ReHome
浅野エミイ
ReHome
「おい、ポットはどこだ?」
「キッチンに置いた段ボールの中じゃないですか?」
「見つからん。鍋でいいか。それよりメシだ」
妻と一緒に古いアパートで、緑のたぬきを食べる。引っ越しそば——食べるのは何十年振りだろう。最後に引っ越しそばを食べたのは、家を新築したときだった。
5歳の娘と、妻、そして私の3人家族。白亜の豪邸とまでは行かないが、そこそこ広い庭付き一戸建て。新築の我が家で暮らすと決まり、私はひとつの達成感を満喫していた。
「パパ、お腹すいたー!」
娘に言われて時計を見ると、すでに時刻は午後1時を回っていた。引っ越しの作業に追われていた私は、妻にたずねる。
「ママ、どうする? 近所のレストランでも行くか?」
「でも、片付けが終わらないと……。まだお布団も出てないのよ?」
「そうだな……。あっ、近所にコンビニがあったよな。そこで何か買ってくるよ」
「私も行くー!」
「おう、パパと行こう」
娘と一緒にコンビニへ繰り出し、昼ご飯を調達する。最初は弁当でもいいなと思ったが、ここはやっぱりそばだろう。だが、茹でる鍋などは出ていないし、コンビニでそばも売っていない。となると、選ぶのは……。
「これにしよう。緑のたぬき」
「なーにー? それ」
「天ぷらの入ったおそばだよ」
「なんでおそばなのー?」
「引っ越しそばと言ってね。昔は引っ越してきた人がご近所に『末永くおそばに』という意味でそばを配るのが風習だったんだけど、今は引っ越したときに食べるというのが一般的になっているんだ」
「ふうん」
あの頃の娘は興味なさそうにうなずいて、お菓子のコーナーへ行ってしまったっけな。
緑のたぬき3つと、娘のお菓子を買うと、コンビニを後にする。家に帰ると妻がキッチンの整理をしていた。
「ポットが見つからなくて。あなたのことだから、カップ麺だろうと思ったんだけど」
さすが私の妻。私の考えることはお見通しというわけか。そのときも私はこう言った。
「お湯を沸かすのは鍋でもいいじゃないか。引っ越してきたばかりだし、ポットはあとで出そう。それよりお前も腹がへっただろ? 食事にしよう」
段ボールから鍋を取り出し、よく洗ってから水を張り、湯を沸かす。沸騰したら、3人分の緑のたぬきに注いで、買ったばかりのテーブルの上に乗せた。新築の家だ。家具も新しいものばかり。娘も子ども用のイスに座らせる。バタバタしていたら、あっという間に3分だ。
「さぁ、食べるぞ。いただきます!」
私が手を合わせると、妻と娘も同じように「いただきます」と声を上げる。
そんな幸せな風景を思い出していたら、こちらも緑のたぬきが出来上がった。
「いただきます」
今日は私と妻のふたりきり。娘はいない。今は新築の一戸建てでもない。だが、家をリフォームした暁には、娘夫婦と孫と二世帯住宅だ。新築のあの頃より、きっとにぎやかで楽しい日々が過ごせるだろう。
そう考えると年甲斐もなくわくわくする。
「待ち遠しいですね、リフォームが終わるの」
「そうだな」
妻と一緒に緑のたぬきを口にする。またきっと、リフォームした家で緑のたぬきを食べるだろう。その日を私たち夫婦は、待ちわびている。
ReHome 浅野エミイ @e31_asano
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
同じコレクションの次の小説
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます