悔恨と苺パフェ
月ヶ瀬 杏
I
リビングのソファーに座ってSNSを見ていると、大学時代の友人の投稿がタイムラインの新着に出てきた。
『この度、ずっとお付き合いしていた人と結婚いたしました!』
そんな文面で始まる投稿には、先週の日曜日に私が参加した結婚式の写真が何枚か載せられている。
手作りだというリングピローに並ぶ、おそろいの結婚指輪。サムシングブルーの言い伝えを取り入れたという、青色の小花がちりばめられたウェディングブーケ。自然光が差し込む、明るくてかわいらしい雰囲気のチャペル。バージンロードを歩くときにも後ろ姿が美しかったロングトレーンのウェディングドレス。新郎の隣で終始幸せそうな笑顔の友人。
それらの写真を見ていると、一週間前の結婚式がまるで昨日のことのように思い出された。
《
友人の投稿にそんなコメントを送ると、すぐに返事がきた。
《先週は来てくれてありがとう! 来月の
律儀な友人は、大学を卒業してから数年経った今でも、私の誕生日を覚えてくれている。
《ありがとう!》
「なに笑ってるの?」
ふふっと笑いながら由佳にメッセージを返していると、
「SNSで由佳とやりとりしてたの。先週、結婚式に出てきた大学の友達」
「ああ、この前写真見せてくれた」
「そうそう。この子、私の誕生日を毎年ちゃんと覚えてくれててね。いつもおめでとうのメッセージくれるんだよ」
「ふーん。優しい友達だな。大事にしないと」
「うん」
頷くと、達也が私の頭をふわりと撫でて笑った。
「誕生日ケーキ食べよっか。今日は俺がコーヒー淹れるね」
そう言って、達也がキッチンのほうに歩いていく。
今日は私の25歳の誕生日。だから、達也が私のお気に入りのケーキ屋さんの誕生日ケーキを予約してくれていた。
ソファーから立ち上がった私は、幸せな気分で達也の背中を追いかける。
達也は、私の婚約者だ。来月の大安の日曜日に結婚式を挙げることが決まっていて、二ヶ月ほど前から一緒に暮らしている。
「都ー、フォークとお皿出して」
「はーい」
テーブルに食器を用意して四号サイズのホールケーキを出すと、達也が蝋燭に火をつけてくれる。
「都、誕生日おめでとう」
「ありがとう」
ケーキの写真を撮ってから、蝋燭の火を吹き消す。
達也とふたりで仲良くケーキを食べてから、私は撮ったばかりの写真をアプリで加工した。
《25歳になりました! 今年は特別素敵な年になりそうです》
私の結婚を知っている人だけに匂わせるような一文を添えて、誕生日ケーキの写真をSNSに投稿する。すぐに反応してくれる友人達からのコメントに応えていると、DMが届いた。
苺のパフェのアイコンの、フォロー外のアカウントからだ。
イタズラの可能性を考えて開けずに削除しようかと思ったけれど、Masanoriいうアカウント名がひっかかる。
少し迷ってからDMを開いた私は、思わず目を瞬いた。
《都、25歳のお誕生日おめでとう。いつも都の幸せを願っています。父より》
DMの送り主が父を名乗る人物だったからだ。
スマホを手に固まっていると、達也が不審そうに横から覗き込んでくる。
「どうしたの?」
「あ、うん……。お父さんから誕生日おめでとうってDMがきた」
戸惑いながらスマホを見せると、達也が「え?」と顔いっぱいに不審感を露わにする。
「お父さんってたしか、都が中学に上がる前に離婚してるんだよね?」
「……うん」
達也の言うとおり、両親は私が小学校五年生のときに離婚している。離婚の理由をはっきりと聞かされたことはないけれど、私はあたりまえみたいに母の方に引き取られた。
離婚したあと、父とは年に一、二回設けられた面会日に会っていた。
最後に会ったのは、中学三年のとき。もう十年くらい前のことで、今は父の顔もなんとなくおぼろげだ。だが、父の名前が
DMの相手は、ほんとうに父なのだろうか。
苺のパフェのアイコンとMasanoriというアカウント名。それらを見つめて考え込んでいると、達也が私の手からスマホを奪った。
「怪しいと思うなら返信したらダメだよ。お母さんにも聞いてみたら? 最近、お父さんに連絡とったかどうか」
「そうだね」
心配そうに私を見つめる達也に曖昧に笑う。
けれど、どうしても気になってしまうのは、父と最後に会った日の別れ方に心残りがあるからだ。
***
中三の夏休み。私は母に言われて、家から電車で三十分の場所にあるカフェで父と面会をした。
父が指定してきたそのカフェは、SNS映えする巨大パフェが食べられるという店だった。
私が店に入ると、先に来ていた父がニコニコしながら「都」と手を振ってきた。
父はどちらかと言うと年齢より若く見えるほうだ。それでも、若者や女性客メインのカフェにひとりで座る中年男性というのは、店の中で少し不自然に浮いている。私はなんだか恥ずかしくて、顔を隠すように俯いて店内を歩いて父の前に座った。
「ひさしぶりだな、都。元気にしてたか?」
「まあ……」
ニコニコしながら話しかけてくる父に、無愛想に頷く。
父はそんな私の態度を咎めるふうもなく、「そうか」と言って、私にカフェのメニューを差し出した。
「今日は、都と一緒にこれが食べたいと思って誘ったんだ」
父が指差したのは、苺と生クリームがたっぷりの巨大パフェ。甘いものが好きな私でも、食べ切れるかちょっと不安になるくらいに大きい。
「これ、ふたりで食べるの?」
「嫌か?」
「嫌ではないけど……」
「じゃあ、これにしよう」
私の微妙な反応に気付いているのかいないのか。父が、そばに来た店員に苺の巨大パフェと自分用のコーヒー、それから私用にアイスティーを注文する。
小学生のときに母と別れた父に関する情報を、私はあまり持ち合わせてはいない。でもなんとなく、父が甘いものがあまり好きではないことは知っている。
それなのに、どうして急に巨大パフェ……? 夏の暑さで、味覚がちょっとおかしくなったんだろうか。
不審に思っていると、私たちのテーブルに巨大パフェとドリンクが運ばれてくる。
コーンフレーク、苺ジャム、生クリーム。大きなグラスにそれらが何層にも重なったパフェが、父と私のあいだに置かれた。パフェの一番上には、ストロベリーアイスと苺と生クリームがたっぷりと載せられていて、見るからに甘そうだ。
美味しそうだし、見た目も映えるけど、食べ切れるかはわからない。
巨大パフェを前に呆気にとられていると、父が柄の長いパフェ用スプーンを手渡してきた。
「都は小さい頃から苺が好きだったよなあ」
父がなつかしむように目を細めて、クスリと笑う。
「何ヶ月か前に、旅番組で苺狩りに行ってるのを見たんだ。それを見てたら、都が小さいときに一緒に行ったことを思い出してね。口の周りを汚して必死に頬張ってたのが可愛かったなあって」
いつの時代の話だ。父に限らず、母や親戚から幼いときのことを聞かされるのはなんとなく気恥ずかしい。
「で、今日はここに?」
微妙に外した視線の端で、父がニコニコしながら頷いた。
「ほんとうは苺狩りに誘いたかったけど、今は時期じゃないしね。今年の夏は都もあんまり時間がなさそうだし」
「まあ、そうだね」
受験生の私は、塾の前の数時間で父に会いに来ていた。父との面会が終われば塾の夏期講習だ。
たとえ受験生じゃなくても、父とふたりで苺狩りなんて行くわけない。だって私はもう、夢中で苺を頬張る小さな子どもじゃない。
「食べようか」
「あ、待って。写真撮る」
パフェにスプーンを入れようとする父を制止して、スマホで写真を撮る。角度を変えて何枚も写真を撮る私を、父が不思議そうに見てきた。
「そんなにたくさん撮ってどうするんだ?」
「加工してSNSにあげる。お父さんも撮っとけば?」
「お父さん、SNSはしてないけどな」
適当に薦めたら、父も笑いながら写真を撮った。
「都、志望校は決まってるのか?」
ふたりでパフェを食べ始めると、父が私に質問をしてきた。
「まあね」
「そうか。勉強は捗ってるのか?」
「うーん、そうだね」
ここ最近は、面会日に父と会ってもあまり会話は弾まない。父がいろいろと質問してくることに、私が「まあ」とか「うん」とか答える。
離れて暮らして日にちが経つほど、父との距離感がわからなくなるし、どうせ次はまた半年先まで会わないのに、余計なことを話してもムダな気がする。それに、思春期っていうのもある。
だけど、私がどれだけつまらなそうな態度を取っても、父はずっとバカみたいにニコニコしていた。
甘いものが苦手な父はパフェにはあまり手をつけなくて、巨大パフェはなかなか減らない。
これがなくなるまで、会話がもつかな。そんなことを思いつつスプーンを口に運んでいると、私を質問攻めにしていた父が黙った。
ついにネタ切れか。チラリと視線をあげると、父が「実はな」と遠慮がちに口を開く。
「お父さん、再婚しようかと思ってる」
突然の報告に、一瞬思考が止まる。
「……へ?」
「再婚……、するんだ」
「……へえ」
ふたたび思考が動き出したときには、巨大パフェへの食欲が失せていた。
今日の父との面会日を少し面倒くさいと思いながらここに来たのに。ニコニコしながら質問攻めにしてくる父におざなりな返事ばかりしていたのに。
再婚するという父の言葉に、胸がチクリとした。なんだか急に、私のほうが見捨てられたような気持ちになったのだ。
こういうとき、なんて言うのが正解なんだろう。おめでとう? 相手はどんな人? もし私がもっとおとなだったら、そんなふうに気の利いたことが言えたのかもしれない。でも、私にはできなかった。
「そっか。じゃあ会うのもこれが最後かな」
皮肉っぽく笑ってそう言うことしかできなかった私は、もう苺を頬張る小さな子どもではないけれど、やっぱりまだ充分に子どもだった。
「私、そろそろ行こうかな」
「まだ残ってるよ」
スプーンを置いて立ちあがろうとする私に、父が声をかけてくる。
「こんなの、食べ切れるわけないでしょ。私、これから塾なんだ」
「……そうか」
私を見上げる父は、もうニコニコしていなかった。困ったような、寂しそうな顔で私を見つめている。
「都、お父さんは――」
「私、行くね。バイバイ」
なにか言いたそうな父を無視して、席を立つ。私はそのまま一度も振り返らずにカフェを出た。
それ以来、気まずくて父とは会っていない。そのあと何度か母宛に面会日の連絡が来たけど、適当に断っているうちに父は連絡をしてこなくなった。
諦めたのか、私のことなんてどうでもよくなったのか。真相はわからないが、父からの連絡が途絶えたとき、私はまた見捨てられたような気持ちになった。
父の再婚を知ったとき、私はほんとうは怖かったのだ。父にとって、自分が価値のないものに成り下がるような気がして。
不遜な態度を取っても、年に数回しか会わなくても、私に取って父はやっぱり父で。苺を頬張っていた小さな子どもの時から、だいすきな人だったから。
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