メガミツグ

藤原くう

第1話

 その女性と出会ったのは小学生のころ。


 僕はクラスメイトから足が遅いことをからかわれて、町中を走っていた。


 泣いていたから、どこをどう行ったのか自分でも覚えていない。


 疲れはて、立ち止まる。


 顔を上げたら、鳥居があった。


 木製の赤い鳥居だ。ペンキはすっかりはがれてしまって、白アリか何かに食われたようなボロボロの木がむき出しになっている。


 それが列をなす先に、こぢんまりとしたやしろがあった。


 これまた古い建物だ。築百年になろうとしている学校の床みたいに茶色くて、風が吹けばそれだけで吹き飛ばされてしまいそう。


 背後を振り返れば、暗い影におおわれていく街並み。それが妙に怖くて、鳥居をくぐることにしたんだ。


 ボロボロの鳥居にはかすれた文字で○×神社とあった。


 鳥居のトンネルの先には石の容器があり、清らかな水がいっぱいに満ちている。


 まわりはコンクリートのビルに囲まれていた。窓ははるか上の方までなく、覆いかぶさってくるかのような圧迫感があった。


 見たことないところだった。


「ここどこ……?」


 呟いたのと、社の奥で音がしたのはどっちが速かったか。


 音の方を見れば、そこには人がいる。


 ジーンズにロングTシャツを隙間なく着た女性。


 手には長い竹ぼうきがあって、それで、地面に落ちている木の葉を集めていた。


 ホウキでくたびに、黒い髪がなびく。


 なにより、寂しさをたたえたその表情に、僕は見惚みとれてしまった。


 そのくらい美しくて、目を離せない何かがある人だった。


「どうかした……」


 うれいを帯びたハスキーな声にハッとすれば、女性がこっちを向いていた。


「あ、えっと。いつの間にかここにいて」


 僕は言葉に困った。怒られるんじゃないだろうか。勝手に入ってきちゃったし。


 女性はじっと見つめてきたかと思えば、


「来て……」


 ちょいちょいと手招きした。


 ――知らない人についていってはいけません。


 先生の言葉が脳をよぎったけれども、糸で引かれるように近づいていく。


 社の奥には、どこから飛んできたのか枯葉かれはでいっぱいだった。


 女性は枯葉の山を指さし、それからホウキを指さす。


「ちょっとだけ掃除してて」


「おねえさんは……?」


 こんなところにひとり残されるなんて、イヤだ。


 空は夕暮れまぐれ、オレンジ色。遠くではカラスがカーカー鳴いている。神社にも、夜の影が降りようとしていた。


 女性の手が、僕の頭へ伸びてくる。


「大丈夫。すぐ戻ってくるから」


 頭をでられると、不思議と安心する。頷けば、いい子ね、という返事とともに女性が社の中に入っていた。


 その間、さびしさをまぎらわせるように掃除をした。


 どこから飛んできたのかもわからない、赤と黄と茶の木の葉たちがこんもり山のようになったところで、女性が社から出てくる。


 その手には、紫色のサツマイモが握られていた。


「おやつにしましょう」


 女性は落ち葉の山の前に立つとサツマイモを入れ、ライターで火をつけた。


 ぼうっと音を立て、炎の舌が天高く揺らめく。


 ビルに囲まれているからなのか、不思議なほど風はない。


 パチパチと、ぜる音だけが僕らの間にはあった。


「火をつけて大丈夫なの」


「平気よ」


 灰色の煙が赤みを強めていく空に一筋の線をはっきり残していたけれども、誰も来ない。


 そのうち、女性は木の棒で山を崩し、中から黒く焦げた物体を二つ出した。


 香ばしい匂いに手を伸ばそうとしたら。


「熱いから待って」


 女性は、手を伸ばし、ふうふう息を吹きかける。


 湯気をくゆらせる黒いものをパカリと2つに割れば、中には金色のホクホクしたサツマイモが顔をのぞかせた。


 焼きいもだ。思わず歓声が出た。


 女性が差しだしたのを、おずおず受け取って、かじりつけば甘くねっとりとしたサツマイモはそれはもう言葉にできないくらいおいしかった。


「おいしい」


「よかった」


 女性はそれだけ言って、あいまいに笑う。


 控えめで、見とれちゃうような笑みだった。


 僕は一心不乱に焼きいもを食べた。気がつけば、手の中のものはなくなっていた。


 どこか遠くから、ひび割れた『赤とんぼ』のメロディがひびいてくるのが聞こえた。


 午後六時。


「もう帰らなきゃ、おねーさん」


「烏頭よ。烏頭狐花うずこはな


「烏頭おねーさん。僕は――」


 僕は自分の名前を名乗る。いーくん、とクラスでは呼ばれているとかなんとか、どうでもいいことを話した記憶がある。

 

「いーくん、ね。覚えたよ」


「あっとねサツマイモありがと」


「いえいえ、掃除を手伝ってもらったもの」


 お辞儀を一つして、僕は帰ろうと鳥居の方を見、気がついた。


 どうやってここまで来たんだ?


 あの時は泣きながら走ってたもんだから、どこの角を曲がったのか、どの通りを駆けてきたのか、覚えていなかった。


「僕、迷子かも……」


「大丈夫よ」


 烏頭さんが背中をトンッと押してくる。


 それだけのことなのに、帰れるような気がしてきて、手をふりふり神社を後にした。


 でも、それからのことはよく覚えていない。


 気がつけば自分ちの前にいた。






 思いだそうとしても、神社への道はわからなかった。


 だから、焼き芋のお礼をしようと思っても、どう行けばいいのかわからなかった。


 迷いに迷った挙句あげく、ようやくたどりついた――迷い込んだんだ。


 神社にはすでに烏頭さんがいて、僕のことをにこやかに出迎でむかえてくれた。


 お礼として持ってきたジュースを烏頭さんに手渡したら、お礼なんていいのに、と言われた。


 それよりも、と烏頭さんが僕の顔を覗きこんで。


「昨日はどうして泣いていたの?」


 思わずジュースを落としてしまった。


 ガキとはいえ僕だって男だ。いじめられたからとは言いづらい。相手が女性――綺麗なおねえさんともなればなおのこと。


 悶々もんもんとしていた僕の頭を、烏頭さんが撫でてくる。ふわっと花の香りが包み込み、じんわりしびれてくるような感じがした。


 気がつけば、いじめられていることを打ち明けていた。


 そっか、とだけ烏頭さんは口にした。


 『かわいそう』だとか、『オトコらしくない』とかそんなことは言わなかったんだ。






 以来、僕はいじめられなくなった。


 いじめっ子たちへ近づけば、彼らがギャッと悲鳴を上げて散り散りになる。


 何かくっついてるだろうか。


 鏡の前で回ってみても、僕には変化なし。


 おどおどした男の子が、そこには立ってるだけだ。


 いじめられっ子たちだけが、僕に怯えていた。


 明らかにおかしい。


 烏頭さんと話をしたことくらいしか、心当たりがなかった。


 で、僕は烏頭さんに聞いてみたんだ。


 そしたら、烏頭さんは首を横に振った。


「神様が――してくれたんだよ」


「かみさま……?」


 烏頭さんは頷き、背後を振り返る。


 後ろには、ボロボロの社がある。扉は固く閉ざされていて、中は見えない。


 社に入ることは烏頭さんに禁じられていた。


「中にはね、神様がいるの」


「かみさまとかゆうれいとかっていないって」


 烏頭さんがさみしそうに微笑ほほえんだ。たまに、烏頭さんはそうやって笑うんだ。とっくの昔に失われてしまった何かを思いだしてるみたいに。


「ここにはいる」


 両手を合わせて祈る烏頭さんは、彫像か絵画のように美しい。


 真似してみたら、烏頭さんに抱きつかれた。


 やわらかい熱が包み込んでくる。春の陽気の中でまどろんでるみたいなそんな心地よさ。


「ありがとうね」


 なぜ感謝されたのかわからないままに、僕は眠りへと落ちていく。






 そんなことが、何十回何百回と繰りかえされた。


 神社がどこにあるのかは、相変わらずわからない。


 でも、なんとなくわかってきたこともある。


 頭の中で神社を思いえがいて歩くんだ。そうしたら、神社にたどりつく。


 非科学的だって僕も思う。でも、行けば行くほど、たどり着くまでの時間は短くなっていった。


 高校進学と同時に引っ越すまで神社を訪れていたけれど、どこにあるのか、ついにわからずじまいだった。


 そんな奇妙な場所に通い詰めていたのは、居心地がよかったからだ。


 烏頭さんは、しかりもしなければ、怒りもしない。クラスメイトみたいにいじめだってしない。


 何回も訪れても、烏頭さんは文句の一つも言わなかった。


 掃除をしろとか、お金をくれとも言わない。


 僕は社と賽銭箱さいせんばこの間の階段に座って本を読んだり、勉強をしたりしていた。


 掃除が終わった烏頭さんは、隣にやってきて静かに座る。


 僕を見て、いつくしむような目を向けてくる。


 そこは、どんなに綺麗な花畑よりも、心安らぐ場所だったんだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

次の更新予定

2024年12月12日 21:12

メガミツグ 藤原くう @erevestakiba

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画