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「……宇汐と話した。ユリが心配してたことはなかったけど、知ることができた」

「そっかぁ」


 安心したように息をこぼし、ほころんだ。


「それに、あゆかとも話して……なんか、その、色々知ることができた」

「うん」


 静かに話をうながす姿は普段と違って、年上のようだ。

 いや、年上なんだけど。

 そんなことが頭をよぎって口元が緩んでしまう。


「?」


 口元の緩みを不思議そうにしながらも、まっすぐに届く、優しい眼差しに意識が戻る。


「最初にユリに相談したとき、最初は焦りで何にも考えてなかった。考えているようで考えてなかった」


 それてしまった思考を軌道修正するように、ゆっくりと言葉があふれていく。


「だけど、今は違う。無理だけど、明確な目標じゃなくても、自分が進みたい方向ぐらい見つけたい、って思ってる」


 すこし彷徨さまよってしまったけど、目の前の人物と瞳が合わせることができた。


「うん」

「その、相談したし、考えてくれたし、い、色々あったから、経過報告? てきなの?

 すげー…‥ふわふわしてる結果っていうか、答えだけど、それが今の俺っていうかさ……」


 出した答えはまだまだ不透明どころか、行き先も、どの方向かさえ決まっていない。

 手元にできた地図を読むことができていない。

 けれど、ほんとうに、色々あったおかげで気づくことができた。

 その地図を、これから読めるようになりたい。

 手元にできた地図を持って冒険してみたいと思う。


「うん、いいと思うよ」


 甘く、とろりの混じった声がじんわりと広がる。

 その真っ直ぐな眼差しが、苦手だった。

 大人なくせに子供みたいに純粋に真っ直ぐに伝えようとする瞳が。

 だから、瞳をらしていたし、気づかないふりをしていた。

 でも、今は違う。

 その瞳を見ることができる。


「俺って、狭い世界だったんだなー」


 あらためて考えていたら、思わず声に出してつぶやいていた。

 その言葉は地面に転がらずにとろみの混じった甘い声が拾う。


「うーん。それはちょっと違うかなぁ。そういう世界がどっちかっていうと大多数なのよねぇ」


 そう、困ったようにユリは笑った。


「勘違いして欲しくないんだけど、どっちも悪いわけじゃないし、どっちも良いわけじゃない。

 ほーんとっ、人それぞれなのよ。

 でもさ。私に話した時には、もう、気づいたのよ。今いる世界には”続きがある”って、ね?」


 くるりと舞うユリの髪先が宙を泳ぐ。


「気づいても、通り過ぎるか、進むかはその人次第。良ちゃんは進むことを決めた。

 行く先がなんにも見えない道を歩くのってすっごい怖いことじゃない?」

「そうなのか?」

「もちろん、ただ道を歩くだけでも十分にすごいことなのよ? でもでも、ゴールが見えない道を歩くってすっごいことなのよ。私はそう思うっ!

 だからねぇー、良ちゃんはすごいぞ!」


 自分のことのように、腰に手を当て威張っている。

 それがなんだがおかしくて口元が緩んでしまう。


「さーて! 一度、かじをとったら、なかなか戻れないわよ? 世界は広くて深いのっ」


 腰に当てていた右手をかかげて、そして、横を指す。


「かの有名な教師も言ったわ。”少年よ、大志たいしいだけ”ってね?」


 どうやら、かの有名なクラーク博士の真似をしているようだ。

 ユリの姿では、威厳もなにも出ていないけれど。


「てか、俺、少年って年齢としじゃないんですけどー」


 すかさず俺がツッコミを入れると、ユリは不服そうにしつつも、すこし考えて代案を出してきた。


「えぇー? じゃあ、ボーイ、とか??」

「・・・」


 そういう問題ではない。英語にすればなんでもカッコいいとか、小学生レベルの安直さである。

 久しぶりに直撃してきたユリのズレ具合に、なんだか頭が重い。

 心なしか脳に除夜の鐘のような鈍い振動が響きはじめた。


「あー……頭が痛くなってきた」

「えっ、どうしたの? 大丈夫ぅ??

 きっと睡眠不足よ、早く寝たほうがいいんじゃない??」


 ユリは、頭を押さえてしゃがみこんだ俺に慌てて近づいてくると、ひたいをペタペタと触った。

 あぁ。ほんと、ユリといたら退屈しなさそうだ。

 退屈してたわけじゃないけど、興味がなければ流せばイイだけだった。

 でも、ユリといたらそんな風に流せない事ばかり次々やってくるし、かと言って、ほっとくワケにもいかないし。

 たぶん、これからも毎日が刺激的で、いろんな発見があることが違いない。

 ユリの地図は常に更新され、開拓されていくんだから。


「はぁぁぁぁ」

「え!?」


 急に音を立てながら息を吐き出した俺にびくりと肩を震わせたユリ。


「あー。もう、いいや。・・・ここまできたら、最後まで付き合ってくれるんだろう?」


 そう言ってやると、目の前の瞳は瞬いた。


「それはどうかしらねぇ?」

「をいっ」

「なんてねぇ。もちろん! お姉さんにまかせーなさいっ」


 花が咲き開くように、それはそれは楽しそうにユリは笑った。


 ただ、なんとなく進路を決め、なんとなく日々を送っていた俺が、将来についてこんなにも考える日が来るなんて思ってもいなかった。就活なんて、3年後なのに。いや、あと3年なのかもしれない。

 それに就活をすると決まっているわけじゃない。やりたいことによっては会社じゃない場所に行くかもしれないし、海外に行くという選択肢も出てくるだろうし。


 まぁ、焦らずに、時には振り回されながら、俺は、俺のやりたいことを見つけたいと思う。

 思い描いていた新生活とは違っていたけれど、ユリとの同居生活ルームシェアは予想外な事ばかりで、本当にままならない。不安はゼロじゃないけど、すこしワクワクしている自分もいる。

 これからどんなことが起きるかわからないし、どんな予想もきっと、想い一つでいろいろ変わっていく。

 そう思えるようになったのは、誰かさんのおかげかもしれない。口が裂けても本人に言う予定はないけど。



『お姉さんと俺 〜新生活はままならない〜』



 人々の行き交うざわめきに混じって、刺さるような視線が次から次へと飛んでくる。

 目の前には、いろどり豊かな布の物体が揺らめいている。


「ねぇ、良ちゃん。どっちの下着ブラが可愛いかなぁ?」

「意味が違ぁぁあぁぁぅっ!!!!」




ーENDー

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