私は思い悩む
さて、またチャイムの音だ。
前回の続きと考えれば、お昼休みの終わりかな?と思うかもしれないけど、今回は、放課後。
教室の窓辺からは、橙色の陽光が差し込んでいる。
見る人が見ればさぞかしノスタルジックな光景であろうが、現役女子高生の私にとっては『普通』の光景。
ちなみに私は、帰宅部だ。放課後のこの時間まで、学校に残る理由は特に無い。
いつもは、敷かれたレールに沿って、時間通り、予定通り帰宅しているわけなんだけれども……。
今日は、ちょっとした用事があって残っている。
ちょっとした、ね。ちょっとした。
というのも、進路希望調査票が配られてから、そこそこの日数が経過しているわけでして。
模範生の皆々様方はきっちり期日中に提出を終えていて、規則にだらしない子達も、適当に内容を書いてちゃちゃっと提出していたりするわけで、まぁあくまで書く内容は、将来どんな風になりたい?どんな風に進んでいきたい?っていう、現状での生徒の認識を学校が把握する為のものだけでしかなくて、未来を決定づけるものでも何でもないのだから、適当に書いて提出するっていうのが正解の行動で間違いないんだけど……。
私は、その誤魔化しすらも、『適当』すらも書く内容が思い浮かばず、提出がガンガンに遅れてしまいまして……。
そんなわけで、呼び出しを食らいまして、担任の先生からも「適当に書けばいいのに」と、凡そ教職とは思えない御赦しの言葉をいただきながらも、やっぱり書く内容が浮かばずでして。
そんなわけで、教室丸々一つをお借りして、先生とワンツーマンで、進路について、将来についてあれやこれやと思索している最中なのである。
現状の成果は、はい。やっぱり全くもって、何を書けば良いのやら、浮かんでません。
先生からは絶賛、じと目をいただいております。とてもとても呆れ果てたご様子でらっしゃる。
「まだ?」
あ、はい。ごめんなさい。ご立腹のご様子だ。
「いやあ、いらない残業させちゃいまして、すみません先生。自分、不器用ですから」
「詫びも高倉健も別にいいから、早いとこ書いてくれ。これ、一人でも提出してないと、私が教頭先生から目玉喰らうことになるんだよ。やだよなー、別にこの紙切れ、何かしらの効力もあるわけじゃないのに。でも、一人でもルールを逸脱しているのを許容したら、他も同様に扱わないといけないっていう、そういう公平性が求められちゃうんだよね、公務員って。そういうのは良くないらしいんで、だから、お願い。ね♪ 書け」
ねぇ、この人って本当に先生?『聖職』とはとても思えないですね、この科白は。まぁ……『公僕』と置き換えれば、しっくり来そうな気がするので、つまりはこの人は、そういう系の人だ。
右目の下辺りにある黒子がチャーミング(?)な、ばっさりと髪を短めに切っている30代くらいの先生。一応、女の人。一応。格好は白衣を着崩して羽織り、中には赤ジャージが顔覗いている。大分アレな格好。そんな感じの人。
担当科目は聞いて驚くことなかれ、こんなんで化学だ。ばりばりの理系の人だ。数字とか、化学式とか、そういうのをすらすらと黒板に書いたりなんかをしている。そんな形で、授業はそれなりに一応しっかりしてたりするのだ。え、じゃあ、やっぱりこの人、『聖職』か……?
「先生。そういうのってもっとオブラートに包んで伝えるものだと思うんですよ。もうちょっと生徒のモチベを上げるような言い方とか、あるじゃないですか」
「はじめて聞いた。たとえば?」
た、たとえば……!?
「え、えーと……」
こほんを咳払いをする。こう、切り替える為のワンクッションというやつだ。
私はお優しい教師、私はお優しい教師、そんな暗示を数コンマの間で自分に暗示しつつ。
「……浅川さん。見事この紙の空欄を全て埋め尽くせたら、先生からご褒美を……あ・げ・る❤」
「はん?」
「あの、先生。これ、ボケです」
「知ってる。ムッツリだなあ浅川は」
違うよ!!!!!!!!!!!!!!!
「塩対応しないで、いい感じにツッコミでもしてくださいよお!あーあ、このせいで私、やる気がた落ちしましたー。進路希望調査票に一文字たりとも書けなくなりましたー。これも全部、先生のせいですぅ」
「おん?浅川、お前そんなこと言えたクチかあ?私にいらない残業させて心苦しませていた善良な生徒はどこへ行ったんだろうなあ?つーかさ、こんなのいいから、『適当』にちゃちゃっと書けばいいじゃねぇか。なーんでそれができないんだ?」
先生は頬杖を着きながら、煙草なんか咥え、噛んで、上下にくりくりと振ってる。あの、ここ学校…………。……火、吐いてないからセーフなのかしら。
「『適当』と言われましても……」
私も負けじと、不貞腐れた顔を作ってみせちゃう。
「先生、『適当』って、ちょうどいいって意味じゃないですか。まぁ今の日本人は『適当』を、手を抜くことみたいな意味合いで使ってるわけですけど……」
「なに?浅川ってそんな殊勝な生徒だったかな。テスト大体いつも平均点ジャストだっただろ。こんないちいち言葉の定義一つひとつ確認して、石橋を叩いて叩いて叩きまくって渡るヤツだったか?こんな調子だと、叩きまくった挙句の果てに、橋決壊しちゃうぞ。それこそもう、タマコ橋の如く、ぐわんぐわんとあり得ないくらい揺れながら決壊しちゃうぞ?」
「別に私も、『模範生』ってわけじゃないんですけどね、ただ……」
なんて、説明をすれば……いいんだろうか。
ちょっと思考を整理する為に、間が空いてしまう。
こんな私でも、静寂を作る側になるとですね、やっぱり申し訳なさが出てしまうと言いますか……。
そんな感じで、校舎の外で部活動を励んでいる我が校の生徒達の活気ある声が遠く、小さく聴こえるだけの教室になりまして。
「たとえば、進路は大体は二つじゃないですか。一つは進学、もう一つは就職。そうですよね?」
「うん」
それでそれで?という目を向ける先生。
「もうこの分岐が、今の私には『無理』なんです」
「無理?」
「はい。なんていうか……進学、つまりどこかしらの大学に行くっていう選択。まぁ『平凡』なチョイスだとは思うんですよ、私は。ただなんでしょう……。大学選びって、さらにその『先』を想定するじゃないですか?たとえば、先生なら、『先生』になるために大学を選んだんじゃないかなって思うんです」
「違うが?」
「え」
「いや悪い。私のは外れ値だ、どっか隅にでも置いといてくれ。まぁそれで、その通りだな。将来何かなりたい、あるいはやりたいものがあり、大学ってのは単なる順序でしかない。たまーに大学に受かることだけが目標な奴もいたりするんだが、大抵そういう奴はうまくいかない。色んな生徒見てきたからな」
「え、えっと。はい。つまりそういうことでして、私は『将来なりたいもの』が特に無いと言いますか……」
「リーマンでいいじゃん、もしくは公務員」
「このご時世、立派にサラリーマンやるのも、とても『普通』なことだとは思えないんですよね。平均年収400万円くらい稼ぐのだって、厳しいって声聞きますし。あと公務員も、国家試験受けなくちゃいけないわけで、十分立派で、『普通』ではないと思いますし……」
「平均年収ねぇ。それ、ネットで?」
「あ、はい……。……ネットで……」
ソースとして信憑性があるんだかないんだか分からないものトップクラス。ネット情報。
「まぁ、そうだと思うな。昔は正社員になることが真っ当で、『普通』のことだったわけだが、最近は色んな働き方が認められるようになってるからな。契約社員だとか、そういうフリーランスの仕事だとかな」
「はい。じゃあここに、将来の夢!派遣社員!って書くのも……なんか、ヘンじゃないですか」
「子どもの内は、持っとく夢はでっかくがいいからな。てか、書くのなりたいものじゃなく、なりたいものへ向かう為の次のステップだし」
「はい……なので、どうしたものかなあと、思っているわけなんです」
「はん」
先生は咥えた煙草をまたくりくりと、器用に噛みながら上下に動かして沈黙する。
「よく分からねぇけどさ、間違ってたら指摘しといて欲しいんだけどさ。浅川はつまり、『無難』なものを書いておきたいっつー、そういうわけ?」
「あ!!そうです!!!」
そうです。そういうことです。
私の思いが伝わって、うっかりテンションが高くなってしまった。ビックリマークなんかも、幾つか使ってしまった気がする。
「で、何が無難なんだろうって思って、悩んで悩んで、その末にこうして期日を過ぎてしまった、というわけか」
「はい!!!!!!!」
「この世界に無難な選択というのは、果たして存在するのか?普通に生きるには、この世界は難しいんじゃないか?普通に生きることそのものが、『異常』なんじゃないかと、そういうことか?」
「はい!!!!!!!!!!!」
私は、先生の評価をぐるりと反転させたいなあと思いました。
掌をくるりんと、あんな風に。
すごいぞ。私の考えていること、思っていること、悩んでいることを全部見抜いてくれた!
「馬鹿?」
もう一回手の甲にしたいと思いました。
「いや、そんなあからさまな不機嫌顔になるな。あと浅川、お前がほっぺを膨らましたところで、実波美みたいに可愛がられたりはしない」
うるさい!そんなこと分かっとるわい!あと別にそれ一々口にしなくたっていいじゃないか!
「まぁとりあえず落ち着け。私が『馬鹿』って言ったのはだな、『普通』に生きるなんてのが許されるのは、ガキンチョまでだってことだ、分かるか?」
「言わんとすることは分かるような気がするんですけど、自分で言語化できないので、解説お願いします」
「チッ」
ん?舌打ちした?
うっっっわ。面倒くさそうな顔してる。
あ、あり得ない。
「つーまーりーだ。レールが敷かれているのなんざ、カリキュラムがしっかり設定してあるのは高校までだ。大学じゃそうは問屋が許さねぇ。会社でもそうだし、公務員もそうだ。つーかもう大体全部そうだろ。『普通』に生きるってことは、つまりは何かを摸倣して生きるってことだ。『普通』には、必ず『基準』ってのが設定してあるからな。平均的な『何か』だ。だが、世の中に出ていく上で、オール『普通』ってのは無い。いや、まぁベストプラクティス集みたいなもんはあるかもしれねぇし、そういうマニュアルを参考にしたりすりゃ、ちょっとは浅川の考える『普通』に生きるに近い生き方になるかもしれねぇが、社会では、世界では何かしらの『異常』が欲しいんだ。分かるか?」
私は難しそうな顔をする。
ちょっと、抽象的で分からない、し。
社会人経験なんてものはないんだから、想像しようにも全くできないのだ。
「言い換えりゃ、『個性』だ。その人の『強み』だ。『得意』だ。そいつでもって、人は他人から承認を貰い、生きていくことになる。人間って生き物は、無性生殖では増えねぇ。有性生殖で増えていく。理由は何故か分かるか?」
「えー?そういう風に神様が人間を設計したから以外、無いんじゃないですか……?」
「宗教的だな。まぁそれも間違ってはいないかもしれないが、私は化学の先生だ。なのでその立場としての答えを言うと、『絶滅』しないようにする為だ」
「ふんふん?」
ちょっと興味深い。
「生物が選択科目なのきちいな。てか、ここら辺の話ってよ、中学とかでやらなかったか?」
「模範生じゃなくてすんませんでした」
「浅川だからしょうがねぇな。続けるぞ。無性生殖のメリットは、他人を必要としないことだ。自分一人でぽんぽんと子孫を作れる。だがデメリットは、環境の変化に弱いことだ。たとえば死のウイルスでも蔓延ったとしよう、そして無性生殖を行うとある生物にとって、そいつが致命的だったとすれば、そいつは何の抵抗もできず絶滅していく。だが、有性生殖の生物は違うぜ。ある個体が何の抵抗もできずに、おっ
なんか学校の先生みたいだなあ。と思う私。
「みんな違ってみんないいって言葉。ありゃ大正解だ。みんな違くないと、生存競争ですぐに絶滅しちまう。だから私達人間は、完全同じ特性を持つ個体はいないんだ。何かしら、ミクロ的に違ったりする。そして、こういう特徴があるからこそ、人間は自分達が持っていない無い優れたものに対し憧れる。顔がいいとかもそうだ。そこに人が惹かれる理由も、そういう生存競争的なもんだ」
「なるほどぉ」
勉強になった。
「だから先生。『異常』を持っていなくちゃいけないっていう、そういうことですか?」
「そうだ」
「つらっ」
思わず。もう無意識にそう溢した。
「総てが『普通』じゃ、世に出た時に見向きもしてもらえないだろうぜ。まぁ浅川の言わんとすることは分かる。『普通』であることこそが『異常』じゃないかと。優れていることなんじゃないかと。だが、『普通』だとか、『異常』だとか、そんなのは見る人間によって尺度が違うんだから、ここで深く考えたって仕方ねぇだろ。浅川、いいか?私からのアドバイスとしては、生存競争に勝て、それだけだ」
「ふーむ」
「だって、そうだろ?生存競争を勝ち抜くために生きるってのは、全生物にとって『普通』のことだ」
「……あ!」
にやりと、先生は笑った。
「なんか、見えたかもしれません!ありがとうございます!」
「おう!じゃあとっととこの紙切れを埋めろ!」
そして私は、進路希望調査票を埋められませんでした、と。
トホホ。
うーん、惜しいなあ。
なーんか、見えたような気がするんだけど……。
そんなこんなで、今日は帰ることになった。遅くまで残らせ続けるのは良くないということらしい。
期日は、特別に延ばしてもらえた。なんて優しいんだ、先生。ありがとう……!ありがとう!圧倒的感謝。
「はあ」
溜息をしても一人。
夕日が沈もうとする空の下の学び舎。
上履きの入った下駄箱が幾つも並ぶ昇降口にて。
私は気を落としながら、自分のローファーを手に取った。
「あ、良子ちゃん!」
すると、心安らぐような音色の声が聴こえた。
その正体は、一体─────!?
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