第3話 お披露目会に向けて(5歳)
俺はロッソ男爵家の次男だった。
長男とは母親が違う。俺の母親は第二夫人だったのだ。そして父の顔も母の顔も兄の顔も、数回しか見たことがない。父は本館、母は別邸、兄は今貴族学院の寮にいる。皆俺には興味がないようで、たまに会ってもそっけなく形式的な挨拶を交わすだけだった。
貴族ってこんなもんなのかな? と思っていたが、いつものように使用人達の会話を盗み聞きしていたらやっぱりそれが普通ではないことがわかった。
『坊ちゃんがお可哀想です。奥様はもう少し頻繁に会いに来て下さらないのですか?』
『奥様は、男爵家になんて嫁ぎたくなかったようだから…アマデウス坊ちゃんにまるで情がないみたいだ』
どうやら母親は元々公爵家の人間なんだそうだ。しかし何かやらかしたか事情があったのか、最初の婚約が駄目になりロッソ男爵家に、しかも第一夫人ではなく第二夫人として嫁がなければいけなくなった。それが大層不満だったそうで父にも愛はなく、俺にも愛はないのだという。
俺、案外可哀想な立場っちゅーこと……?
壁が薄い盗み聞きスポットからこっそり部屋に戻ると、メイド長のベルが気遣わし気に俺に声をかけた。
ベルは40代ほどの釣り目の美熟女で、きつそうな顔立ちだが普通に優しい。怒ると恐い。
庭でカブトムシによく似た虫を見つけて、テンション上がってムンズと捕獲して家に入っていったらベルに叫ばれて正座させられ怒られたことがある。使用人達は男も女も虫には不快感を示すようだ。そういえば地球でも虫を愛でる文化がある国は少数派なんだっけか…?
あと正座というのも罰としてさせられる座り方らしく、普通にはしない座り方のようだ。
「アマデウス様…奥様は少々お急ぎの用が出来てしまわれたようで、明日いらっしゃるご予定でしたが…」
「こられなくなってしまったんだね、わかったよ」
来る予定がキャンセルされるのもよくあることだった。面識の少ない、好かれてもいない相手に会うのはぶっちゃけ疲れるので、俺は ヤッタ~遊ぶ時間が増えたぞ~ ぐらいのもんだったのだが、使用人達は『坊ちゃん…お寂しいのにそれをおくびにも出さないで…』という健気なショタを見守る視線を向けてくる。
ここで「全然平気だよ!」と言ってもより健気に虚勢を張ってるように見えるだけだろうし、
「あんま会ってないからあの人達のこと正直家族だとは思ってないので…」なんて子供らしからぬドライなことは言えやしねぇ。
俺が平気なのは、未だに俺の家族とは『地球にいる家族』であるからだった。
優しい父と母。小さい頃は病弱な俺にかかりきりの両親が面白くなかったのか、問題行動が多かった弟。
一度思いっ切り喧嘩した後、弟は何か思うことがあったのかすっかり大人びた。弟が中学生になってからは仲良く出来た。
俺は愛された記憶がある。大事に育てられた記憶がある。現在使用人達は皆俺を大事にしてくれている。むしろ使用人達が俺を育てたのだから、家族は彼らだ。
だからこちらの血の繋がった家族に興味を持たれなくても平気だ。
でも、もう日本の母さんにも父さんにも弟にも二度と会えないのだな… と実感し、涙が溢れて暫く止まらなかった。
真夜中のベッドの中で静かに泣いた。
翌朝目が腫れてしまって、使用人達には母親が恋しくて泣いたと誤解されちょっといたたまれなかった。
7歳になる初めての初夏、貴族の子供達は『お披露目会』をいうのに出席させられる。
7歳までは外の貴族との交流は全くなく、家の中で家庭教師に教育される。お披露目会にはその領地の貴族の代表が領主の城に集まって、新たに貴族の一員となる子供達の教育の成果を見る。
教育の成果…お披露目会では、『剣舞』か『演奏』、どちらかを選んで披露するのだという。
大体の男子は剣舞、大体の女子は演奏を選ぶが、好きな方を選んでいい。演奏を選ぶ男子は割といるが剣を選ぶ女子は珍しいそうだ。
子供の日に親戚が集まって七五三を祝うみたいな感じかな。そこで子供に芸をさせる的な…
俺は勿論楽器の演奏を選んだ。
楽器を習うことに関して、一悶着あった。
5歳になり、そろそろ楽器の練習をせねばならないと聞いて、音楽好きの俺は早く習いたい!早くやらせろぉ!!!とフンスフンス鼻息を荒くして待っていたのだが、なかなか音楽の家庭教師は来ない。
盗み聞きした結果、『良い教師が見つからない』と使用人が悩んでいた。
兄・クリストフの昔の教師をそのまま紹介してもらっていたのだが、音楽の担当者がもう他の家の子をいくつか担当しているから来られないという。
『他に空いている教師が近くには住んでおらず…平民の中でも探して、ひとり腕のいい楽師はいたのだが』
『腕がいいのならひとまず平民でもいいのでは?』
『それがどうにも礼儀がなっていなくて…吟遊詩人でな、旅人みたいなものだから信用ならないし』
『しかしすでに遅いくらいですよ、お披露目で下手な演奏をすれば坊ちゃんが恥をかいてしまう…』
ぎ… 吟遊詩人!!!!!?????
めちゃくちゃ会いたい。この世界では旅人というのは怪しい根無し草で警戒の対象のようだったが、吟遊詩人の演奏と歌を聴きたくてたまらないし、家からほとんど出られず本も少ないので俺は外の情報に飢えている。話が聞きたい。
しかもこの世界にいるんだから確定で美形やぞ。美形の吟遊詩人、会いたいの気持ちしかない。
「ねぇ!ぎんゆうしじんがうちに来るの!?」
「わっ!!あ、アマデウス様!!」
俺は部屋に飛び込んだ。壁の向こう側ではなく入り口近くで盗み聞いてた振りをして会話に割り込む。
「わたしの教育係でくるんだね?楽しみ!!」
「いえ、あの…決まった訳ではなくてですね」
「わたし早く楽器の練習したい!ぎんゆうしじん早くつれてきてね!!」
期待した顔で真っ直ぐ見ると使用人達は ウッ!眩しい!という顔で困っている。子供の輝く笑顔には逆らえまい。しめしめ。
単語の発音が稚けなくなってしまうのはまだ子供だから舌が回りきらないのだ。けしてかわいこぶっている訳ではない。一人称が「私」なのは貴族は基本そうだからそうするように指導された。
こうしてプレッシャーをかけた結果、数日後無事吟遊詩人がうちに来た。
彼を初めて見た俺は少しぎょっとした。
「……初めまして。ロージーと申します」
ロージーは俺がこの世界で見た初めての“浮浪者”といった出で立ちの青年だった。俺の横にいたメイドの顔があからさまにひきつる。
薄汚れた外套に破れがある靴、無精髭、長身だが少し猫背。目を覆い隠しそうなボサボサで長い前髪。仏頂面で目の下にはクマがある。
手に持った使い込まれたように見える弦楽器だけは、小奇麗だ。
長い付き合いになる、俺の音楽生活における相棒との出会いだった。
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