第2話 おれが仲良くなれたわけ

2話


 長距離を走る練習ってのは地道で辛い。それが朝からなら尚更だ。毎回汗だくになるから着替えも用意しなくてはならないし、授業前なのにすっかり疲れてしまう。

 別に勉強が好きってわけじゃないけど、ずっと体が重いと頭も鈍るから、先生に差されても答えられずに慌てることも増える。

 ずっとぐるぐると校庭を回るってのもよくない。一週二周、三周もすればすっかり飽きてしまう。

 校庭の一番いいところを独占するっていうのに文句が出ないのは、きっとその姿があまりに哀れだからに違いない。

 

 サボってしまえという考えは正直ある。ケンちゃんやミナトは悪い奴らなので、おれを簡単に楽な道へ引き摺り込もうとするのだ。まあおれ自身がサボりたいと思っているからなんだけど。

 でも、これは一回サボれば終わりというわけではない。何せ競技会までは何ヶ月もある。それまでずっとサボるわけにもいかないし、結局本番になったら自分が恥をかくことになるのはわかってる。

 だから辛くて嫌でも走らざるを得ないのだ。……まあ、理由はもう一つあるけど。


 その理由が目の前にいる。靴をトントンと地面にあてて、調子を確かめているようだ。腹に空気を入れて、おれから挨拶を仕掛ける、つもりが先にされてしまう。


「あ、こうすけ君。おはよう。」

「あ、うん、おはよう。」


 全然声がスムーズに出てくれないのだ。なんていうのか、真っ直ぐ見られないというか。だからいつも話と話の間にタイムロスが出てしまう。


「えっと、やっぱり朝は眠いよね。」

「ん〜、わたしは結構朝は強いから。あ、ほら、みんなアップ始めてるよ。こうすけ君も体動かしたら目が覚めると思うよ。」

 

 そうかも、なんてちょっと小声になって答える。これ聞こえてるかな。なんとなくトボトボとみんなに合流する。打ち解けられてないのはサチ…だけじゃなくて、みんなともだ。元々走るのが好きだったグループに後からそんなに好きじゃないやつが入ってきたら戸惑うよな。一応仲間扱いはしてくれているんだけど、全然話が合わないんだコレが。インドア派で休みはゲーム三昧のおれと、毎日走らないとスッキリしないっていうみんなとでは、いわゆる価値観?っていうのが違いすぎてるんだろうな。


 でも、このまま変な空気をずっと吸い続けるのでは先におれが参ってしまう。酸欠だ。だからどうにか楽しく話をできるような話題を探しているところだ。いつもの三人で気楽に遊ぶのもいいけど、せっかくだからみんなと、サチ…と仲良くできたらいいなって思うからさ。


 ***


「ねえ父さん。ちょっと聞きたいことがあるんだけど。」

 

 これはあまりしたくなかったんだけど、どうにも話の続かない気まずさが辛くて、父さんに何かいいアイデアがないかを聞くことにした。

 休みの日はいつもグデーンとソファに寝そべってるだけのダメおやじだけど、たまには頼りになるんだよね。


「お、なんだなんだ? いいぞ、なんでも聞いてみなさい。答えられる分までは答えてやるからな。」


 ウキウキと、張り切って体を起こす。これだからヤなんだよな。おれの悩みをめっちゃ楽しみにしてるんだから。

 それでも他に選択肢はない。ケンちゃんやミナトは弱みを差し出すようなものだし、母さんなんて話すだけ無駄。先生に聞けるようなことでもないんだから、あとは父さんだけなのだ。


「あのさ、なんていうかさ…。人とね、仲良くなりたいって思ったらさ、どんなふうに話しかければいいと思う?」


 ふうん、と父さんが返事のような声を出す。でも、いつもみたいな茶化すような声色ではない。


「それは難しい問題だな。父さんも結構それに困ったりする。」

「父さんも困ることあるの?」

「あるとも。仕事での付き合いだとか、会社の仲間とかね、幸助が思うより人と会う機会ってのは多いんだ、父さんは。だけど、なかなか話が合わないなって人もいるし、頑張っても話が通じない人もいるからなぁ。」


 いつも冗談言って明るく笑ってる父さんにも仲良くなれない人がいるのか……。なんだかすごいショックだ。

 そんなおれを見て父さんが苦笑いしている。


「ま、この通りなかなか難しいんだ、人と仲良くなるのはな。でも、お前は難しくっても仲良くなりたいやつがいるんだろ? なら頑張ってみないとな。そいつはどんな奴で、何が好きなのか、幸助は知ってるのか?」


 どうだろう。まだ知らないことは多い。というか全然知らないことばかりだ。でも何が好きなのかは一つ知ってる。


「走るのが好きなんだ。陸上クラブに入ってて、おれよりずっと速く走ってる。練習もいつも一番乗りで、走ってる時はなんか、すごいかっこいいんだ。おれにもね、おれは全然上手く話できないんだけど、いつも声をかけてくれて、気にしててくれるんだ。」

「そっか。いいやつなんだな。よし、いいことを教えてやろう!」


 いいこと? 思わず父さんをまじまじとみる。指を一本立てて、父さんが得意げにいう。


「話をするってことの基本はな、話を聞くことにある! お前はそいつのことを知りたいと思ってる。なら、そいつが話したいって思うようなことを聞いてみればいいんだ。分かるか?」

「話したがるようなこと? …陸上のこと?」

「いいセン行ってるぞ。でもちょっと浅い。例えば、母さんは料理が好きだな? なら料理について聞いてみるとどうなる? 例えば…母さんは料理が好きなの?って聞いてみるか。そうしたらきっと、"そうよ、料理が好きなの。だって楽しいもの"って答えるように思えないか。」


 確かにそんなふうに答える気がする。あれ、でもそこから話が広がる気がしない。


「気づいたな? そう、質問がぼんやりとしてるからな。どうにも好き嫌いだけで話が終わっちゃうな。じゃあどうするか。幸助ならどうやって話を広げる?」


 ぼんやりしてるなら、逆に絞ってみればいいと思う。


「ハンバーグは作れる? とか?」

「ブブー! 作れるよってそれでおしまいだな。まあ、ハンバーグ好きなの?って話を繋げてくれるかもしれないけど、母さんの機嫌次第になっちゃうな。」


 う、確かにそうかも。実際に聞いたらもっと色々話をすることになるとは思うけど、もし母さんじゃなくて、近所のおばさんとかだったらそれでおしまいになる気がする。


「人が思わず話したくなる話題ってのはな、自分が知ってることを思う存分人に話せる時なんだ。」

「知ってることを話せる時?」


 首をかしげると、父さんが傾げた首を戻してくれる。


「要は教えたがるってこと。お前だってハマってるゲームが難しいから教えてよなんて言われたら好きなだけ喋り通すだろ? それと一緒だ。」


 確かに! じゃあ、おれが選ぶべき話題は、どうすれば上手く走れるかってこと?!


「なんか思いついたか。いいぞ、それを試してみるといい。でもな、別に無理する必要はないんだぞ。たまに遊びに来るユーキおじさん居るだろ。あいつとはな、初めて会ってから1年くらいはほとんど話をしなかったんだ。でも、たまにすれ違いに話すことが増えて、気がついたら仲良くなってた。謙也君と湊君ともわざわざ話題を考えて友達になったわけじゃないだろ?」


 二人とはなんか気づいたらいつも一緒にいた気がする。ケンちゃんとはそれこそ幼稚園からだから初めて会った時のことすら覚えてないし。

 

「仲良くなるのにきっかけがあるのもいい。けど、きっかけがなくても仲良くなる時は一瞬だ。ダメでもそのうち上手くいくさ。気楽にいきな、気楽にな。」

 

 ***

 

 湯船に浸かりながら、話題を考える。父さんの理論に従えば、走ることについて質問をすれば話が弾む可能性がある。

 質問か…。ぶくぶくと目元まで沈んで幾つかアイデアを出してみる。そういえば先生のコーチを受けていて、今一つ納得できていないことがあった。他にも質問ってだけならいくつも思いついたけど、それは多分あまり必要な質問じゃない。トラックで走る準備をしている人が、今日何時に起きたかなんて聞かれたって意味はないんだから。


 ***


 次の練習は放課後だ。朝練は週2回だけど、放課後練習は週3だから、こっちの方が多いのだ。都合よく先生は職員会議で遅れてくるらしい。これは質問をしても不自然じゃないし、先生が来るまでにアドバイスをもらえたらとても嬉しい一石二鳥のタイミング!

 前へ後ろへと体を伸ばしているサチに向かって、意を決して話しかける。緊張で口がカラカラになってる。


「あのさ、いきなりで悪いんだけど、ちょっと質問してもいい?」


 珍しくおれから話しかけに言ったせいか、ちょっと目を丸くしている。大きな目がさらに大きくなって、本当にまんまるだ。なんだか猫みたいだ。


「いいけど、何かな?」

「うん、ありがとう。えっと、走り方についてなんだけど、昨日の朝練で先生にさ、腰が落ちてるって言われたんだ。でもその意味があんまり分かってなくて。もし分かるなら教えて貰えないかなって思って。」


 サチがにっこりと笑顔になる。つられておれの緊張も和らぐ。


「任せて!」

「腰が落ちるっていうけど、そもそも腰が落ちてない状態ってのもよく分からないから何をすればいいのかがわかんないんだ。」

「あはは、あんまり他じゃ言わないかもね。じゃあまずわたしの走り方をみててね。どこかに注目じゃなくて、全体の雰囲気を覚えること。まずは腰が落ちてない時からね。」


 そう言ってサチがゆったりとしたペースでおれの目の前で大きく輪を描いて走ってみせる。後ろで結んだポニーテールが左右に触れる。じゃなくて、全体をみる。スッと伸びた背筋が頭から腰までを繋ぎ、脚がくるくると前後に動いていく。次々入れ替わる左右の足と腕、なのにゆったりとして余裕があるように見える。いつも見ているのと変わらない、おれが密かに見習おうと思っている姿だ。


「ふぅ。今のが腰が落ちてない、高いままの走り方ね。覚えた? うん、じゃあ次に腰が落ちた時の走り方をするね。ちょっと大袈裟にするから違いはわかると思うよ。」


 そして駆け出す。違いは確かにすぐにわかる。さっきまでのスマートな姿と違って、どこか重そうな走り方だ。妙に背が低く感じるのは膝が曲がりすぎているから。背筋もなんだか曲がっていて、窮屈そうだ。それに、お尻が下がってる、ような気もする。


「どうだった? 違い、分かった?」

「うん。えっと、お尻が後ろの方に向いてるって言うのかな、さっきまでの走り方だとキュッと引き締まってたのに、今のは緩んでるように見えた!」


 おしりって…。ちょっと顔を赤くしてつぶやいたサチに気づかず、そのまま違いを指折り数える。


「腰がちょっと後ろに傾いてるせいで足の動きもなんだかギクシャクしてた。一回一回動かすための余裕がなくて、そのせいで膝が余計に曲がってるのもあった! 弾むみたいな走り方が、ペタペタ着くようにもなってたと思う。…だから腰が落ちて見えるのか。」

「ん、正解! まあ今のは大袈裟にやったんだけど、こうすけ君が走ってる時もこんなふうになってると思う。」


 お手本を見せてくれたサチに言うのはアレなんだけど、おれってあんなダサい走り方になってるのか…。


「どうしたらみんなみたいに軽そうに走れるの?」

「多分だけど、こうすけ君の場合、骨盤が下がってるのがよくないと思うんだよね。」


 ツカツカとサチがおれに近づいてくると、突然腰を掴んでくる。

 思わずぎゅっと固まってしまうおれに気づいてサチが笑う。


「もう! 痛くなんてしないからそんなに怖がらないでってば!」


 サチが痛いことをするとは思わないけど、こんなに近くで、おまけに腰を掴まれるんじゃ落ち着かない。


「いい、ここが腰の骨ね。骨盤っていうの。これがこう、ちょっと前傾になったり、逆に後ろに傾いたりすると──」


 そう言っておれの腰を前後に押したり引いたりする。


「腰から脚が伸びてるから、動かせる範囲が狭くなっちゃうの。ほら、この状態で足を前後に動かして見て。バランス取るの難しいと思うから、わたしの肩掴んでていいからね。」


 触られるのでもビクビクなのに、こっちから触るのなんていいのかってなる! けど、真剣に教えてくれているサチに、変な考えでちゃちを入れることはできない。


「こ、こう?」

「そう! 上手上手! じゃあ逆に後ろに腰を傾けてみて。その状態だとどう?」


 前に動かしにくくなった。おれは走ってる時にそうなってるってことは、動かしにくい状態で無理やり走っているってことか。


「人の体はまっすぐ背筋を伸ばしている時が一番バランスが取れてるの。だから、その状態を意識して走るのが大事なんだって。」


 なるほど。確かに自然体で過ごすのがいいってのは漫画でもよくみる。変身ヒーローだって構えないまま攻撃を弾く姿はかっこいいもんな。


「短い距離を一気に走るならともかく、長距離の場合はどれだけ無理をしないで、負担を分散するのがいいんだって。だから、ほら、普通に立った時に片足に体重かけると片方だけに負担がきちゃうでしょ? そうじゃなくて、均等に体重をかけた方が疲れは少ないってこと。それを走る時にできるようにするのが練習ってこと!」


 うんうんと頷く。神崎先生の説明よりも遥かにわかりやすい。


「こうすけ君の場合は、背筋を伸ばして、腰が後ろに行かないように意識するのがいいと思うな。走ってる時にね、こうやって腰に手を当てると思って走ると違いがわかりやすいよ。」


 そう言っておれの腰に手を当てる。そのまま走るように促され、腰に手を当てられたままに走り始める。50mくらいを並んで走る。腰に手を当てられたままだからペースはゆっくりとしているけど、それでもいつもより脚が動かしやすかった気がする。

 どうだった? と聞いてくるサチの顔は親切心が100だ。ちょっと恥ずかしかったけど、その優しさを無駄にはしたくない。


「すごい、わかりやすかった! なんかいつもより足音が軽くなった気もするし、すごい勉強になったよ。ここだけの話、先生より分かりやすかった。」


「え、そう? えへへ、そんなに言ってもらえると嬉しいね…。」


 モジモジと照れるサチに、なんとなくおれも居心地が悪いような、嬉しいような不思議な感覚になる。

 と、おれたちを遠巻きに見ていた他のメンバーが寄ってきた。


「二人して何してるの? さちの個人レッスン?」

「そうだよ! こうすけ君直々に依頼を受けて、スペシャルレッスンしてたの。評判も上々で、先生を超えるのも近いかも!」


 そりゃ無理でしょとか、杉原君に出鱈目教えるなよぉ〜とか、すごい茶化してくる。おれのところにも、どんなこと教えてもらったのと他の子から話しかけられる。

 悩んでたことと、教わったことを素直に話す。へぇと納得してもらう間にも、サチはからかってきた女子を笑いながら追いかけている。

 おれのところには6年生が、杉原君の走り方でちょっと思ったんだけどと、おれの気づいていなかった走り方の癖を教えてくれたりする。


 ふと気がつけば、わいわいとみんなから走り方のアドバイスを山のように浴びせられている。え、ひじの使い方? お腹をへっこます? 足首は柔らかくする? え、違うの? 一度に言われすぎて何が何やら分からない。


「もう! わたしがコーチなんだから、みんなは黙ってて! ほら、こうすけ君、他の人の意見なんて聞かないでいいからね?」


 う、うんと頷かざるを得ない。でも、サチの後ろにはもう先生が来ている。ニコニコと、面白そうにサチが気づくのを待っている。


「えっと、後ろなんだけど……。」

「いいの! みんな碌なこと言わないんだから、わたしに任せてくれればダイジョーブ!」

「うん、ありがとね。でも後ろの人がさ……。」

「後ろの人ぉ…?」


 そう言って振り向いたサチが固まる。だってサチのことも教えているのは神崎先生だ。おれへのアドバイスも神崎先生から教わったことも多いに違いない。


「お、いいよいいよ続けて? サチがコースケにどんなふうに教えてるのか、先生も聞いたみたいからさ。サチコーチの特別授業はきっとすごいんだろうなぁ〜〜!」

「せ、センセえッ?」


 サチの声がひっくり返る。流石に神崎先生を碌なものじゃない扱いはまずいよね…。しどろもどろのサチを周りも楽しげにみている。神崎先生なんて面白くって仕方ないって、おれの父さんみたいな顔してる。そうなると流石にちょっとかわいそうだ。だっておれのために色々考えてくれてるってことだもの。


「えっと、先生。神崎先生に聞きそびれたことをおれにもわかるように教えてくれてたんです。なので、その、別に先生に成り代わろうとしたわけじゃないんです。」


 明らかにそんなことをわかってる相手に、一から説明する。お互い状況をわかってることが伝わるから、先生もいじわるはここまでにしようかと笑う。

 

 本気で焦っていたサチは、その言葉に一気に気が抜けたようでヘナヘナとしている。近くにあったから、だと思うんだけど、おれの肩に手をかけて顔を伏せたまま焦ったよ〜と言う。

 今度焦ってるのはおれだ。みんなも今度はおれを見てニヤニヤしている。これは針のむしろって言うんじゃないかな。

 

 先生のそろそろ練習始めるぞ、との一言がこんなに嬉しかったことはなかった。

 

 それでも、この日を境にみんなと本当に打ち解けられたから、本当にサチには感謝しているんだ。いっそこのまま続けばいいなって思うくらいにね。

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