新米メイドとたぬきの坊っちゃん
浅野エミイ
新米メイドとたぬきの坊っちゃん
私は新米メイド。昨日からここのお屋敷に勤め始めた。初日はお屋敷のマナーや慣習を教えてもらったけど、まだイマイチ覚えきれていない。
一晩復習を込めてノートにまとめていたんだけど……机の上で眠って、気づけば朝。どうしよう! 寝坊だ! 急いで着替えてキッチンへ行くと、メイド長が怒っていた。
ともかく、坊ちゃんに朝ご飯を運ばないと。メイド長もとりあえずお説教を後回しにして、私にスコーンとジュースの入ったトレイを渡す。それをカートに乗せると、坊ちゃんの部屋へ速足で向かった。
トントン。2回ノックする。返答はない。まだ坊っちゃん、眠っているのかしら。私と一緒でお寝坊さん? 今日も坊っちゃんは勉強の予定が入っている。起こさないと。
「失礼します」
ドアを開けて室内に入ると、ベッドで寝ている坊っちゃんを起こそうとする。
「坊っちゃん、おはようございます。朝ですよ」
「うん……」
「坊っちゃん!」
「わかったって……」
と、ベッドの中からひょっこりと顔を出したのは。
「坊っちゃん!? じゃない、たぬき!? な、なんでこんなところにっ……」
「……あれ? ああ、新しく入った人か」
どろん。
たぬきはあっという間に人間の姿になる。坊っちゃんだ。
「えぇっ!?」
「おはよ」
「……おはようございます」
目を白黒させていると、坊ちゃんはあくびをしながら私に説明する。
「聞いてなかった? 僕たちの一族はみんなたぬきなんだよ。僕は眠るときだけ変身を解いてるんだ」
「は、はぁ……」
「それより、ご飯は?」
びっくりしたまま、坊ちゃんのベッドにトレイを運ぼうとしたのだが——。
「緑のたぬき」
「え?」
「僕、今朝はカップ麺が食べたい」
「か、カップ麺……ですか?」
「うん、緑のたぬきな気分。だから、緑のたぬきを用意してくれる?」
「でも……」
「お父様に言いつけるぞ。お前、寝坊しただろ。起床時間が5分も遅れてる」
坊ちゃんは時計を横目で見ると、私を叱る。これは言うことを聞かないとまずいわよね。雇い主のいうことは、絶対なんだから。
「わかりました。ご用意します」
……パタン。
カートをガラガラと押しながら、私は廊下で今起こったことを整理する。
坊ちゃんはたぬき。というか、ここのお屋敷の御一家は全員たぬき。そして今日の朝はたぬきが緑のたぬきを所望している……。意味がわからない。わからないけど、私はたぬきに雇われている身。このお屋敷に居られなくなったら、また路頭に迷ってしまう。
キッチンに到着すると、コックにトレイを突き返してひとこと。
「坊っちゃんが緑のたぬきをご所望なので、緑のたぬきを用意してください!」
「ああ、またか。たまにあるんだよなぁ。ちょっと待てよ」
コックは慣れた様子だ。こういうこと、結構あるのか。
私の持っていたトレイからスコーンの皿を受け取ると、代わりにお湯の入ったポットと緑のたぬきを乗せた。
「こういう日もあるから、お湯を用意していてよかった。坊っちゃんは自分で作るのがお好きだ。さ、行った行った」
またカートをガラガラと押して坊っちゃんの部屋へ行くと、坊ちゃんは待ちわびたように私を見た。
「遅い。10分は待った。緑のたぬきは3分でできるのに」
「すみません。お屋敷が広いものですから……ともかく、緑のたぬきをお持ちしました」
「ん」
ベッドから立ち上がると、スリッパを履いてカートに近づく。トレイに置かれた緑のたぬきを持ち上げると、フィルムをバリッと破り、フタを半分開ける。一度天ぷらを取り出して、粉末スープをそばにかけると、カップを揺らしてまんべんなくしてからお湯を注ぐ。ここから3分か。
「あの」
「何」
「作ってお持ちしたほうがよかったのでは……?」
「そしたら伸びちゃうから。緑のたぬきは3分間でできあがったときがちょうどいいんだよ」
それもそうかと納得しながら、坊ちゃんの今日のお召し物を準備し、ハンガーにかける。——坊ちゃん、楽しそうに時計を見てる。坊ちゃんにとってのこの朝の3分間。わくわくする時間なのだろうか。
お召し物の準備をしているうちに3分経ち、坊ちゃんのそばをすする音が聞こえ始める。
「ああ、おつゆがおいしい。この鰹だしとおつゆに染みた天ぷらが何とも言えないんだよね。朝はしっかり食べないと力も出ないし。一応スコーンとか軽食を用意してくれるけど、たまにはしっかり食べたいときもあるんだ。かと言って、ランチやディナーみたいにがっつり食べるのもちょっとね。だから緑のたぬきがちょうどいい。覚えておいてね」
「はい」
たぬきの坊っちゃんの面白い習性。まだメイドになって日は浅いけど、これから色々学習していかないとね。おいしそうにおそばを頬張る坊っちゃんを見て、今日も一日頑張ろうと思った私だった。
新米メイドとたぬきの坊っちゃん 浅野エミイ @e31_asano
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