第二話:紅茶と屠殺者
──メルヴィル。惑星表層の98%が海洋に覆われたこの星は、かつては「銀河の果ての青い荒野」とも呼ばれ、長らく不毛の地とされていた。
人類の居住に適した大陸も存在せず、海原が際限なく広がるだけの青い惑星。
だが、海底深資源「アビサル・クォーツ」の発見が全てを変えた。
その昏い青色をした鉱物結晶は、次世代型の動力システム「小型核融合」の安定稼働化に大きく寄与することが判明し、人類は一転してこの星に目を付けたのだ。
瞬く間に、大手企業からは数えきれないほどの採掘船団が派遣され、彼らは都市規模の海上プラットフォームを次々に建設していった。次第に、星を覆う穏やかな海は、鉱業と資本主義、そして欲望の渦巻く激しい奔流に飲み込まれていく。
これが、後の世で呼ばれる「青のゴールドラッシュ」の始まりであった。
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沈みゆく太陽が、広大無辺の海原を赤く染め上げた。まるで上等なローズヒップを湛えたカップのように、メルヴィルの海は赤い波紋をどこまでも広げている。
波が揺れ打つ夕焼けの中、ひとつの艦影が海の上を
──採掘艦「インスマス」号。
その艦橋の一角に設けられたサロンで、セレジア・コリンズは静かに紅茶を口に運んでいた。彼女の所作には、ある種の儀式めいた優雅さが感じられる。
セレジアはカップの金縁を指でなぞり、ふわりと漂う香りに瞼を閉じた。
「そろそろかしら」
カップに目を落として、彼女は独りごちる。
インスマス号が垂直発射した音速魚雷が、海底に埋もれたアビサル・クォーツ鉱脈を撃ち抜いてから、ちょうど十分が経過した。
魚雷発射時の弾道計算が正確であったのなら、間もなくお目当てのクォーツ片が浮かび上がってくる頃合いだった。
その瞬間を迎えるまで、ただ紅茶を愉しむ──。
そう考えていた矢先、艦の警告灯が点滅した。次いで、鋭いアラーム音がサロンの静けさを破る。敵襲警報だ。艦橋のクルーたちが忙しなく動き始める。
「セレジア様、所属不明GSが三機接近。警告信号は無視されています!」
通信士の緊迫した声がインカムに届く。
セレジアは動じず、カップを持つ手をゆっくりと下ろした。温かな余韻が残る指先で、彼女はそっと、テーブルの脇に置いていたスマート・パッドを起動する。
スクリーンに映ったのは、海面を滑走する三体の機動兵器群。
──グラウル・サーヴァント。通称、GS。
この惑星に普及する最強の個人用海戦兵器。
別名の「人型自在巡航艇」が示す通り、二本の腕で多彩な武装を扱い、二本脚のようにも見えるポンプ・ユニットを用いて、縦横無尽に海原を駆ける。
人のシルエットを持ちながらも、本質的に海上戦闘に特化したそれは、この惑星で行われる資源闘争の主力であり、象徴だとも言える兵器だった。
「物騒がせな方々ですこと」
三機の
どこをどう見ても、採掘中のクォーツを強奪しに来た《
「……横取りだなんて、お行儀が悪いですわわね」
開拓者業はすなわち、実力主義の成果報酬職である。どれだけのコストで、どれだけの数の、どれだけの大きさのアビサル・クォーツを手に入れられるか。
鉱脈の予測は立てられる。資金繰りでコストも抑えられる。だが、それでも何の確証も、保証もない。ときとして不運は開拓者の破滅をも招く。アビアサル・クォーツの探鉱を生業としていればこそ、そんなリスクとは常に隣り合わせだ。
この星で破滅し、持たざる者となった彼らはどうするのか──。
単純な話だ。持つ者から奪えばいい。
セレジアは嗤った。今日の相手は、相当ツキに見放されているようだ。
……よりにもよって“彼”を連れているときに仕掛けてくるなんて。
「B・B、準備はよろしくって?」
『──ああ』
同艦、船体後方に設けられた機体格納庫にて、一人の男が抑揚なく答える。
感情の欠片すらも、読み取ることのできない低い声だ。
彼──B・Bが立つ暗い格納の中央には、鎮座する巨大な人影があった。膝を折った窮屈な駐機姿勢は、まるで
カスタムGS 《ブルー・ブッチャー》。
全身を濃淡の青で彩られた屠殺者は、静かに戦いのときを待っていた。
「仕事の時間よ、B・B。機体を起こして頂戴」
セレジアの声に応じて、格納庫のライトが次々と点灯し、全高6メートルの巨体がゆっくりと起き上がった。機体を固定するガントリーロックが外れていく。
機体各部の関節が振動し、次いで、耳障りなほど低い“
『システム、オールグリーン。指示は?』
「薬莢が混ざると面倒ですわ。クォーツの回収に遅れが出ますの」
『了解した、ナイフを使う。撃たせない』
B・Bの冷淡な声が応じると同時、《ブルー・ブッチャー》のシステムが完全起動した。セレジアは、まるで名画を愛でるように、モニター越しの機体を眺める。
艦の後部ハッチが開かれると、B・Bはカタパルトへ機体の主脚を接続した。
『出る』
次の瞬間、《ブルー・ブッチャー》は凄まじい加速を伴って海へと射出された。
轟音と共に着水した機体は、一瞬の揺らぎを経て、スムースに海面を滑走する。
「接触まで、
彼女が命じると同時、機体は加速を一段と増して敵GS部隊に突進する。
大腿部から伸びる無数の
海面は引き裂け、青と黒が混じり合う禍々しい残光が長い軌跡を描きだす。
セレジアはモニターを注視していた。
数値が計測され、機体と敵の距離が一気に縮まっていく。突入に最適な進路とタイミングが、彼女の頭の中で精密に計算されていた。
B・Bの技量は信頼しているが、それでも細かい指示を欠かすことはない。
「一番右の下品なピンク……マゼンタかしら? そいつにしましょ」
《ブルー・ブッチャー》は機体をわずかに傾け、目標へと滑り込む。海面に薄く白い波が立ち、さらに機体の速度が上がっていく。
セレジアの指示に従い、最初に狙うはマゼンタカラーの敵GS。機体が射程に入るや否や、B・Bは右腕に装備にしたモーターナイフをアクティベートした。
『沈め』
モーターナイフが一閃。轟音を鳴らしてマゼンタのGSに突き立てられた。
超高速振動の刃は瞬時に相手の胸部装甲を切り裂き、小型核融合炉の制御系統へと深々と突き刺さって機能を停止させる。
敵機は一瞬、高周波の悲鳴を上げたかと思うと、沈黙し、海へと崩れ落ちた。
「お見事。残りの二体はIFFを利用して攪乱しましょう」
《ブルー・ブッチャー》は急旋回し、陣形を立て直した二機の敵GSの間に飛び込む。数舜の間、彼らの持つサブマシンガンの銃口が完全にこちらを狙うが──。
彼らは撃ってこない。否、撃つことができない。
一般的な照準システムにはIFF(敵味方識別装置)が搭載されている。これは味方機への誤射を防ぐための機構であり、射線上に味方機のマーカーを確認した場合、トリガーを強制的にロックする。
B・Bはこれを逆手にとった。つかず離れずの距離で、二機のGSの周囲をぐるぐると周り、常に射線が敵と重なるように動く。
そうして隙を窺っていると、焦らされた内の一機が、サブマシンガンを放り捨てた。敵GSは肩に懸架した大ナタを構え、一心不乱に突撃を仕掛けてくる。
好機だと言わんばかりに、《ブルー・ブッチャー》は敵機へと詰め寄った。二つの得物がぶつかり合い、荒れた海面に火花を散らして、ジュッという音を鳴らす。
「推定二分後にクォーツが浮上しますわ。それまでに片付けてくださいまし」
セレジアの凛とした声を聞きながら、B・Bは答えることもなく、操縦グリップを右へ、左へと滑らかに動かす。
《ブルー・ブッチャー》はワルツを踊るかのように、彼の操縦に応えて見せた。
『く、くそォ! なんだコイツ、化け物か!!?』
通信リンクへのハッキングを済ませたセレジアは、敵の通話を傍受しながらほくそ笑んでいた。蛮族と意見が合うのは不愉快だが、全くもってその通りだ。
B・Bは、誰にも止めることのできない怪物なのだと、彼女は確信している。
『うぎゃああぁぁーー!』
ノイズの乗った悲鳴が音を割り、窓の遠く向こうで爆発が生じた。
カップの乗ったソーサーが振動を受けてカタカタと鳴る。
『次は──』
「あら……逃げられてしまいましたわね」
最後の敵機は、戦意を失くしてしまったのか、敵前逃亡を試み始めた。
情けない敵の背中が、水平線に遠ざかっていく。
『まだだ』
B・Bは、撃破した敵GSの残骸から大ナタを拾い上げ、振りかぶる。
投げて、当てるつもりだ……。
《ブルー・ブッチャー》に投擲補助プログラムはない。
照準は完全に感覚頼りだ。当たるだろうか? などという迷いは、彼の虚ろな瞳の中には存在していなかった。
『距離800、風速7、角度修正マイナス5。──当てる』
B・Bは操縦グリップを機械的に押し倒した。
刃の厚い大ナタが、敵機へと真っ直ぐに投げ放たれる。
そして────爆ぜた。
夕日が沈みゆく水平線から大きな火柱が立ち上るのを、セレジアは見た。
「ご苦労様、B・B。帰投して頂戴。クォーツの回収はこちらに任せて」
『了解した。これよりインスマスに帰投する』
《ブルー・ブッチャー》は
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