シュナの抗戦

雪田 八朔

第1話 金の眼

 石造りの無骨な城塞を、夕焼けが茜色に染める。古びたカストラに趣が足され、感じさせる歳月にシュナはほうと嘆息した。


 煉瓦でできた灰色の壁が、大公領を円形にぐるりと囲む。王領の城塞に比べると、秩序なく積み重ねられた煉瓦は所々にヒビが入っており、今この瞬間に瓦解しても何の不思議はない。

 それ程にはくたびれた城塞であるのだが、食糧や休息地を提供する野営地として、行軍中の王国軍が度々訪れることがあった。


 帝国軍が侵攻してくるよりも前に、王国軍は瓦礫の下敷きになって滅ぶのではないか。

 そんな不安が、指先に触れる冷たい石から伝わってくる。


「シュナ、壁など見つめて何をしている。早く来なさい」

「すみません。只今参りますわ」


 白髪の中年男性に大声で呼ばれ、シュナは酒瓶を持つと急いで傭兵の集団へ駆け寄った。


 城塞の外には煉瓦が低く積まれた長方形の囲いがあり、その囲いから少し離れたところには簡易的なテントが立てられている。

 何やら今日は彗星が見えるだの王都より星が綺麗に見えるだのという妙な理由で、傭兵たちは宴を催していた。


 特に何の戦果を挙げたわけでもないのに、随分お気楽なものだ。

 胸の内でそう毒づきつつ、シュナはキュッと口角を上げる。


「お勤めご苦労さまです、王国軍のお方! お酒を注がせていただいても?」


 近くにいた男に溌剌と声を掛け、隣に腰を下ろす。

 しかし男は肩を震わせると身をよじってシュナから若干の距離を取り、曖昧な笑みを浮かべた。


「こ、これはこれは。大公ユハイジャ殿の娘御ではございませんか」

「あら、わたくしをご存じで? シュナと申します」


 男の微細な恐怖心を、シュナは慣れた心持ちであしらった。


 シュナの父ユハイジャは、王国の東部一帯を占有する大公である。その権威はカレンシャ国の王と双肩するほど強大なものであり、大公と国王は昔から良好な関係を築いているとは言い難い。

 しかし男がシュナを恐れる理由は、その少女が戦神ユハイジャの一人娘であるからではないということを、シュナは当然のものとして知っている。


「皆様と、良い関係を築けたら光栄ですわ。良いお酒を手に入れましたの。お近づきの証に、宜しければ──」

「い、いいえ! 俺らはただの一兵卒ですから、シュナ殿から酒を頂くなんてとても畏れ多く……」

「あ、そうです?」


 さっと酒瓶を持ち上げる。


「はい、はい! それはもう。あちらのテントに大公殿と上官がいらっしゃるので、そちらに行かれた方が宜しいかと存じます!」

「承知致しましたわ。要らぬお節介を、どうか叱らないで下さいませ」


 再びニッコリと微笑み、物腰の低さとは相反してシュナはさっさと席を立つ。助言に従い、テントを煌煌と照らす松明の明かりへと足を動かした。

 その背後で、傭兵たちが様々に嘯く。


「──あの娘はいつ見ても恐ろしいな。明るい所ならば心構えもできるってもんだが、こう暗い中声をかけられると、ドキリとさせられる」

「まさかお前、あの女に惚れちまったか?」

「馬鹿野郎、つまらない冗談を言うな。祟られたらどうする!」

「はは、惚れる男がいるなら称賛したいね。異様なまでに白い肌、鉛白よりも色の抜けた長い髪。おまけに目は真っ赤な血の色ときた! 顔はあまり見ないくらいに整っちゃあいるが、むしろそれが恐ろしい」

「ああ、ありゃあ物の怪の類いだ」


 散々な言われようだが、どの酷評もシュナには響かない。幼い頃は自身の異質な外見を多少は気にしたものだが、十九年も生きていれば諦めもつくというものだ。

 

 酒瓶を持ったまま少し腰を屈め、入口を閉ざすザラザラした重たい布を持ち上げる。

 大酒飲みの年寄りの談笑が、一瞬ピタリと止まった。


「シュナですわ。父上、それに兵曹長殿。お邪魔いたします」


 細く低めのその声に、再び笑い声が響き渡る。


「おお! 来たか、我が娘シュナ。お前は何時いつも儂らを無駄に驚かせる」

「申し訳もございません」

「まあ良い。折角だ、この方々に酒を注いで差し上げなさい。酌をする女がお前というのはなんとも心許無いが、しかし女が注いだ酒は別格というものだ」

「ふふ。とんでもないですわ」


 年寄りたちは流石に長く生きているだけあって、多少の物の怪には動じない。

 シュナは丸い目で形の良い三日月を作り、手招きされるがまま最奥の年寄り──もとい兵曹長の横に腰を下ろした。

 曹長は注がれた酒を一気に飲み干し、抱き寄せたシュナの細い肩をバシバシと叩く。


「なあユハイジャ。お前の娘は身体だけは良く成長しているが、この見た目はどうにかならんのか。抱けるものも抱けぬわ」

「やあこれが、儂にも道理が分かりませんな。妻にも儂にも似ておらん。男でないなら、せめて女として役に立てと言うものよ」

「まあそう言ってやるな。息子のヤナマのことは残念だったが、これも気立ての良い娘ではないか。今年で十九だろう。多少行き遅れてはいるが、この器量だ。嫁の貰い手がつけば、婚礼金が手に入るやもしれぬぞ」


 その言葉に、ユハイジャは大きくかぶりを振る。


「それを貰おうなどという好事家は、この広い大陸を隈なく探したとて見つかるまい」

「はっはっは! 案ずるな、カレンシャはこれからもっと大きくなろうよ」


 この穀潰しの傭兵どもは、王国を破滅へ導けども伸長はさせないだろう。シュナの兄ヤナマに比べれば、彼らは矜持も野望も持たないただの屑だ。

 そう考えておきながら、シュナは良い笑顔で酒を注いでいく。


「いっそ、我が軍の娼婦として働くか」

「まあ。この鮮血のような赤い目では、殿方を驚かせてしまいますわ」

「それもそうか。いやしかし、よく見ればその器量だ。勿体ない……」

「とんでもないですわ。ええ、わたくしなどにはとても務まりませんもの……」


 刻々と夜も更け、外からも中からも大きないびきが聞こえ始める。

 城塞の内でもないのに長年の泰平に腑抜けすぎだ、とシュナは一人ため息をついた。


「〜〜!! ──掃しろ!」


 ウトウトと睡魔が瞼を操り始めた時分、外からくぐもった声が耳に入る。


(……? 何かしら、随分外が騒がしいわ)


 眠い目を擦りながら床で雑魚寝する年寄りどもを避け、入口を閉ざす布へ手を伸ばす。


 シュナが開けるより先に、乱雑な手つきでバサリとテントが開かれた。

 肌寒い外気とともに、外の光景も目に入る。


 先ほど見た傭兵の、倍近い人数の騎士がいる。倒れた松明の火が移り、他のテントは明るく燃え盛っていた。


「え」

「ここにいる奴らは一掃しろ! 民家には被害を出すな!」

「えっ?」


 シュナの理解など待たずに、タン、タン、とテント内に向かって矢が射られた。

 気づけば既に、先ほど矢鱈と触ってきた上官は頭部を射抜かれ、父は腿と胸部を射抜かれている。


(……襲撃? 応戦、……)


 武器にしようと、上官の胸元に刺さる矢を引き抜く。しかし鏃が体内に取れてしまい、僅かな助けにもならない細い棒のみが手の内に残った。


(……あの外套の鷲の文様は、我が永遠の仇、帝国軍だわ。早く、立たなければ)


 しかし脳の指示とは逆に、手も足も動かない。鏃の取れた貧相な矢を握りしめ、死体の中で座り込むばかりだ。


『──だから、女などただの穀潰しだ』


 父ユハイジャの言葉をふと思い出した瞬間、シュナの二の腕を矢が貫いた。

 

「ぐっ……」

 

 その鋭い痛みにシュナは我に返ると、細い棒を握りしめて外へ駆け出した。

 しかし足を踏み出してすぐ転がる味方兵の死体に足を躓け、前面から盛大に倒れ込んでしまった。


「……う……」


 勇気の足しにもならない冴えない棒を地面に突き立て、よろめきながら立ち上がる。

 顔を上げると、帝国軍の男と目が合った。


 暗闇にも溶けない濡れ羽色の髪に、狼のような金の瞳。


 その双眸につと息を呑んだ瞬間シュナは脇腹を射抜かれ、深い闇へと意識を沈めた。

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