最終話

 高校進学とともに、僕は町を出ることにした。


 本当は、おばあちゃんが眠るこの町に居続けたかったんだけど、両親が進学校に通った方がいいってさ。


 僕としても都会には興味があったし、遠くの高校へ通うことにしたんだ。


「うん、いいと思うよ」


 冬にしては温かかったあの年の12月。僕は神社の一角でたき火に当たりながら、烏頭うずさんに事情を話したんだ。


 まさか、肯定してもらえるだなんて思わなかった。


「どうしたの? 驚いた顔して」


「なんだか否定されるような気がしてて……」


 よその街になんて行っちゃダメ――そう言われるんじゃないかってなんとなくそう思ってた。


 もしかしたら、そう言われるのを望んでいたのかも。


 烏頭さんが、僕の肩をでてくる。


「否定なんてしないよ。いーくんの決断でしょ」


「あはは……なに考えてるんでしょうね」


 頭をかけば、烏頭さんはくすりと笑った。


 炎に照らされたその顔は、出会ったときと比べれば悲しみにれていないように見えた。


 あの表情に胸をつかまれた僕からすると、ちょっとうれしかった。


「でも、寂しくなるわね」


 ぽつりとつぶやいた烏頭さんは、握りしめた両手をじっと見つめている。


 僕も同じ気分だった。


 いつも話していた人と、これからは会うことができない……。


 空を見上げると、2羽のカラスが別々の方へと飛び去ろうとしていた。カーカーというやり取りが、別れを惜しむように繰り返されていた。


「手紙送りますよ」


「本当に?」


 烏頭さんが、僕の手をぎゅっと握ってくる。その熱っぽい柔らかな感触は、次の瞬間には離れていった。


「ごめんなさい」


「べ、別に……」


「でも、うれしいわ。……本当に」


 噛みしめるように言葉を繰りかえす烏頭さんの顔は、たき火のせいなのかほんのりと赤みを強めているように見えた。


 だとしたら、僕もそうに違いない。


「ここの住所ってどこになるんでしょう」


 妙な空気になりそうだったので、僕は慌てて質問した。


 烏頭さんはきょとんとした顔をし、


「それなら、○×神社宛で大丈夫」


「でも、烏頭さんが困るんじゃ」


「私は困らないから。あなたのためなら、ね?」


 烏頭さんが、じっと見つめてくる。


 黒々とした目を見つめていると、神社の名前だけで届くのか、といった疑問とか恥ずかしさとかが吹きとんで、僕はただただうなづくことしかできなかった。






 そうして、僕の新生活が始まった。


 学校には友達どころか顔なじみさえいない。馴染なじめるか不安だったけれども、幸いなことに友達もできた。


 烏頭さんとのやりとりは続いていた。ぼくだってスマホは持ってるし、手紙をしたためるだなんて面倒だとも思わないでもないけれど、もう習慣になっていた。


 僕は新生活についてつらつらと綴った。


 今日は友達ができました、今日は英語の小テストで満点を取りました……などなど。


 些細なことでも毎日手紙を送った。


 そのたびに返事がやってきた。


『お体は大丈夫でしょうか』


『お勉強頑張ってくださいね』


 母さんが増えたみたいで苦笑することもあったけれども、烏頭さんとの仲はよかった。


 ただ……僕はずっと悩んでいることがあった。


 彼女ができたんだ。ぼくにはちょっともったいないくらいかわいい子。


 その子のことを紹介しようか、迷っていたんだ。


 自分でもわからない、なにか負い目のようなものを感じていた。それに、母さんに彼女を紹介するような気恥ずかしさみたいなものがあった。


 でも、結局は紹介することにした。今まで割となんでも話してたし、烏頭さんは僕のすることなすこと喜んでくれていた。


 今回だって、お赤飯を炊く勢いで祝ってくれるんじゃないかと思ってたんだ。


 ……それは僕の勝手な思い込みだった。


 いつもならすぐに返信がやってくるのに、その時はかなり遅かった。


 1日が過ぎ1週間が過ぎ……やっと届いた時には半月が経過していた。


 やってきた手紙は、いつもよりも重く、便せん4枚にも及んだ。


 ――その人は良くないから別れた方がいいよ。


 手紙はそう締めくくられていた。






 そんな忠告じみた手紙をもらったけれど、彼女とは別れなかった。


 かなり悩んだ。烏頭さんとは子どもの頃から一緒にいる。あの人が変なことを言うような人じゃないってこともわかってる。


 でも、流石に信じられなかった。こっちに来たって話はなかったし、来たなら来たで、僕のところに来ないはずがない。もちろん、彼女の知り合いでもなかった。


 たぶん、烏頭さんの勘違いだろう――そう思うことにした。


 それ以来というもの、手紙のやり取りが面倒になってきた。進級して、受験勉強が本格化しはじめたからってのもある。


 ……いや、これは言い訳だ。烏頭さんに何かしらの違和感を抱くようになってたんだ。


 手紙の内容だって、ちょっとおかしかったし。


 僕のことをしきりに訊ねてくる。


 元気かどうか。


 勉強は大丈夫か。


 友達とはケンカをしてないか。


 彼女とは別れたのか。


 筆跡は乱れてはいなかった。けれども、よほど強く押し付けられたらしく、下の方まで跡がくっきり残っていた。内容だって、過保護な感じがした。


 反抗期に差しかかろうとしていた僕には、なによりもウザったく感じられたものだ。


 だから、僕は手紙をビリビリに破いて捨てた。


 来るたび来るたび……。


 それでも手紙はやってくる。そのたびに手紙は厚さを増し、枚数は増えて、インクはより多くより濃くなっていった。






 ある時、彼女がいなくなった。


 別れを告げられたわけではない。フッと、まるで消しゴムで消されたかのように、消失してしまった。


 僕の目の前から一瞬で。


 冬の木枯らしが吹く曇天どんてんの下を、手をつないで歩いていた。


 他愛のないことを話しながら。


 ――冬休みどうしようか、いっしょに遊ぼうか。


 ふいに、強い風が吹いた。


 体を揺さぶり、吹き飛ばそうとするほどの突風。


 舞い上がったほこりが、目に入って思わず目を閉じる。


「きゃっ」


 木々のざわめきに交じって、短い悲鳴が隣でした。


 風が収まって、目を開けば、隣には誰もいない。


 彼女も、体温も、なにもかもが消え失せていた。







 僕は不登校になった。


 学校に通わなくなっても、両親も先生たちも何も言わなかった。


 彼女が行方不明になってしまったんだ、さぞかしショックだろう――誰かが言ってたけど、違う。


 烏頭さんが怖かった。


 見ず知らずの少女を消失させたかもしれない、あの人が。


 烏頭さんからの手紙は毎日やってきた。


 手紙だけじゃない。ハムだったり、ミカンだったり、ジュースの詰め合わせだったり十万円分のギフトカードが入っていたこともあった。


 ――あげるから、前みたいに仲良くしようよ。


 それが見え透いていて、手紙を見ることすらできなくなってしまった。


 だけど、ある日を境にパタリととだえた。


 ばさりと落ちる音も、インターホンの音もしない。


 静寂の中で、布団にくるまっていたら。


 カチャン。


 ポスト口が開いて、何かが落ちる音がした。


 そのつつましい音が妙に心をざわつかせた。


 僕はのそりと起き上がり、玄関へと向かう。


 そのころにはほとんど外に出ていなかった。ごはんも食べちゃいなかった。


 体はフラフラした。歩いて行けたのは、好奇心のおかげだ。


 やっとのことでたどりついた玄関には白い山ができていた。


 手紙、はがき、荷物の不在票……。


 その頂上では、純白の封筒がガラス越しの夕日に輝いていた。


 軽いそれを恐る恐る手に取り、開ける。


『むかえに行くね』


 真っ白な便せんにはそれだけが書かれていた。


 思わずすべり落ちた封筒には消印がなく、切手もない。


 じゃあどうやって届いたんだ――?


 がちゃん。


 カギをかけていたはずの扉がひとりでに開いていく。


 後光のような光を背にした女性がいた。


 いつもと違い真っ白な着物を身にまとう女性が。


「約束覚えているかな」


 瞬間、幼い自分が、何を行ったのかを思いだした。


 そして、自分がこれからどうなるのかも。


 顔を赤らめた女性に抱きしめられる。


 春の陽気のような柔らかさに包まれ、僕の意識ははるか彼方へ――あの神社へと連れられていくんだ。

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メガミツグ 藤原くう @erevestakiba

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