詐欺られアリスと不思議のビニールハウス
鈴埜
1.アリス・イン・ワンダーランドね
小さなキッチンの籠の中を覗いても、何もない。何度見ても、それは変わらない。採集の時に何か食べられるものでもと思ったが、子ウサギを狩る気力も湧かなかった。ただ、とにかく薬の品質だけは落としたくない一心で、鮮度の良いモリス草だけは確保した。
顔見知りの門兵に挨拶をすると、顔色を心配された。
家の近くのパン屋のいい匂いに卒倒しそうになりながら、なんとかその場から離れた。
そしてやっと帰宅したときには、太陽が上まで来ている。
とりあえず水を飲み、最初の下処理だけは終わらせ、こうやってキッチンで絶望しているのだ。
「何もない」
食べるものが、何も、ない。
キッチンの奥には倉庫が二つある。一つは薬草類の保存用だ。こちらにはよく出入りし、常日頃からその質を落とさないよう気をつけている。
倉庫の管理は、今は亡き祖父にこれでもかというほどキツく言い渡されている。
もう一つは使わなくなった物をとにかく入れてある倉庫。冬には食料庫として使うが、初夏の今は空っぽ。な、はず。
「……何か残ってるかも?」
アリスはそうつぶやくと、倉庫のノブに手を掛けた。
冬に祖父が急死して半年。バタバタと自分の周りがめまぐるしいほど変化していく中、この倉庫を開けた覚えがない。
「瓶詰めでもないかな……」
もう、五日何も食べていない。お金がないからご飯が買えない。店の商品は売れたが、素材の支払いと、新しい瓶を購入したら消えた。いや、金はあったのだが、イライザが……。
店舗の方を振り返り、カウンターの横に置いてある壺を思い出す。
いや、今は瓶詰めがあることに賭けるしかない。
現金がない。ご飯が買えない。
ドアノブに手をかけると、指先にぴりっと痛みが走る。
驚いて手を引っ込める。
雷の精霊? 冬場はよくこういった現象が見られるが、初夏には珍しい。
もう一度触ってみるが、先ほどのような痛みはなかった。急に冷たい金属に触って、感覚がおかしくなったのかもしれない。
アリスはもう一度ドアノブを掴み、回して手前に引く。
ぶわっと暖かな、風を受け、さらには外のような明るさにめまいがする。
倉庫の奥は暗く、この街は夏もカラっとした陽気なので湿気がこもることなくひんやりしているはずだ。
それなのに、目の前の光景にアリスは呆然とする。
自分の家の倉庫よりもずっと広い空間。天井は何やら半透明の幕が張ってある。そして、暑い! むわっと湿気が押し寄せてくる。その中にたくさんの植物が繁茂していた。
あまりに現実離れした光景に、アリスはそのまま、倒れた。
「トシさん、目が覚めたようよ」
おでこがひんやりとしていて気持ちいい。暑いが、風がこれでもかと自分を襲ってくるのでそこまで不快ではない。
ぼんやりと目の前に在る姿に、アリスは黙り込む。
そしてまた陰が差し、さらに見えた姿に声を上げた。
「おじい!?」
がばっと起き上がると、相手は驚いて身を引く。
が、違う。おじいじゃない。半年前に亡くなった、祖父ではなかった。
「おじいさんには間違いないわねえ」
ふふふと、最初に言葉を発していたであろう老婆が笑う。
「えっ? え??」
「お嬢さん大丈夫? まずこれ飲んでちょうだい。ここは暑いからね。外に運びたかったんだけど、頭を打っていたら嫌だし、様子を見ていたのよ」
差し出されたコップを言われるがままに受け取る。
「自家製のレモネードよ。甘酸っぱくて美味しいし、汗をかいた分も補えるから、ささ、飲んで?」
汗をかいた分も、あたりで、強烈な喉の渇きを感じた。
遠慮無くいただくことにする。少し飲んで、一気に飲み干した。
「あらあら、お代わりいる?」
頷くのと同時に、お腹が鳴った。それはもう、盛大に飢えをアピールした。
「まあ、ちょうどご飯の支度をしていたのよ。トシさん、わたし、おうちからご飯を持ってくるわ」
「おう! レモネードは俺が入れとくよ」
老婆というのは失礼だろうか。それでも髪に白い物が盛大に混じっている。それなりに年を取っている証拠だ。
「ほら、飯はスミレさんが持ってくるから、お前はこれを飲んでおけ。それで、頭がしゃきっとしてきたら、こいつがどうなってるのか教えてくんな!」
顎をくいっと、アリスの後ろに向かってあげる。
二杯目のレモネードを受け取りながら、アリスは座ったまま後ろを向いた。
そこには、扉の向こうに私の家の風景が見えていた。
「どさって音がしたから何かと思って来てみたら、本来何もないところに見知らぬ扉はあるわ、お前さんは倒れているわで、俺もスミレさんも大慌てだよ。しかもあの扉の向こうには俺たちは進めないときた」
えっ! とアリスは立ち上がり、扉に駆け寄る。
その空間に手を入れると……通れる。
「やっぱりお前さんは行けるんだな。ほら、見てみろ」
アリスの隣に立った老人は真っ直ぐ手を伸ばすが、途中でピタリと止まる。
「な? 俺はここまでだ。んで、スミレさんが扉が閉まったら困るだろうって、今ドアノブはほら、ああやってひもでくくりつけてるから、とりあえず自然に閉まることはないよ。座っとけ。熱中症か?」
聞いたことのない言葉にアリスは首を振った。
「さっきおじいって言ったろ? 俺の言葉はわかってるんだよな?」
「……はい」
「外国人みたいななりしてるから、外国語だったらどうしようって話をしてたんだが、日本語が通じて良かったよ。スミレさんは英語はいけるが、俺は日本語一辺倒だからなぁ」
アリスは手首を出し入れしながら、老人の言葉を右から左に聞いていた。
「ほら、とりあえず座りなよ。そこのブルーシートに。扇風機に当たってろ。何せ、ビニールハウス内はかなりの気温と湿度になるからな。今はあっちの扉開けて、換気扇もフル稼働だからちったあましだがな」
「ビニールハウス?」
「なんだ、ビニールハウスも知らないのか。こりゃ、スミレさんの言ってることが当たってきたか」
老人は自分も透明のふわふわしたなんとも不思議な触り心地のコップに、レモネードを注ぐ。
「俺の名前はトシキ。さっきまでいたのはスミレ。俺の連れ合いだ」
「トシキさん……」
「トシでいいよ」
「トシさん、スミレさん……私は、アリスです」
「あらあら、アリスですって。ふふふ。アリス・イン・ワンダーランドね」
大きな籠を二つ。両手に持って、スミレが現れる。トシは立ち上がって一つを受け取った。
「さあ、ちょうどわたしたちもお昼の時間だったのよ。一緒に食べましょう」
アリスのお腹がぐうぅっと鳴った。
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