太陽の翳と月の裡(たいようのかげとつきのうら)

@richigisyanokodakusan

第1話 出会い

「あのテレビでやってるピタゴラスイッチって知ってる?」

大ちゃんが聞いてきた。

「うん、日本で一番有名なルーブ・ゴールドバーグ・マシンだよね。」

いっちゃんは答えた。

「あれ、すごいね。ゴールしたら♪ピタゴラスイッチ♪って旗が立ってさ。」

でもね、と大ちゃんは続けた。

「あの成功って、その前に何十回、何百回って失敗してるんだって。」

七月の日曜日、その年、初めての蝉の声を聞いた日だったと思う。梅雨が明けるか明けないか、ジメジメした肌触りを覚えている。そのあと僕はなんて答えたんだっけ。





「♪ハッピバースデー、トゥーユー♪ハッピバースデー、トゥーユー♪」

めぐみの運んできた小さなホールケーキには「1」と「0」を形どったロウソクが立てられていた。薄暗くした狭い室内で、台所から火のついたロウソクを挿したケーキを運ぶというリスクを犯してでも、一人息子の誕生日を母子の記憶に鮮明に美しき思い出として残したい。金井かない恵とはそういう母親であった。

「♪ハッピバースデー、ディア、いっちゃん♪ハッピバースデー、トゥーユー♪」

小さな丸テーブルにケーキが置かれた瞬間、バタンッ、と全体が映る角度で撮影用に立てていたスマホが倒れた。

「あー、倒れちゃったぁ。いっちゃん、ちょっと待って。まだ消さないで。」

恵は倒れたスマホを手に取り、そのまま撮影を続けた。ロウソクのロウが白いケーキにカラフルな水玉を彩り始めていた。

「いっちゃん、いいよ。はいっ、ふーして。」

漸く自分のターンが回ってきたよ、と心で呟きながらいつきはロウソクの火を消した。誕生日が嬉しくないわけではないし、同年代の子どもと同じように誕生日の月になるとソワソワ、ウキウキした。その一方で冷静な自分がいることに子どもながらに気づき始めていた。上手く表せないが、この二面性は自分だけの特別なものなのか、それとも皆隠してはいるが持ち合わせたものなのか、これが大人になるということなのか、答えがわからずにいた。

「すっごーい、ちょっと前まで一吹きで火消せなかったのにね。いっちゃん、すっごーい。」

眼の前の大人もそうなのだろうか?それとも見たままの一面性しかないのだろうか?たぶん、自分の中の冷静な自分は、この母の影響なのだろう。同年代の子らのそれよりも早く訪れたのだろう、そう樹は思うようにした。


今ではひとり親家庭など珍しいものでもない。

同じクラスの井上さんも清水くんも片親だと言っていた。この国では離婚後九割は母親が親権を持つという。他に倣い、この三組ともシングルマザーであった。余所の家庭と比べることができない子どもには、自分が経済的に裕福なのか貧しいのか分かり得なかった。ただ、友達と話題のユーチューバーの話で盛り上がることもできたし、流行りのゲームも全てではないが皆の話についていくことはできていた。


誕生日の少し前には満開だった桜並木が、誕生日を過ぎた頃には、花弁は散り、アスファルトには桜蕊の絨毯が敷かれていた。顔も名前も知らない父親は最初、樹ではなく「桜」にしようと言っていたらしい。「男の子だし、そんな昭和映画みたいな名前嫌よ」と猛反対したのだと、以前、珍しく酒に酔って帰ってきた母が話していた。母が父親の話をしたのは後にも先にも二回だけ。小学生になってすぐ

「どうして、うちにはお父さんがいないの?」

と聞いたときと酒に酔って帰ってきたあのとき。

どちらの母も泣いていた。だから父親の話は聞いてはいけないのだと心の奥に封印した。

桜が慌ただしく、その容姿を変化させる春が来る度、樹は母の泣き顔を思い出してしまうようになっていた。


大ちゃんと出会ったのは春の嵐で桜蕊の絨毯が片付けられ、葉桜の緑が濃くなった五月のことだった。

さっきまで青一色が広がっていた空に灰色が混じり始めた土曜日の夕方。樹は二ヶ月分のお小遣いの五百円玉二枚を右手に握りしめ、今日から始まった大人気ゲームのコンビニくじを引くため、歩いて近くのコンビニへ向かっていた。週明けの学校でこのコンビニくじの話題が休み時間の主題テーマになることは必至だった。

コンビニが見えたところで樹は突然足を止めた。

コンビニ前には近くの中学校の、所謂、不良と呼ばれる方々が携帯ゲーム機片手に屯していた。

先週、清水くんが「お小遣いをカツアゲされた」と半べそで語っていた、その方々で間違いなかった。近所の大人たちも厄介事に巻き込まれたくないのか注意する者はいなかった。仮に注意したとしても「仲良く遊んでるだけっすけど、なんか迷惑かけました?」と中学生とは思えない早熟した体躯で迫るものだから結局は何もできず退散するしかなかった。或いは、リーダーの通称「西中の虎」佐々木瑚虎の親がこの辺りの権力者だということも影響しているのかもしれない。樹が他のコンビニに行こうか、諦めて家へ帰ろうか悩んでいるときに

「どうしたの?」と声をかけてきたのが、大ちゃんだった。


「要するにコンビニに入りたいけど、不良が屯していて入れない、カツアゲされてしまったらコンビニに入れたとしても、くじができなくなる、ということだね。」

コンビニ側から直接見えない民家の塀に隠れるかたちで、初対面の彼に説明した。説明はしたものの、樹は不思議そうに眉を顰め、その彼を見ていた。

「あ、そうだったね。俺はだいき。だいちゃんって呼んで。大きい小さいの大ちゃんね。」

「僕はいつきって言います。」

「いつきか、じゃあ、いっちゃんだ。」

「はい、母からも親しい友達からも、いっちゃんって呼ばれています。」

「そんな、堅苦しい敬語みたいなのいいから。」

「でも、、」困り顔で答えたが、そのあとの言葉は出てこなかった。

初対面からの距離の詰め方に戸惑いながらも、なにはともあれ一応の自己紹介は完了したようだった。


大ちゃんは、ちょっと待っててと言うとスマホで何かを調べ、今度は民家の塀の隙間に生えている名前も知らない綿毛の雑草を引き抜いた。

「ニャ~」

塀のすぐ側をおそらく白猫と思われる、野良にしては丸々肥えた猫がこちらに向かって歩いてくる。おそらくというのは、泥かなにかで汚れており全体としては薄い灰色に見えていたからだ。人に慣れているのだろう。樹の足元を通るときも、スニーカーを撫でるように泰然と過ぎていった。

大ちゃんは引き抜いた綿毛の雑草の根っこの方を持ち、綿毛の方をその猫に向け、催眠術でもかけるように猫の鼻先で振ってみせた。猫は本能を擽られたのか、前足でその綿毛を何度も捕まえようと空を掻いていた。次の瞬間、大ちゃんは持っていた雑草を民家の塀の内側へ投げた。投げたと言っても実際には軽い雑草は塀を越えてはおらず、。途端、猫は塀の隙間から民家の中へ入っていった。



それから何分経っただろうか。

猫が民家に入るとすぐに通り雨が降り始め、民家の二軒隣の小さな神社の門の屋根で雨宿りさせてもらっていた。通り雨はすぐに小雨に変わった。大ちゃんが「そろそろかな」というので二人でコンビニの見える角まで戻った。

不良たちはコンビニの軒下で雨宿りしており、いなくなってはいなかった。

「やっぱりいるじゃん。」

樹が呟いた、そのとき、眼の前で不思議なことが起こった。不良たちが、まだ小雨の中、

???樹は何が起こったのかわからなかった。

うまくいったね、と大ちゃんが言った。

「そう、これが人間ルーブ・ゴールドバーグ・マシンさ。」

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