「遠くへ行きたい」という思考

三角海域

「遠くへ行きたい」という思考

普段は利用しないバスに乗った。

知らないルート、知らない停留所。少しそわそわするし、わくわくもする。

乗り降りする人たち。年齢は幅広い。平日の日中。若い人は休みだろうか。それとも、なにかしらの事情だろうか。

優先席に座る老婦人。たまたま知り合いが乗ってきたらしく、声を抑えつつ楽しそうに会話をしている。


どこにだって生活がある。それを感じる。

誰かの生活に触れると、安心する。なぜだろうか。考えすぎないほうがいい気もする。


人が入れ替わっていく。

後ろの席に座った、若い女性ふたり。

日常のあれこれを話している。聞き耳をたてるのもわるいので、できるだけ意識を散らす。


バスが止まる。赤信号だ。窓の外に通りが見える。黄色く葉が染まった木々が並んでいる。綺麗だ。秋を飛ばして冬がやってきた印象だが、こうしてみると街には秋があふれている。


遠くへ行きたい。


その言葉だけがやたらと鮮明に聞こえた。後ろの席の女性ふたり。どちらかが発した言葉。

意識をそちらに向けてみる。けれど、会話はもうありふれたものになっていた。

いや、「遠くへ行きたい」という言葉だって別に珍しい言葉ではないだろう。

やたらと気になったのは、僕がその言葉に感じるなにかがあったからだろうか。


後ろの女性ふたりが降りていく。

バスが動き出す。

どうしてあの言葉だけが鮮明に聞こえたのか。


遠くへ行きたいと、僕は考えているのか?

遠く。

旅行に行きたい? いや、そういうことではないのだろうか。いまいる「ここ」から離れたいということか? それは場所・状況といったものに対して?

無自覚。もしくは、気付かないようにしていたもの。

ひとつの言葉が、自分の中にある思考をどんどん引き出していく。

知らないルートを通るバス。たいした距離を行くわけではないけれど、「知らない場所」を巡るということも、遠くへ行くことに近いのかもしれない。


バスは進んでいく。

考えすぎないほうがいいこともある。けれど、蓋をしてもあふれてきてしまう思考というのもある。たぶん、これはその類だ。

遠くへ行きたいという、いかようにも解釈ができる言葉。そうか。思考を広げるということも、ある意味では遠くへ行くということなのかもしれない。

目的の停留所まであと少し。

それまで、もう少しだけ考えてみよう。

行けるところまで、行ってみよう。

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