人たらしがすぎてカオスの申し子になってます

@Danuber91

第1話 図書館で平穏を求めたら、話題の男子にロックオンされたんだが?

01

有坂来斗(ありさか・らいと)は、図書館の窓際にいつものように座っていた。ここは彼にとって、大学生活の中で最も落ち着ける場所だった。落ち着いた木製の机、座り心地のよい椅子、そして柔らかい日差しが差し込む窓。外ではクリスチャン系大学ならではの荘厳な建物が並び、静かなキャンパスが広がっている。

レポートのテーマは少し手こずるものだったが、ゆっくりと進めれば終わる見込みはある。周囲では他の学生たちが控えめな声で話しており、ほどよいざわめきが逆に集中を助けてくれる。そんな平穏な時間に、来斗は心底満足していた。

そのときだった。静かな空間に、突如としてパタパタと軽い足音が響いた。

思わず振り向こうとした瞬間――

「ごめん、ちょっと失礼するで!」

やわらかい関西弁が耳元で飛び込んできた。来斗が驚いて顔を上げる間もなく、突然現れた青年が、彼の隣に座ると迷いなく来斗が椅子の背にかけていた上着に手を伸ばした。それを掴むと、頭からすっぽりと被り、机に身を伏せる。まるで子供がかくれんぼをしているようだったが、その行動はあまりに突飛で、来斗はただ目を見開くしかなかった。

「な、なんやねん……?」

隣に伏せる青年からは、緊張しているのか微かな息遣いが聞こえる。訳が分からず固まる来斗の耳に、さらに声が届いた。

「ねえ、確かにここ入ったよね?どこ行ったか分かる?」

「見失っちゃったね……」

「食堂の方探してみる?」

ひそひそ声は、どうやらすぐ近くの入り口から聞こえてくる。来斗は恐る恐るそちらを見た。そこには、女子大生らしき数人が小声で話し合いをしている姿があった。いずれも可愛らしい見た目で、それぞれスマホを片手に何かを確認している。会話の内容から察するに、彼女たちは誰かを探しているようだった。

彼女らの姿が視界から消えると、隣の青年がそっと顔を上げた。

「…行った?」

その声に、来斗はため息混じりに答える。

「…うん、食堂の方行くって聞こえた」

青年はホッとしたように大きく息をつくと、満面の笑みを浮かべた。

「ありがとう、助かったわ」

その笑顔は無邪気で爽やかで、驚くほど人懐っこい。来斗は何も言えずに呆然としていると、青年は席を立ち、そのまま急ぎ足で図書館を後にしようとした。

その瞬間だった。ポケットから何かが音を立てて床に落ちた。

「おい、なんか落としたぞ!」

思わず声をかけた来斗だったが、青年は聞こえなかったのか、あるいは気づかなかったのか、そのまま出口へと消えていった。

仕方なく落とし物を拾い上げた来斗は、それが学生証であることに気づく。そしてそこに書かれた名前――「大森泰夢(おおもりたいむ)」に、思わず眉をひそめた。

「……泰夢、ってもしかして『あいつ』のことか?」

ふと窓の外に目を向ける。変わらぬキャンパスの風景が広がっているはずなのに、今の来斗には何も目に入らなかった。

「……こんなんで勉強続けられるわけないやろ」

ため息をついてレポートを片付けると、帰宅ついでに学生証を事務局に届けることにした。静かだったはずの日常が、奇妙な出来事によって波乱の予感が漂い始めていた。


02

大森泰夢――その名前を耳にしない日はないほど、最近インスタグラムで話題の中心となっている人物だった。『顔が良すぎる』、ただそれだけの理由で彼の存在は、キャンパス内でまるで都市伝説のように語られるようになっていた。

最初は、ただ彼の写真がちらほらとインスタグラムに投稿される程度だった。もちろん、それだけでも盗撮に当たるのでコンプライアンス的には問題があるのだが、投稿する学生たちにそんな意識はないらしい。ところが、事態は次第にエスカレートしていった。どこからともなく広まった噂――『泰夢君の写真をインスタに投稿すれば願いが叶う』――それが彼をさらに不可解な存在へと押し上げた。

その結果、女子学生たちはこぞって泰夢を追いかけ、写真を撮り、投稿するという現象が当たり前のようになっていた。投稿者の数は日に日に増え、それに比例してタイムラインには彼の写真が溢れ返る。その状況は、もはや関係のない来斗たち他の学生たちの目にも入るほどになっていた。

ため息混じりに拾った学生証を見つめる。そこには、例の『渦中の人』である泰夢の顔が写っていた。写真の中の彼は、確かに驚くほど美しい。整った目鼻立ち、柔らかな曲線を描く口元、男にしては色白で透明感のある肌。さらには、整えられたサラサラの髪が彼の雰囲気にさらなる磨きをかけている。すべてが均衡を保ち、その顔を完璧なまでに形作っていた。

正直、見れば見るほど納得せざるを得ない。これだけ整った顔立ちならば、話題になるのも無理はない。けれど、それが理由で追いかけ回されるなんて、当人にとってはたまったものではないだろう。

「ほんま、ゆるキャラちゃうねんから……気の毒にな……」

呟きながら、来斗は学生証を手に事務局へ向かった。泰夢の顔をもう一度見ると、彼が美貌という枷を背負わされているように思えてならない。気の毒に思いつつも、自分には関係のない話だと線を引いて、学生証を事務局に預ける。

それから帰宅の途に着くまでの間、来斗の頭にはなぜか泰夢のことがちらついていた。

自分とは無縁の人間。そう結論付ける一方で、心の片隅に残る何か――それが、この後の奇妙な縁を予感させるものだとは、まだこの時の来斗には知る由もなかった。


03

数日後

「ごめん、ここ、座らせてもらってもいい?」

図書館のいつもの場所で課題をこなしている来斗の不意に耳元でかけられたその声に、来斗は一瞬ペンを止めた。振り向くと、そこには例の青年が立っていた。『渦中の人』、大森泰夢。どこか軽やかな雰囲気をまとった彼は、柔らかな笑みを浮かべてこちらを見ている。

「……ああ、どうぞ」

来斗は少し戸惑いながらも、自然とそう答えていた。泰夢は「ありがとう」と言いながら隣の席に腰を下ろす。

「ありがとう。学生証届けてくれて。君のこと探しててん、ここ来たら会えるかな思って」

泰夢がそう言いながら、はにかむような笑顔を見せる。その無邪気さに、来斗はほんの少し肩の力が抜けた。話しかけられること自体は驚きだったが、その親しみやすい態度に警戒心が和らいでいく。

しばらく沈黙が流れたが、泰夢がふと話を切り出す。

「タメ語で話してもうたけど、学年同じやんな?」

「……3回生やけど。」

「学部は?」

「商学部。」

「全部一緒やん!マジか! うわー、こんな偶然あるんやな。嬉しい!」

まるで子供のように喜ぶその表情に、来斗は思わず笑いそうになる。外見の端正さとは裏腹に、泰夢の性格はどうやら非常にフランクで人懐っこいらしい。そのギャップに、来斗はどこか面白さを感じ始めていた。

「てか、この前上着被ったときめっちゃええ匂いしてんけど、香水つけてんの?」

「うん、気に入ってるのがあって、いつもつけてるんよ。」

「そうなんや、大人って感じやな!」

その言葉に来斗は思わずくすりと笑う。泰夢はどこまでも率直で、壁を感じさせない。これまでの図書館での静かな時間とはまるで異なる、にぎやかな空気が広がっていた。

「泰夢、って呼んでええんかな…?お前はいつもこうやって誰にでも話しかけるん?距離感近ない?」

来斗が少し照れくさそうに尋ねると、泰夢はまっすぐな目で微笑みながら答えた。

「せやね。まあ、人と話すのが好きなんよ。だから、こうやって知らん人と話して友達になるのも楽しいかなって。」

その言葉には何の裏もなさそうだった。それがかえって新鮮で、来斗の胸の奥に小さな火が灯るような感覚を覚える。泰夢の人懐っこさは、まるで磁石のように周囲の人を引き寄せている。それがどんな人間であっても。――そんな風に思えた。

ふと泰夢が時計を見る。時間が迫っていることに気づいたのか、少しだけ残念そうな表情を見せた。

「そろそろ講義始まるから行かなあかんわ。でも…これからも会えたら嬉しいな。」

その言葉に、来斗は反射的に頷いていた。

「そやな。また明日ここで会おう。」

泰夢は嬉しそうに微笑むと、来斗のノートの端にさらさらと何かを書いた。その何気ない仕草すら、来斗にはどこか特別に映る。

「じゃあ、またね。」

そう言い残して立ち去る泰夢の背中を見送りながら、来斗はしばらく席を立てずにいた。ノートの端に、泰夢の名前と連絡先が記されている。それは、ただの文字列であるはずなのに、なぜかとても貴重なものに思えた。

図書館の窓から差し込む陽光が、何か新しい日常の始まりを告げているかのようだった。


04.

次の日、来斗は約束の図書館の前で足を止めた。そこには昨日出会った泰夢の姿があった。彼は建物の影でスマホを操作しており、顔には少し疲れたような影が差している。少し悩んだ末に、来斗は歩み寄り声をかけた。

「昨日は連絡先ありがとう。」

一瞬、泰夢の動きが止まる。そして顔を上げた彼の表情は、昨日の無邪気な笑顔とは打って変わって沈んでいた。来斗の言葉に応じるどころか、彼の視線はすぐにスマホへと戻る。

来斗は不審に思い、泰夢の手元をちらりと覗き込む。そこには、SNSの画面が映し出されていた。タイムラインには「#大森泰夢」というタグがずらりと並んでいる。そのタグに紐付けられた投稿には、無数の写真――それも盗撮と言って差し支えないものばかり――が載せられていた。

泰夢の横顔はどこか痛々しかった。気さくで明るい彼が、今はまるで重い鎖に縛られているように見える。来斗は何も言えず、ただ立ち尽くしてしまった。

「……正直、こんな状態やから、普通の友達なんてできひんのちゃうかって思っててん。」

泰夢のぽつりと漏らしたその言葉に、来斗の胸がぎゅっと締め付けられる。彼の声は落ち着いていたが、その裏にはどこか諦めに似た響きがあった。

「…ネットのこと、気にせんとき。」

来斗はふと口を開いた。その声は自分でも意外なほど冷静だった。

「俺はそんなん関係なくお前と付き合いたい思ってるから。」

その言葉に、泰夢の目が驚きに見開かれる。少しの間、彼はその場で固まったように見えた。しかし次の瞬間、彼の表情にふっと安堵の色が浮かんだ。

「…ありがとう。そんな風に言われるの、久しぶりやわ。」

泰夢が笑う。その笑顔には昨日の無邪気さが少しだけ戻っていた。それを見た来斗は、自分が彼にとって少しは役に立てたのだと感じ、心が温かくなるのを覚えた。

それから、二人はその場で何気ない会話を始めた。昨日の出会いからまだ二日しか経っていないというのに、自然と気軽に話せる間柄になっていた。

「俺、あのタグとか写真とか、もう慣れてるつもりやってん。でも、やっぱり疲れるわ。」

泰夢は苦笑いを浮かべながら言った。

「そりゃそうやろ。普通そんなことされたら誰でもしんどいわ。」

来斗は言葉を選びながら、けれど真っ直ぐに答える。

「でも、そんなことをいちいち気にしてたら、きりがないなって最近思うようにしてんねん。来斗みたいな人に会えることもあるんやから、悪いことばっかりちゃうよな。」

泰夢の言葉に、来斗は少し照れくさそうに顔をそらした。彼が周囲から受けているプレッシャーをほんの少しでも和らげられたのなら、それだけで十分だった。

「お前、今日の授業何時からや?」

「2限からやけど、しばらくここで時間潰すわ。来斗は?」

「俺も2限。暇やし、一緒にあそこで待つか。」

図書館の中に入ると、二人は自然といつもの席に向かった。まだ始まったばかりの新しい関係。それでも、来斗は泰夢とならどんな話でもできるような気がしていた。

で、二人はしばらく黙々とそれぞれの作業をしていた。来斗はレポートに向き合い、泰夢はスマホをいじったり、時折机に突っ伏してため息をついたりしている。

「なあ、来斗。」

突然、泰夢が声を上げた。顔を上げると、彼はスマホの画面を見ながら何かを考えているようだった。

「ん? どないしたん?」

声をかけられふと泰夢の顔を見つめる。その目にはどこか晴れやかな光が宿っている。

「不思議なもんやな。お前がそばにおってくれる思ったら、前ほど怖くなくなった気がする。」

その言葉に、来斗の胸の奥がじんわりと温かくなる。彼の素直な言葉が、自分にどれほど影響を与えているのかを改めて感じる瞬間だった。

「そりゃよかった。でも、お前もだんだん強くなってるんやと思うで。」

「……そうなんかな。」

泰夢は照れくさそうに笑いながら、スマホをそっと閉じた。

その笑顔は以前よりもどこか力強く、何かを乗り越えた人間のように見えた。そんな彼を見て、来斗は心の中でそっとエールを送る。

「これからもいろいろあるやろけど、まあ適当にやっていこうや。」

「おう、そうやな。適当が一番や。」

二人は軽く笑い合い、またそれぞれの作業に戻る。外の喧騒やSNSの騒ぎがどうであれ、この空間だけは穏やかで、何よりも居心地が良かった。


05.

そんなある日、大学の掲示板に一枚の「警告文書」が張り出された。

"最近当大学内で特定の人物を追い回す事象が発生しています。

過度な追跡行為および盗撮は犯罪です。度を超える場合は該当者の停学処分など重い処分を下さざるを得ません。節度を持った行動をとるようにしてください。"

その文字は学生たちの目を引き、瞬く間に噂が広がった。表現は穏やかだったが、その内容は明確に警告を発していた。特定の人物――それが誰を指しているかは誰の目にも明らかだった。

その日以来、泰夢にまつわる盗撮投稿はぴたりと止んだ。SNSのタイムラインを流れていた彼の写真は姿を消し、キャンパスの空気もどこか落ち着きを取り戻していく。

来斗はその様子に、心底ほっとしていた。

「これで、やっと泰夢も少しは気楽になるやろ。」

胸をなでおろしながら、来斗は泰夢のことを思う。気軽に話しかけてきた彼が、どれだけその注目に疲れていたのか、本人は表には出さなかったが、来斗には十分に伝わっていた。それが少しでも解消されたのなら、それでよかった。

数日後、昼休みの時間帯にゼミの仲間と食堂へ向かった来斗は、そこで泰夢の姿を見かけた。いつもの明るい笑顔を浮かべながら、彼は別の学生と談笑していた。その相手は、背筋の伸びた品のある青年だった。自信に満ちた顔立ちと物腰の柔らかさから、どこか只者ではない雰囲気を漂わせている。

来斗はその学生に見覚えがあった。掲示板に貼られた「警告文書」を出した大学理事の一人、菅原の甥である菅原慧(すがわら・さとし)だった。大学の中でも一目置かれる存在であり、どこか近寄りがたい印象を受ける人物だ。

「菅原と泰夢?あいつら仲良かってんな」

来斗は少し興味を覚え、二人の様子を遠目で観察する。穏やかに笑い合う二人は、どうやら親しい間柄のようだ。しかし、次の瞬間、来斗の視線はピタリと止まった。

慧が、泰夢の口元にスプーンを差し出したのだ。

「は?」

泰夢はそのスプーンを当たり前のように受け入れ、頬張る。さらにその後、二人は満面の笑みを浮かべて楽しげに会話を続けていた。

その光景に、来斗は固まった。どこからどう見ても、ただの友人関係を超えているようにしか思えない。何より、周りの人のことなどお構いなしな二人の行動の自然さが衝撃だった。

「……見たらあかんもんを見た気がする」

胸の奥がザワザワする。けれど、それが何の感情なのか、来斗にはまだ分からなかった。ただ一つ確かなのは、今ここに居続けるのは何となく気まずいということだった。ゼミの仲間に用事ができたと伝えて、空腹を抱えたまま、来斗はそっとその場を離れた。

キャンパスを歩きながら、来斗は自分の胸の内に湧き上がる奇妙な感情と向き合っていた。泰夢の無邪気な性格、周囲を引き寄せる不思議な魅力。それが彼をどれだけ混沌とした立場にしているのか、改めて実感した瞬間だった。

「……俺もしかしたら、ややこしい奴と仲良なってもうたかもな。」

呟くと、来斗は苦笑いを浮かべる。泰夢との関係は、まだ始まったばかりだというのに、これからどれだけ振り回されるのか――そんな予感が拭えなかった。

しかし、彼と出会ったことで自分の中に生まれた新しい感情。友情なのか、それ以上のものなのか、それを知るのはまだ少し先の話だった。

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