湯を注ぐと、箸を二膳フタの上に置き、二階の僕の部屋へ緑のたぬきを持って移動する。

 パタン。ドアが閉まった。

「……」

「……」

姉ちゃんは何も話さない。僕もうまく口火を切れない。だからって緑のたぬきが出来上がるまで、黙ってるわけにはいかないよな。ちゃんと言わないと。姉ちゃんに今までの感謝を伝えないと。

「姉ちゃん」

「ん?」

「あの……結婚おめでとう」

「ははっ、今更何言ってるの? ありがとう」

「それで……僕、姉ちゃんに言いたいことが……」

 ピロロロ。アラームだ。3分なんてあっという間すぎる。せっかく姉ちゃんに今までのお礼を言うところだったのに! 

 少し苛立ちながら、フタをベロリと破る。……うっ、悔しいけどおだしのいい香り。中には天ぷらが入っている。姉ちゃんのほうには、天ぷらが入っていない。

「姉ちゃん、さっきの天ぷらは?」

「ああ、あれ? 今から入れる。ザクザクなのがいい人はこうするんだって」

「ふうん」

僕はいつもそのままお湯を入れて作っていたから、そんな食べ方があるなんて気づかなかったな。

「最初にひとくち食べてみる? 天ぷら」

「いいの?」

「うん。気になってるんでしょ?」

 姉ちゃんは相変わらず僕に甘いなぁ。僕と姉ちゃんはカップを交換する。そして、天ぷらをひとくち。

「ちょっと固い」

「ザクザクだからね。おいしい?」

「香ばしくて、好きかも」

「でしょ。あんたが好きそうかもってね」

「あっ……」

 今だ、姉ちゃんに今までのお礼を言うならば。

「姉ちゃん」

 僕は正座に足を直して、姉ちゃんのほうに体を向ける。

「何よ、かしこまっちゃって」

「今までお世話になりましたっ!」

「……へ? それを言うのは私のほうじゃない? ほら、お父さんに」

「いや、そうだけど、姉ちゃんには色々お世話になったから。ちゃんと感謝の気持ちを伝えたかったんだけど、なんというか、照れくさくって……」

「あははっ!」

 姉ちゃんはおかしそうに笑って、緑のたぬきを食べる。

「裕はいつも真面目だよね。本当にいい子に育ったよ。ほーら、それよりおそば、伸びるよ?」

 うーん、なんかはぐらかされてる感じ? 僕は言われた通り、緑のたぬきのカップを手にして麺をすする。

「あのね、『今までお世話になりました』のあとに、何か忘れてない?」

「何か?」

「『これからもよろしくお願いします』でしょ? 結婚するからって、今生の別れってわけじゃないんだから。結婚しても、家族は家族だよ」

「『家族は家族』……」

「でも、気持ちは受け取っておく。ありがと」

 姉ちゃん、ちょっと顔赤い? もしかして照れてるのかなぁ。こんな照れている姉ちゃん、もしかしたら初めてかもしれない。

 ふたりして黙って緑のたぬきを食べる。

こういう温かい時間は、いつまでも続くんだろうな。今度はお義兄さんや姉ちゃんの子どもとも一緒に。

 姉ちゃんがいなくなる。結婚はそういうことかと思っていたけど、そうじゃない。

 結婚はきっと、家族が増えるということ。

 お義兄さんや未来の姉ちゃんの子どもとも仲良くできたらいいな。そして、未来の姉ちゃんの子どもには、僕が姉ちゃんにしてもらったように、優しくしたいな。

 姉ちゃんの結婚式まで、あと数日。大安一歩前のある晩、僕はまた姉からひとつ教わったのかもしれない。

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大安吉日、一歩前 浅野エミイ @e31_asano

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