所持金300円、赤いきつねを買うか、いちごミルクを買うか

浅野エミイ

所持金300円、赤いきつねを買うか、いちごミルクを買うか

 学生あるある。

 財布の中に300円しかない。

 授業が終わり、放課後――俺は部活前に何か口にしたいなと考えていた。好きな飲み物はいちごミルク。今食べたいもの、赤いきつね。両方を買うとしたら、300円じゃギリギリ足りない。

 どうするかなぁ。いちごミルクをあきらめて赤いきつねだけを買うか。それとも、赤いきつねを別のもっと安いパンにして、いちごミルクを買うか。

「うーん……」

「何悩んでるの? 浦安」

「遥」

 遥は同じ吹奏楽部のメンバーで、チューバ奏者だ。俺は下手くそなクラリネットを吹いている。遥に相談しても、バカにされるんだろうな。大したことのない悩みだねって。

 だけど俺は本気で悩んでいる。いちごミルクを取るか、赤いきつねを取るか。

 そんな俺の姿を横目に、遥は自販機のいちごミルクのボタンをピッと押す。

「あっ」

「何?」

「いや……」

 いちごミルクを自販機から取り出すと、ストローを挿して飲み始める。

「買わないの?」

「金が……」

「100円、持ってないの?」

「いや、そしたら赤いきつねが食べられなくなる」

「くだらないことで悩んでたのね」

「くだらなくねぇよ」

 ほれ、見たことか。やっぱり遥は俺のことをバカにした。しかし、遥から出たのは意外な提案だった。

「赤いきつね、買いなよ。私のいちごミルク、半分あげてもいいから」

「え?」

「その代わり、私にも赤いきつね、食べさせてくれる?」

「いいのか?」

「うん」

 ナイスな申し出に、俺は即赤いきつねを買ってきてしまったんだが……お湯を入れてから気がついた。これってもしかして、間接キスになるんじゃないか? ストローはもちろん、箸も一膳しかもらってないから。

 食堂で面と向かって遥とふたり。遥は赤いきつねが出来上がるのを待っている。5分間。これは俺の逡巡の時間だ。これから間接キスするんだ、遥と……。遥のぷっくりした唇が、ストローに触れる度にドキドキしてしまう。だけど俺も男だし、二言はない。

「ん」

「お、おう」

 いちごミルクを差し出され、俺はそれを受け取った。よし、口をつけるぞっ……! そのとき。

「あ、5分経ったみたい。先、私食べていい? いただきまーす」

「おい、ちょっと!」

 遥は髪を耳にかけながら、おつゆをしっかりと吸ったおいしそうなお揚げにかじりつく。いや、ちょっと待て。そのひとくち……。俺は我に返った。

「少し食いすぎじゃないか? お揚げひとくち、でけぇぞ」

「そんなことないよ。その分いちごミルクも飲んでいいから」

「いやいや、お揚げまで半分食べるのか?」

「そりゃあ、半分こだから」

「いちごミルクは100円だけど、赤いきつねは200円ちょっとだろ。割に合わん」

「もう、ケチだなぁ。じゃあ、うどんももうひとくちでやめるから」

 まったく、この調子でたくさん食べられてしまったらかなわない。遥が食べるのをやめると、ようやく俺はいちごミルクと赤いきつねを手に入れる。お揚げの一件があったことで、間接キスという事実が頭から飛んで行った俺は、何事もなくいちごミルクを飲んで、赤いきつねをすべて完食する。

「……ふーっ、うまかった」

「間接キス、だったね」

「!」

「じゃ、私先に部活行くから」

 遥はさっさと席を立つと、俺を残して食堂から去って行った。


 そんなことがあったせいで、10年経った今でも俺は赤いきつねを食べるとき、ドキドキしてしまう。だけどやっぱり赤いきつねは好きだ。初恋を思い出せるから。

「あなた、また赤いきつね? お夕飯食べたのに? 太るわよって言ってるじゃない」

「遥も食べるか? 半分こで。お揚げもたくさん食べていいよ」

「もう、そうやって誤魔化すんだから」

 遥と俺は、高校を卒業したあと、偶然にも同じ大学へ進学。そして今は夫婦をやっている。これも赤いきつねの取り持った縁、なのかもしれないな。

 いまだに妻との間接キスにドキドキしていることは、絶対に内緒だ――。

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