*


「ぶっちゃけ、どう思う、お兄」


「はあ、はあ、何が……」


 裏山の道は確かに、ケイビングに来る客も多いからか、割と整備されていた。


とはいっても、あくまで登山道として多少形になっているという程度で、普段特に運動をすることもない忠にとっては獣道と大差ない。


 中腹辺りに見えるのが蔵だろう。本邸とはさすがに比べ物にならないが、ガラクタを詰めておくだけの倉庫というには随分と立派な造りをしているように思えた。


「何って、おばあちゃんのことだよ。どうして毒を盛られたんだと思う? 叔母さんも言ってたじゃん。おかしいでしょ、これから長くないおばあちゃんをわざわざ殺そうとする理由って、何?」


「そんなん、この町に来たばっかの俺らにわかるわけないだろ……」


 確かに、不可解は不可解だが。


諦めと共にそう言うと、「お兄、ちょっと薄情じゃない」と陽葵が顔を顰めて言う。「普通、自分のおばあちゃんが殺されそうになったって聞いたら、何が起きたのか知りたいと思うでしょ」


「まあ、そりゃそうかもだけどさあ」


 とはいっても、忠は陽葵のように、積極的に何が起きたのか知りたい、とは特には思っていなかった。むしろ、血の繋がった祖母とはいえ会ったばかりの人のため、殺人未遂と言われてどう反応していいか困る。


いつ死んでも知れない、と言われてここまで来たのだから尚更で――そもそも忠も陽葵も、見舞いのあとは葬儀に参列することになるかもしれない、という覚悟もしてここまで来たのだ。


「じゃあお前はどう思うんだよ。どうしておばあちゃんは殺されそうになったんだ?」


 聞きながら、忠は申し訳程度に道に張られている小さな柵の向こうをちらと見る。道の向こうは崖というほどでもないが、切り立つような急斜面で、転げ落ちたら死ぬなと思った。斜面の下には川が流れている。水の流れはそこそこ速そうだ。


「そりゃあ、決まってるよ。おばあちゃんの最後の言葉が関係してる」


「……、『カカ様』の『祟り』?」


 そう、と陽葵が頷く。先行していたはずの妹は、いつの間に戻ってきていたのか、忠の隣を歩いている。


「はー、馬鹿らしい。祟られて毒殺未遂はないだろ。怨霊が毒を使うってか?」


「違うよ、そりゃ人の仕業なのは間違いないでしょ。――おばあちゃんは『カカ様』って言ったから毒を盛られたんだよ。『カカ様の祟り』について言葉にしちゃいけなかった。その話について、詳しく調べられたら困る人がいたから」


「口封じされそうになったって?」


「そう」


 馬鹿馬鹿しい、とまた言い掛けて、忠は口を噤んだ。――確かに、祖母は『カカ様』と口に出してすぐ、昏睡状態になった。京嶌家の面々が、『カカ様』とやらの話なぞ聞いたことがないと口をそろえて言っているのだから、祖母は今までこの町に――あるいはこの家に――『カカ様の祟り』があるなど口にしたことがなかったのだ。


忌み詞、という言葉がふと忠の頭に浮かんだ。口にしてはいけない言葉。祖母は口にしたから、毒を盛られた――。


「……わたし、おばあちゃんが起きたら直接聞いてみる、って言っちゃったでしょ?」


 陽葵の視線は足元に落ちている。そして、そのまま立ち止まった。


「『カカ様』についてさらに詳しく調べるつもりがあるって、宣言した。……だから、おばあちゃんに何か話されたら困ることがある人間が、おばあちゃんに毒を盛ったんだよ」


 忠は立ち止まったまま俯く妹を見下ろした。


陽葵は昔から整った顔をしている。青みがかかった目は大きく、鼻筋が通り、肌は白い。母に似ていると父はいつも言っていた。おまけに利発で活発で勝気で好奇心と正義感が強く、慕う陽葵も敵も多い。面倒くさがりで、ことなかれ主義で、父似の平凡な容姿で、友人も敵も少ない忠とは大違いだ。年が離れているので自慢の妹といって憚りなかったが、年が近かったら自分の劣等感で兄妹仲は大惨事だっただろう、と忠はいつも思う。


そんな妹が――いつも勝気な表情をしている妹が、つらそうに顔を歪めているのは久しぶりに見た。まるで、祖母が毒を盛られ、今もなお目を覚まさない原因は自分にあるのだと言わんばかりの表情だった。


「はあ……もう、わかったよ」


「……何が?」


「何がって、何が起こったのか調べたいってことじゃないのか? 真相を知りたいって言ってただろ。付き合うよ。俺らみたいな子どもに何がわかるのかは疑問だけどな」


「お兄……」


 しばしの間ぽかんとこちらを見ていた陽葵が、ふと顔を綻ばせる。


「ありがと、お兄。お兄って面倒臭がりのくせになんだかんだ助けてくれるよね。わたしが小三? くらいの時も――」


「……まあ、昔っから危なっかしすぎるんだよ陽葵はさ。ずけずけ物言ってすぐ敵作るし、近くで見張ってないと何やらかすかわかったもんじゃないし……そりゃ面倒見もよくなるよ。五歳も離れてりゃ尚更だろ」


 陽葵のそういうところも――いまだ理由はわからないが親戚と仲が悪いからと突然家出を決行したらしい母とよく似ているのかもしれない。あまり知りたくはなかったが。


「……まあ事件を調べてみるにしても、カカ様について調べてみるにしても、とにかくここまで来たんだから蔵くらいは行こう。山道かなり歩いたのに今さら戻るとか御免だ」


「お兄ひ弱すぎない? ちょっと歩いただけで息上がってるじゃん」


「やかましい。万年文化部で体育3だけどひ弱ってほどではないわ」


「まあ、別にいいけどねー。あんまりゆっくり登ってると事情聴取の番が来ちゃって蔵に行けなくなるよ……あ、見てお兄。あれ、京嶌邸じゃない。屋根、見える」


「本当だ」


 斜面に生い茂り、視界を塞いでいた木々のさらに向こうに、本棟造の屋敷の屋根が見える。京嶌邸の全貌が見えたわけではないが、こうやって見下ろすとやっぱり広大な敷地にでかい屋敷だな、と忠は思った。まあ、京嶌の土地は屋敷の敷地だけではないだろうが。


「いい景色だし写真撮ろ。お兄も写っていいよ」


「いや別にいいよ……あぶな! 引っ張るなよ落ちるぞ崖から」


 落ちないよ、と言って無理やり忠を画角に引きこんだ自撮りを決めた陽葵は、「見て、いい感じ」と画面をこちらに見せようとして――指を滑らせた。


「あっ――」という陽葵の甲高い声。


かん、と音を立てて地面に落ちた陽葵のスマホは、跳ねて柵の間を通り抜けると、そのまま急斜面を滑り――否、真っ逆さまに落ちていく。そして果てには、ぼちゃ、と間抜けな音を立てて川に落ちた。


「あ~~~~~ッッ」


「ううわ」


 忠はハハ、と乾いた声で笑った。


あれはもう無理だろう。崖面に何度か打ち付けただろうし、落下の衝撃もあの浅そうな川では和らげられまい。そもそも水没だ。データはお陀仏、本体もおそらくお陀仏。


 忠は呆然とする妹の肩をぽんと叩いた。「……諦めな、あれは無理だ」


「やだよゲームも連絡先の引継ぎもできてないのに! 今ならデータまだ生きてるかもしれないじゃんっ」


「いや無理だろ。川に落ちて流されてるのに」


「まだわからない! この目で見るまでは死んでない!」


「んなシュレディンガーの猫みたいな……あっ、ちょ、待てってもう!」


 川に下りる道を探す、と言って来た道を戻っていく陽葵を追いかける。こういうところも、きっと陽葵は母に似ているのだろう。



 結局事情聴取の時間が来るまでスマホを探していたが、果たして見つかることはなかった。当たり前と言えば当たり前だったが、陽葵は事情聴取を終え、夕飯を食べながらもぶつぶつと文句を言っていた。


「え、スマホ落としたの。そりゃー辛いわ」夕飯の膳を片付けながら声を掛けてき幸也は、陽葵の不機嫌の理由を話せば笑ってそう言った。「俺だってスマホ落としたらやばいよ。ゲーム重課金勢だから。めっちゃ探す」 


 現在大学院生の幸也は、どうやらスマホゲームにアルバイト代をつぎ込んでいるらしかった。忠はこんな大人にはなりたくないな……と思ったが、同じくゲーム好きな陽葵は「だよね? 幸也さんはわかってるなー」と、わかってもらえて嬉しい様子である。


「わたしは課金したことないけど、やりこんでるソシャゲがあるんだよね。課金はほら、お父さんとお兄が止めるから」


「だって、小学生の時からソシャゲに課金とか。ないだろ」


 皿洗いをするお手伝いさんに手伝いを申し出て、忠は陽葵と共にスポンジで磨かれた皿を水で洗っていく。皿を拭くのは自然と幸也になった。


「親みたいな思考回路だな、忠くん。『無』理ない『課金』なら『無課金』だよ」


「法科大学院生なんでしょ幸也さん。ゲームやってる暇あるんですか。勉強は?」


「何この高校生。めちゃくちゃツッコミの切れ味鋭いんだけど」


 辛ァ、と言いながら洗った皿を拭く幸也に、陽葵はもちろん、思わず忠も笑いを零す。


柔和そうな賢一とはまた違った意味で、幸也は取っつきやすい人物だった。――母が付き合うのを拒んで町を出て行くほど折り合いが悪かったという幸也の祖父は、一体どんな人物だったのだろう。


そうだ幸也さん、と陽葵が忠ごしに幸也に声を掛ける。「事情聴取って、どんな感じだった? わたしたち来たばっかりだったからすぐ終わっちゃったんだけど」


「月子様の水差しだろ? 毒が入ってたの。だから、水差しに近寄ってないかを聞かれたよ。俺は一回、月子様の部屋に行ってるから、ちょっと疑われてるんだよな」


 幸也の話だと、祖母の部屋にある水差しの水は、夕食前に毎日変えられるらしい。お手伝いさんが水を変え、レモンを沈め、祖母の部屋に届ける。そこでお手伝いさんが一杯、水を飲む。それが習慣なのだという。


 お手伝いさんは昨日も夕食前に水を飲んだと証言している。そしてお手伝いさんは無事だ。彼女が嘘をついていない限り、毒はそれ以降に水差しに仕込まれたということになる。


「聞かれるばっかりじゃあれだったから、逆に聞き出したんだけど。その後月子様の部屋に行ったのは全部で四人。勝也さんと敦子さん、俺、親父だ。全員一人ずつ部屋を訪ねてる」


「なるほどね。その四人全員に毒を盛る機会があるわけだ」陽葵は訳知り顔で頷く。「幸也さんはどうしておばあちゃんの部屋に行ったの?」


「俺は月子様に大学院の今期の成績について報告しろって言われてな」


「それで成績が悪すぎるのがバレると困るから、その前に毒を……」


「そう、毒を……って盛ってない! どうなってるんだ忠くん、君の妹にいたっては、切れ味が鋭いを通り越して不謹慎のレベルだぞ」


「すみません、うちの妹が」


 忠がぺしっと頭を叩くと、暴力反対! とすかさず陽葵が声を上げる。


「とにかくだ」幸也が咳ばらいをする。「勝也さんと敦子さんはそれぞれ、まあ、月子様が亡くなった時に備えての話をされたんだろう。親父は遺言書を作るかどうかの相談をしたと言っている。全員、部屋を訪ねた時月子様と話をしたんだ。つまりその時月子様は起きてたってことになる。あの人は頭のいい人だから、意識がある限り、誰かが水差しに何かしたら必ず見咎めるはずだ」


「じゃあ、水差しに毒が入ってたってことは、四人のうちの誰かが目敏いおばあちゃんの目をかいくぐったか……」


 あるいは、その中の誰かが、「京嶌月子と話した」と嘘をついているということになる。


 そのまま三人でお茶を飲みつつ少し話してしばらくして解散し、それぞれのタイミングで風呂に入った。


 同じタイミングで風呂から戻ったので、忠と陽葵は兄妹並んで部屋に帰ることになったのだが、その道の途中で忠のスマホが短く鳴った。ラインのメッセージの音だった。


「スマホ落とした妹の前でスマホ見るとかぁ」


「うるさいなもう、絡んでくるなって……ん? おい、これ……」


 忠はラインのトーク画面を開くと、陽葵に見せる。


 何よー、と文句を言いながら覗き込んだ陽葵が、「え」と声を漏らし目を見張った。


 ――メッセージは陽葵のスマホから届いたものだった。


 たった一文字、「た」と、それだけが送られてきていた。


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