ウォー・シミュレーション部にようこそ!
玄納守
第1話 秘密の園
──不覚。
そう言わざるをえない。
俺はパイプ椅子に縛りあげられたまま、相手の背中を睨み、自分の迂闊さを呪った。
この後どういう状況になるのか。
俺には想像もつかなかったし、この状況では考えもまとまらない。
焦りもあるが、なによりも昨日まで男の匂いしかしていなかったこの狭い部屋に、爽やかな柑橘の香りがしているせいもある。
こいつの髪の匂いだ。
しかし、よりにもよって、こいつに見つかるとは。
そいつが、俺に向かって振り返ったとき、腰まである長い髪が、宙を舞った。
「そうか。わかったわ。ココって
部室をうろつく立花美香は、好奇心に満ちた目で、四方の書架を物色している。
美香と俺は岐阜県の中でこの地域の一番の進学校、北高と呼ばれるこの学校に入学したばかりの一年生だ。そしていま、俺はン十年に及ぶ、伝説の歴史に終止が打たれる瞬間に立ち会っている。
しかも自分の不注意が原因で。
とんでもないことになったと狼狽しつつも、すでにパイプ椅子に縛られた身。観念せざるを得ない状況だ。
──ほんの数分前の出来事だ。
俺はいつものように誰もいないことを軽く確認して、部室につながる秘密の仕掛け戸を開き、鼻歌交じりに部室に入ろうとした瞬間のことだった。
本当に、いつの間に背後にいたのか。それは音のない気配、いや違和感のようなものだった。俺が振り返った、まさにその瞬間だった。
相手は俺の口を押さえ、部室の中に俺を押し込み、ロープでさっと俺を縛り上げたのだ。俺はあまりのことに「な、何奴」と時代劇のような叫びをあげたが、それくらい、どこの忍者だ、特殊部隊かと言わんばかりの所作だったのだ。
気付けば、なすがままに縛られていた。突然のことに驚いていたのではない。その手際の良さに驚いたのだ。
また相手が女子であることが、俺を二度驚かせた。
そしてようやく振り向いたその顔が、俺の知り合いだったことに、三度驚かされたのだ。
「ふぅん。最近、どうも、様子がおかしいと思ったら、まさか、こんなのに入っていたとはねぇ」
美香は、両手を腰に当て、怒っている様子だったが、俺は怒られるようなことをした覚えがない。誰にも迷惑をかけずに、ツツマシイ生活というものをしてきたはずだ。
「北校に入ってから、妙にソワソワしてるんだよね。藤吉は」
藤吉とは、俺の苗字だ。呼び捨てにされている。
見れば美香は少し恨めしそうな顔をしているが、俺には全く非難される理由が見つからない。まあ確かに多くの一年生が中学と高校の勉強量の差に愕然としながら、陰鬱とするこの五月に、割とイキイキと学校に通っているのは確かなことだ。
「別に文芸部に顔を出しているわけでもなさそうだし」
そういえば、ゴールデンウィークの直前に美香に「何部に入るの?」と聞かれたことがある。北校では四月末までに部活に入らねばならないのだ。
実際には「ねばならない」というほどのことはない。ただ地元の「部活」=「体育」という悪しき慣習が若干残っている。
夏の大会までに一年生を教育するには五月までに部活を決めさせるのが良いという、昔からの名残だ。事実、特に定期的な大会を持たない文系の部活は、いつでもウェルカムの様子だった。
その時「文系の部活だよ」とぶっきらぼうに答えたのを思い出した。文芸部とは一言も言ってないが、おそらく美香は何らかの形で調査したのだろう。
確かに俺は、公式には文芸部に在籍している形となっている。
無論、ほとんど活動はしていない。カムフラージュなのだ。
それもこれも、コチラの活動のためである。
この活動の鉄則として、他の部活との掛け持ち入部することを強制されているのだ。ただし、文系の部活に限るとされている。
運動部に入ることが禁止される理由は、親を失望させるからだ。
この地域は、未だに「男子たるもの運動部」という風習が根強く残っている。
田舎マッチョイムズだ。
この田舎マッチョイムズには続きがある。
ベンチを温めるくらいなら、勉学に専念しろというものだ。
これによって、ありとあらゆる活動を取り上げられ、親の監視下に入ることになる。田舎進学校あるあるだ。
そうなると、本来の活動に支障をきたす。
なので、文系部活をカモフラージュにすることが推奨されているのだ。これなら帰りが遅くても心配されない。
「かといって、藤吉に彼女なんか、できそうもないし」
失礼な!
これは自分の意志で作らないようにしているのだ。決してモテないとか、フラれるのが怖いからといった軟弱な理由では、断じて、ない。異性に浮かれるような高校生活をそもそも自分が望んでいない。そもそも女生徒とは接点がない。
「昔みたいに図書館にもいってないし」
確かに。
小学校、中学校と、俺は他人と関わるのが苦手で、自然と休み時間は図書館にいることが多かった。昼休み、放課後と、誰もいない図書館は俺にとっては天国だった。
俺が図書館にいることをよく知っているのは、美香くらいだ。この地域じゃあ、図書館に好き好んで行くような男子は、変人扱いだ。
そもそも美香と知り合ったのは小学校の図書館だった。『昔みたいに』とはそのことを指しているのだろう。
「ゲームに夢中になっている様子もない」
……うむ。
美香は俺がゲーム好きということをどこかで知ったに違いない。が、俺は、頭脳を使わず課金偏重主義に至った現代のゲームを楽しめない性質だ。
「イジメにあってる感じでも、悪い友達と悪い遊びをしている様子もないし」
……うむ。
北高にきて、俺の側にいるのは、全員、悪い友達ではない。友達というのはおこがましい。皆、素敵な先輩たちだ。
いやまて。
なんだってこの女は、そこまで俺を調査しているのかが分からなかった。誰かに頼まれて素行調査でもしているのか?
「それが、まさか、まさかの『闇部活』に入っていたとはねー」
美香は少し感心している様子に見えた。
完全にバレている。
ごくごく一部の生徒の間だけで囁かれる闇部活の存在が、我が北校伝説にはある。我が校の卒業生が、とある業界において、優遇されているのが原因だ。何らかのコネクションがあると噂されている。
人伝、真実を撃つ。
そう。闇部活は存在している。
誰も使わなくなった物理準備室。物理室の黒板の裏側にあるここがその部室だ。
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