第4話 趣味のシミュレーション

「そう、ゲームだ。シミュレーションという意味はわかるかい?」


 小田部長が諭すように尋ねる。


「えっと、『シミュレート』は『模倣する』。シミュレーションは模倣。シミュレーションゲームは、模倣遊戯ということでしょうか」

「ああ、教科書通りのシミュレーションの意味はそうだろう。我々は模倣をしている。いったい、ウォーシミュレーションゲームとは、何を模倣しているのだと思う?」

「え? 戦争でしょ?」


 小田部長は目を伏せ、首を横に振った。


「世間一般ではそう思うかもしれない。しかし、我々にとっては違うのだよ」

「どう違うんです?」

「我々が模倣するのは神羅万象。この世界のありとあらゆるものが、シミュレーションゲームとして表現することが出来るんだ」

「……神羅万象?」


 美香は明らかに怪訝な顔をしている。


「たとえば、ここにあるゲーム。これは『北アフリカ戦線』というゲームだ。プレイヤーは連合軍と枢軸軍に分かれてプレイする。何のことか分かるかね?」

「第二次世界大戦。独伊と英の戦いです。ロンメル将軍が『砂漠のキツネ』と呼ばれた」

「さすが。北高生なら知ってて当たり前だな。ちなみに当時はロンメル上級大将だ」


 当たり前かどうかは分からないが、美香は少なくとも俺レベルで世界史は優秀だろう。確か中学二年生の時に、歴史検定の準一級に挑戦している。


「この戦いで、何故、ドイツは遠く北アフリカの地に軍を送らねばならなかったのか。そして、何故、全ての戦いでロンメルは苦戦しなくてはならなかったのか。そして、何故、英国の補給を叩くことに終始したのか。そして戦略が戦術を凌駕するとはどういうことなのかを、肌で感じることが出来る」

「面白そうです!」

「ああ。一面、面白い。さて、そこで、我々は、このウォーシミュレーションを通じて、何を模倣したのだと思うかね?」

「え……。それは、ドイツ軍やイギリス軍の戦闘や戦略でしょうか?」

「違うのだよ。それは、ただのトレスでしかない」


 トレスとは「なぞる」ということだ。小田部長は美香の目を見据えた。


「我々がシミュレート、つまり模倣したのは、ロンメル将軍の悔しさ、ドイツの焦りだ。文字にできない、体験しないと分からない感情と思考の深さだ」


 美香の目が見開いたように思えた。そして自分の浅はかさを恥じたようだ。


「素晴らしいです。素敵ですね。ゲームが、そんな時間を超えた共感性をもたらすとは……。まるで小説や物語のようです」

「そう、逆に、この世の全ての出来事はシミュレーションゲームに置き換えることが出来る。選択、判断、思考、結果の連続こそが、この世の中の全てだ。それは、ありとあらゆる出来事に言える。例えば育児もシミュレーションゲームにすることが出来る。塾の経営もシミュレーションゲームにできる。恋愛がシミュレーションゲームであることは有名だ。そのうち就職活動もシミュレーションゲームに置き換えることができるだろう。人事も総務も、花火職人や郵便配達やパン屋ですら、シミュレーションゲームに出来る。この世でシミュレーションゲームに出来ないものを探す方が難しいくらいだ。我々は、もっとも体験したいものを選び、それをシミュレートする。異世界に出かけてもよし。鬼狩りをしてもよし。肉食動物と草食動物の争いをしてもよしだ。選択肢は無限だ」


 早口で何を言っているのか分からないが、美香は目を輝かせて頷いている。


「だから、この世界は美しいと感じることが出来る。ゆえにシミュレーションゲームがゲームの中の至高の存在なんだ」


 シミュレーション万能論だ。

 シミュレーションゲーム好きは全て、この見解を信じる信者だと言っても過言ではない。いや、過言かもしれない。過言だな。


 逆に小説や漫画や映画という世界は、読み手がその選択肢が一つしか登場しないシミュレーションと言える。全て作者が選んだ選択肢で話が進んでいく。


「……じゃあ、RPGは?」


 あ。それ禁句。

 美香の何気ない無邪気な質問だった。

 小田部長の顔がみるみる赤くなっていく。怒りだ。


「あ、あれもシミュレーションゲームの一部だ! そもそも『役を演じるゲーム』というのがRPGの本来の意味だ。ところが、日本では剣と魔法があって、レベルを上げれば誰でもエンディングを迎えられる代物となり、悲しいかな作業でしかなくなった。いや、既にその作業すら忌避され、誰かのプレイを見ていることのほうが楽しくなっている。その結果、今では誰からも見向きもされなくなったジャンルだ。嘆かわしいことだがな」


 RPGがシミュレーションゲームの親戚であるのは間違いない。

 しかし、シミュレーションゲーム好きにとって、RPGの話は、鬼門だ。


 フランスの社会学者ロジェ・カイヨワの名著『遊びと人間』によれば、遊びの持つ四要素のうちの一つである『ミミクリ』、つまり「成りきる」や「擬態」という分類に入るのがRPGとシミュレーションゲームである。


 シミュレーションゲームの場合、それは作戦将校だったり、架空の高校の生徒だったり、花火の職人だったりするのだ。剣士だったり、魔法使いだったりするのと、何も変わりがない。

 そして、どんな役であっても万能ではなく、そこには制限があり、そして、選択と決断の連続であることも、ほぼ同じだろう。


 つまり、RPGとシミュレーションは非常に近い家族、双子の兄弟だ。


 だが世の中ではRPGだけが人気になっていった。


 それは「非日常」という一点において、差が生まれたのだ。この二つの違いは大きい。RPGは非日常の中での日常であり、シミュレーションは、日常の中での非日常なのだ。双子の兄弟でも性格が違う。


 しかし、そのRPG人気も、結局は永遠ではなかった。

 いつしか、RPGを取り巻く環境が変わってしまったのだ。気付けば、キャラのレベル上げという虚無感を伴う作業に、人々は疑問を抱いた。


 非日常は愛せても、作業は愛せない。

 こうして華美なだけのRPGから人々は離れていった。


 視野を狭く見れば、これは単にRPGというジャンルの興亡に見えるが、その眩い光の中で、シミュレーションゲームは売り上げを伸ばせず、次第に誰からも忘れ去られた過去がある。ましてやボードゲーム、ウォーシミュレーションとなれば尚更だ。


 多くのゲーム好きが、一時期のRPG一辺倒への傾斜を未だに恨んでいる。

 ちょうど、ボクたちが生まれた頃の話らしい。


「だが、シミュレーションの精神は消えない。むしろ全てのゲームの中に、『可能性』のエッセンスとして残っている」

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