花街の呪術師 ~用心棒の少女は、美しい鬼に溺愛される~

@fujimiya_hare

一章 初めまして旦那様

【1】遊郭〈夜鷹〉の用心棒

「お買い上げいただき、ありがとうございます、旦那様。今後とも末永く、よろしくお願いいたしますね」


 呆然とする少女に、男は跪いて希う。

 男は若い。二十に手が届く頃だろうか。

 恐ろしいほどに整った美貌の持ち主である。

 襟足の長い黒髪は濡れたような艶があり、赤い瞳は夕焼けを落とし込んだ鮮やかさと深みがある。

 長身でやや細身な体躯が纏うのは、彼のために誂えられたのだろう、黒を基調とした質の良い反物から作られたと思しき着物だ。

 目元を細め赤いくちびるを緩めたその柔らかな微笑みは、老若男女を問わず多くの人間を惑わせるだろう。

 彼が歌うように睦言を紡げば、瞬く間に堅牢な心も陥落させられるか。

 彼の白い手が、少女の手首を絡めとり、手の甲に甘い接吻を落とす。


「一夜と言わず、生涯。わたくしの躰も心も、すべて、貴女に捧げましょう?」


(えっと…‥どうして、こうなったのだ?)


 少女――ヒバナは天を仰ぎ、自らの行いを振り返る。


 ***


(何故わたしは、このような雑用を押しつけられているのだろう……)


 細い両腕が抱くのは、大量の酒瓶。

 相当、重い。ヒバナはついつい音を上げかける。

 しかしそれは、用心棒として情けない。辛い、重いの一言をぐっと飲み込んで、その代わりに溜息をひとつこぼした。

 ヒバナは遊郭〈夜鷹〉の用心棒である。下働きではない。

 それにも関わらず、何故雑用を任されているのか。

 それは遊郭の主の、我儘のせいである。

「おいヒバナァ、暇してんなら酒買ってこいよ酒」と金を投げられ頼まれれば、拾われた恩義がある身のヒバナは、雇い主に強く出られない。

 それでも、用心棒を名乗る以上、それに見合った仕事がしたいのだ。

 憤慨しつつも足を運べば、酒瓶はちゃぷん、と音を立てて波打った。

 大通りは延々に続くかと思わせるほどに、長い。

 商店街は殆どが戸を閉めていた。開店時間にはまだ早すぎるのだ。

 ヒバナはおもむろに、大きな硝子戸の前で足を止める。

 雑貨屋だろうか。中に飾られている品物は懐古趣味な時計や着物、鞄や耳飾りなどと、節操がない。

 だが、ヒバナが目を惹かれたのは商品ではない。その硝子戸に映し出された自らの姿であった。

 鏡に映る『少女』は、まるで良家の坊ちゃんのような装いだと、ひとり、苦笑する。

 ヒバナは半年前に、十七の齢を迎えた。

 凛とした顔立ちには、未だ幼さが残る。

 幼顔を包むのは肩口で切り揃えられた長い黒髪。宵に溶けるような黒髪と瞳は、東都の民の特徴の一つでもある。

 色素の薄い肌は、時には青白いとも形容され、同世代から馬鹿にされることも少なくはなかった。年齢には見合わず、小柄な体躯が恨めしい。

 牡丹と金の蝶に縁どられ、袖口が鮮やかな意匠の黒の着物は、材質やつくりからして一目で良質な衣装だと判断できるだろう。窓の内に置かれた着物にもそうそう引けをとらない。

 そして、腰に差す脇差は長年の相棒。

 ヒバナはこの刀で、娼婦たちに無体を働く狼藉者や『化け物』を何度も切り捨ててきた。

 つまり。


「うう……。買い出しをする用心棒なんて、格好がつかないぞ……」


 サクヤの馬鹿、飲んだくれと、恨めしげに愚痴りながら、ヒバナは硝子戸を離れた。

 大荷物を抱えながらも、確かな足取りの少女に目をくれることもなく、大通りはどこらかしこも開店準備で忙しない様子だ。

 雇われ人たちは各々、慌ただしく動きまわっていた。

 ヒバナは彼らの邪魔にならないよう、ちょこちょこと器用に避けながら帰路につく。

 夕暮れ時の茜色の空の下で、くすんだ白色の街灯がゆらりと光を放っていた。

 それは石造りの壁を照らし、長年の汚れや傷を浮きださせている。

 直線に引かれた大路、その遥か彼方の地平線の向こう側に陽が沈んで、闇色が濃くなる時限にもなれば、色とりどりの灯篭が灯されて、街は最も明るくなることだろう。

 その時この街は、他の街と比べ物にならないほどの賑わいを見せる。

 もう一刻もした後に、街の外から人波が、どっと押し寄せるのだ。

 ヒバナは夕日と街の明るさに、黒い双眸を眇めた。

 そのきらきらとした輝きに、視線を奪われる。

 こんなにも美しいのに、平楼京東都――ヒバナの郷土は「汚れた大人の街」と揶揄される。

 大陸南部に栄える強国、マドラプタ神聖帝国支配下の小さな港街。大陸と海を挟んで遠方、東の島々の文化が混じり合い、独特異種の生活様式が作られた。

 かつては貿易の要として、朝から晩まで、繁華街の賑わいが大陸中に轟くほど有名であったらしい。

 ところが土地柄が仇となり、ある時、戦火を恐れた移民たちが東都の街に逃げ込んだ。

税という目先の甘い汁に唆された街の支配者、つまり高位貴族たちはとりたて深く考えもせず、喜び彼らを迎え入れた。

 だが仕事も住居も限りある。

 いつしか働き口や家を無くす者もでてきたが、それに気づかないふりをして、支配層たちは税で私腹を肥えらせていった。

 次第に、貧富の差は開き始める。

 特に、貧しいものは堕ちるところまで堕ちた。

 窃盗や殺人は日常茶飯事。治安の悪化で客足は一気に遠のいた。

 さらに、大陸では戦争によって幾多もの国が荒野となり、そこに新たな路が作られるようになったのだ。

 関税もなく、最短の道のりが確保されると、行商人たちは大層喜んでそちらを選ぶ。

 そして、貿易の要は人々より見向きもされなくなった。

 その頃になってようやく、高位貴族たちは事の重大性を理解し始めたのだ。

 街の退化を食い止めるため、というよりは保身のために、高位貴族たちは日夜奔走した。

 幾多ものモデルケースを案じては、失敗に終わった。

 この街は終わりだ、と離れるものもいた。

 ほとんどの支配層が東都を見限って、後に残ったのは一部の貴族と、東都の原住民と、増え続ける移民だ。

 特に、昔から東都とともに生きてきた平民たちは、当然のように生まれ育った街を捨てるという選択はなく、どうにか共存の道を考えた。

 彼らによって編み出された一案は、東都を『夜の街』に作り替えること。


「東都の古き歴史を汚すつもりか!」


 と、残った高位貴族からは、散々非難を浴びたらしい。

 だが、平民も愚かではない。


「歴史もなんも、どんどん移民を受け入れた港町に、古き良きものなんて今さら残ってるわけないだろ、馬鹿言うんじゃねえ!」


 と一喝されれば、返す言葉もない。

 奇跡的にも、近隣街の優秀な投資家の助力を得て、東都は変革を遂げた。

 根本的な支配制度――貴族による政治が覆ることはなかったが、紆余曲折を得ながらも、結果的に、その計画は街に思いもよらぬ成功をもたらすことになる。

 もとより交通の便は悪くなく、客人たちを受け入れる土台はできていた東都の在り方は著しく変化し、今日び、東都は夜の歓楽街として名が知れるようになった。

 東都には重ねた、長い長い歴史がある。それが必ずしも正しい道のりを辿ったとは言い切れない。

 今はすっかりと変わり果てた街でも、ヒバナにとって、大切な郷土だ。自らも歴史の一部として生涯を添いとげ、いずれ、東都に骨を埋めることに誇りを持っている。

 ヒバナは鼻歌交じりに、雇い先へと歩みを進める。

 東都の夜はもうすぐ、そこまで迫っていた。


 ***


「〈悪死鬼〉が出たぞ!」


 叫びに続き、裏通りから響いた悲鳴を耳にして、ヒバナは酒瓶をその場に置くと、一目散に駆け出した。

 危険から逃げるのではない。倒すためだ。

 これはヒバナの用心棒としての性分だった。

 余計なことに首を突っ込むな、と雇い主からは散々言い聞かされているけれど、躰が勝手に動いてしまうのだからしかたがないと、今では開き直っている。

 通りから外れた裏の小径は、時として目的地への近道となり得る。

 しかしそこは、帰る家を持たぬ浮浪者、『家無き者』たちの溜まり場だ。

 身を守る術のない、無謀な観光客が足を踏み入れれば、たちまち彼らの格好の餌食となるだろう。

 裏通りにはいつのものとも知れぬ死体が、ゴロゴロと転がっていた。

 耐え難い腐臭に顔を顰めながら、ヒバナは注意深くあたりを観察する。

 物陰に潜んだ家なき者たちの視線が、ねっとりと絡みつくようだった。


(〈悪死鬼〉は、どこにいる?)


 腐臭に混じる、血の匂い。

 ヒバナはそっと、脇差に手を添える。

「ぎゃああ!」と断末魔のような叫びを耳にして、駆ける速度を上げた。


(いた!)


 行き止まりになった、路地。

 鮮血が大きな水たまりを作っている。

 その中心には、〈悪死鬼〉のおぞましい姿があった。

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