第2話パチンコと僕

書いちゃなんだが、僕がパチンコを初めて打ったのは、今から28年前の17歳の時。

母が僕らがボウリングを楽しんでる2時間のうちに、暇つぶしに初めてパチンコを打ったら500円で35000円勝った。

それで、僕も打ちたくなったのだ。


パチンコ代を親からもらう事は出来ないので、バイトを始めた。それは、50匹の金魚と、20匹の熱帯魚の飼育の代金の為だ。

ある日、彼女と遊んだ後、財布に1500円あったので、パチンコを打ってみた。

寛平笑劇場の現金機。

1500円で勝てるはずは無いのだが、500円で当ててしまった。

1回交換だったので、一箱で交換したら、5000円になった。

それでも、僕は喜んだ。


それから、長いパチンコ人生を送る事になるのだ。

20代はパチンコでは無く、4号機全盛期だったのでスロットにうつつを抜かしていた。

スロットは10万円負けるか、10万円勝つかのどちらかだ。

1000円で万枚出したり、6万円吸い込まれたり。

今はスロットは、ジャグラーかパルサーしか打たないが、パルサーも詰まらないので、ジャグラーばっか。


最近のパチンコ成績は勝っている。

突っ込んでも、トントンか5000円勝ちで逃げる。追い掛けない。

11月にピンクエヴァで36000円勝ったのがでかい。

被害額は最小限に押さえてあるので、この前5000円負けたが、まだ、勝っている。

数えられるくらいしかパチンコは打たないので、勝っているのだ。


人間は負けた記憶より勝った記憶の方を残してしまう。

僕はだから、負けるくらいなら酒飲んだ方が良いので、40代になってからパチンコ屋から足が遠退いてしまった。

チンジャラ人生も終盤だ。


学生の時、一度で良いから5000円パチンコに使える身分になりたいと願った。

それが叶うと、1万円使える身分になりたいと思ったが。

それも叶う。

次は、3万円勝ちたいと思う様になるとその頃はパチンコ中毒になっていた。

また、給料の良い会社で働いていたので日に7万円負けるときもあった。

2日続けて。


僕の青春はパチンコ一色だった。軍艦マーチが子守歌であった。

店員のマイクパホーマンスを聞きながら、朝10時からパチンコを打つ。

愛知県は朝の9時からパチンコ屋が開店する。さすが愛知。パチンコメーカーの本社が多い。

ニューギンの本社は、建て直し慶次御殿と呼ばれている。

まさむらの本社は倒産と同時にビルは取壊されマンションになった。


また、パチンコで勝った後の酒は美味しい。朝から晩までパチンコを打つと、不出来な面にいろいろバカさ加減もついてきて、見れるもんじゃない。

粘ったからと言って、勝てる訳ではない。

勝ち逃げが大事なのだ。

パチンコには、その人それぞれの人生と思い出がある。

ただ、借金してまで打ってはいけない。これだけは守らなくては。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

次の更新予定

2024年12月13日 09:00

パチンコあれこれ日記 羽弦トリス @September-0919

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ