私たちにはミライがある
浅野エミイ
私たちにはミライがある
深夜1時50分。
海外との商談をチャットでして、オフィスから自宅のマンションに移動したら、もうこんな夜更けだ。まったく、地球にいる限り時差だけには勝てん。
指紋認証で自宅のドアを開けると、私はAIのMOCAに声を掛けた。
「MOCA、電気をつけてくれ」
「オカエリナサイ、ミツグサン」
私には家族がいない。両親は亡くなってしまったし、結婚もしていないから。でも、今は寂しいと思わない。仕事は順調だし、何しろMOCAがいて身の回りの世話を焼いてくれるからだ。
ジャケットをハンガーにかけると、ソファに座りやっと一息つく。ああ、やっと一日が終わる。海外と取引をしていると、時間の感覚がなくなってくるな。
窓から空を見ると、そこには星。今は『夜』。少なくても日本では。
ふう、とため息が出ると同時に腹が鳴った。あれ? そういや私って、直近でいつ食事をしたっけ。ここのところ忙しかったから、デスクでゼリー飲料やチョコレートばかり食べていたような。まずい、何か食事をしないと。胃がやられる。
「MOCA、冷蔵庫の中身は?」
「ハム、チーズ、オリーブ、ビール、牛乳ガアリマス。牛乳ハ賞味期限ヲ過ギテイマス」
……何もないな。普段テイクアウトや出前で済ましていたツケか。でも私にはまだ奥の手がある!
私はソファから立ち上がると、冷蔵庫の横にある乾物置き場を漁る。スルメイカとか、今はそういうのではない。私が探していたのは――あった。
「MOCA、ポットのお湯を沸かしてくれ」
「ワカリマシタ」
見つけたのは、緑のたぬき。冷蔵庫の中身が空っぽになるのはいつものこと。だから、ネット通販でカップ麺を色々と買い置きしておいたのだ。そうだ。
「MOCA、また通販で緑のたぬきを買っておいてくれ」
「緑ノタヌキ、1ケース注文シマシタ」
これでまた家に緑のたぬきが届くな。あとは今の自分の腹を満たすだけ。お湯はそろそろ沸いただろうか? カップを持ってポットの近くへ移動すると、ちょうどMOCAが教えてくれた。
「オ湯ガ沸キマシタ」
「ありがとう」
「……」
フタを開け、粉末スープを入れる。天ぷらは一度取り出すって人もいるみたいだが、私はそのまま。柔らかいのが好きだ。線のところまでお湯を注ぐと、あとは3分待つだけ。
「MOCA、タイマー3分。あと何かリラックスできる音楽をかけて」
「ワカリマシタ」
海のさざ波の音が、部屋中にあふれる。――さざ波の音はα波が出るとか聞いたことがあるな。ナイスなチョイスだ、MOCA。
箸と粉末スープに付属していた七味をフタの上に置いて、うとうとし始めたそのとき――
「3分経チマシタ」
「おっと、時間か。どれどれ?」
フタを開けると鰹だしのいい香りが漂う。七味を入れ、豪快にそばをすする。何日ぶりのまともな食事だろう? 本当に、だしが身に染みる。そばはどんどん私の口の中に吸い込まれていく。一度食べ始めたら止まらない。天ぷらを箸でおつゆに沈め、さらに柔らかくすると、それも一緒にそばに絡めて食す。
「ああ、うまい」
「……『ウマイ』トハ?」
「『おいしい』って意味だよ」
「『オイシイ』トハ?」
「うーん……」
いつもは調べ事のとき、私がMOCAに質問攻めするのだが、今日は珍しく私が質問攻めにあう。どう説明すればいいんだ?
「そうだな、AIにはないけれど、我々人間には『味蕾』というものがあって……」
「『ミライ』ナラ、ワタシニモアリマス。最先端ノ技術。ワタシタチガ、『ミライ』デス」
MOCAの言葉に思わず笑ってしまった。そうだな、小さい頃から食べていた緑のたぬきは変わらずあるけれど、時代は確実に進化していっている。昔の私が想像できないほど遥かに――。
「未来は、確かにここにあるな」
私は笑うと、緑のたぬきのつゆを最後まで飲み干した。
私たちにはミライがある 浅野エミイ @e31_asano
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます