第九話 観心寺龍覚
―観心寺龍覚 北斗七星の伝承―
観心寺につくと、祭事を前にして、準備にむけて寺は慌ただしい様子であったが、奥に通され、
龍覚が姿を現し、正成に話しかけた。
「多門丸、そのほうの活躍は大したものだ。あちらこちらから聞いておる」
多門丸とは、正成の幼名である。
「ところで、おぬしがわざわざ、本日、わしに会いに来た理由は、こちらも概ね察しがついておる。戦いや争い事に明け暮れる今、幼少の頃に叩き込まれた仏の道というものが見えなくなってきているのであろう」
「多門丸、何も考え込むことはない。答えは既にでておる」
正成は、深く頷き、龍覚の言葉を待った。
「人というのは、それぞれ運命というもの背負いこの世に生をうけている。おぬしがいくら、平穏な生き方を望んでも、それはおぬしの宿命が許さぬときがある」
「この争いもまた、天から与えられた宿命だ!」
「その争いのなかで、修羅の道に入り、さらに戦いに明け暮れるか。あるいは、その争いを手中に治めて、新たな平和を生み出すか。そこは、その者の努力次第だ」
「ここまで訊けば、後は、答えがでておるであろう」
「多門丸正成、これから戦いに明け暮れる修羅の道を歩みたいか?……」
「おぬしが、仏法の道を求めてここへきたこと、それが答えだ、自ら出したその答えに従って進んでいけばよい」
そして龍覚は、正成の運命を導くように、さらに話を続けた。
「そうだ。この機会におぬしに話しておこう。この観心寺は弘法大師様が、北斗七星を降らせた由緒ある寺院だ。北斗七星は、国家が難に直面した時に守り抜く使命をもつ存在で、この寺院には七人の勇士が国難を救う伝承がある。闇夜の空に煌々とした光を放ち、夜明けとともに消える北斗七星、その宿命を背負う勇士の存在を見たときは、是非、その生き様をわしにも教えてくれ」
正成は、龍覚の言葉に深く感銘を受けた。
仏法の教えを信じ、無用な争いを避けつつも、最終的に平和をもたらすために戦う覚悟を固めたのである。
正成は深い決意を胸に抱き、後醍醐天皇のもとへ向かうことを決意した。
―毛利時親の助言―
その夜、正成は、河内の国、加賀田之荘にある毛利時親の邸宅を訪れ、天皇からの綸旨を受けることを伝え、幕府との戦いについて相談した。
時親は、幕府の力が依然として強いという認識であり具体的な助言を与えた。
「幕府の力はまだまだ強い。しかしその内部に弱点がある。大局的には『
時親の言葉を真剣に聞いていた正成は、さらに質問した。
「では、幕府軍との戦いはどう進めるべきでしょうか?」
時親は微笑んで答えた。
「正面からの戦いは避けるべきだ。幕府軍を河内の国に誘い込み、山岳地帯を利用して防御に徹するのだ。険しい山々を利用すれば、少数の兵でも大軍を相手に勝機を見出せる。地の利を活かして戦うことが重要だ」
「これから天下を二分する戦いとなる。正成殿に、この兵法書を授けよう。これは、我が祖の公家大江一門が叡知を結集して作り上げた『
時親は、一言付け加え、正成にその書物を手渡した。
正成は、時親の助言に感謝し、河内の国での戦略を練り始めた。
この新たな戦略により、正成は幕府との戦いを勝利に導くための道筋を見出したが、同時に平和への道も模索し続けることを心に誓った。
そして正成は、下赤坂の居宅に戻ると、伊賀の服部景盛に、支援の要請をするために雷蔵を呼び寄せ、話しかけた。
「まもなく討幕にむけた後醍醐天皇の綸旨が、不肖の身ながら私に下る」
「天下を二分する戦いになる。どうしても景盛殿の力をお借りしたい、その旨を伝えるため、今から伊賀に向かってほしい」
「今回、下赤坂に建築する城が戦いの舞台となるが、この城は、急ごしらえになるため長くもたすことは難しい。事と場合によれば、城を捨てるつもりだ。その時には、兵を伊賀でかくまってほしい。その旨もくれぐれもよろしく頼む」
正成の要請に、雷蔵は、丁重に返答した。
「はい仰せの通り、すぐに向かい、父に嘆願してまいります。お任せください、必ずやその大事な役目果たしてまいります」
*
二条師基が下赤坂を後にして数日後、正成はわずかな従者を伴い秘かに笠置山へと急行した。
笠置山は険しい山々に囲まれ、鎌倉幕府の追手から逃れるには最適な場所であったが、その厳しい地形ゆえに、後醍醐天皇を支援する者たちにとっても到達は容易ではなかった。
それでも正成は、天皇の御前に立つための道を切り開いていった。
山道を進む正成の胸中は重く、足取りも慎重になった。
これからの道は、生死をかけた天下分け目の戦いに身を投じるものだった。
朝廷対幕府、国家を二分する戦いに巻き込まれる覚悟を決めねばならない。
正成は自らの家族、領地、そして仲間たちの未来を思い浮かべた。
もし幕府に背けば、彼らすべてを危険にさらすことになる。
しかし後醍醐天皇を支援せずに幕府に従うことは、信念に背く行為でもあった。
「これからは、もはや後戻りはできぬ」
険しい山道を進みながら、楠木正成は己にそう言い聞かせた。
足元に敷かれた湿った落ち葉がわずかに音を立て、冷たい朝露が頬をかすめる。
息を整えながらも、胸中には葛藤が渦巻いていた。
だがその中で、次第に一筋の光が見え始めた。
「鎌倉幕府を倒す。そのために、自分は立たねばならない」
正成の目には、不退転の決意が宿り、心の内に燃え上がる正義の炎が揺らぎを見せることはなかった。
―後醍醐天皇の綸旨―
やがて、笠置山の麓に辿り着くと、正成は、二条師基への面会を求めた。
正成は静かに膝をつき、言葉を選びながら語り始めた。
「二条殿、まずはこの場を設けていただき感謝申し上げます。私は、これより天皇の綸旨を賜る覚悟で参上しました。しかしながら、ご存じの通り私は一族を束ねる身。一族郎党の命を背負い、負け戦を戦わせるわけにはいきません」
正成は目を伏せ、一拍の間を置いた後、静かに続けた。
「故に、勝機を確実に掴むため、二つのお願いをさせていただきたく存じます。一つ目は、我ら地方の一豪族が、参戦するだけでは幕府に心理的圧力を与えるには力不足であることは明白です。私が天皇の啓示を受け、神の導きにより戦に挑む存在であるという神秘的な脚色を加味していただきたい」
「天命を受けし者としての名を掲げることで、幕府に心理的圧迫を加え、味方の士気も大きく上たいと考えております」
二条師基は、正成の言葉に頷きながら耳を傾けた。
「二つ目は、こちらの書物についてです」
正成は懐から一巻の書物を取り出し、慎重に広げた。
「これは、聖徳太子が未来を記した『未来記』とされるもので、近い未来、我々が、鎌倉幕府を倒し、勝利をするという予言が記されたものでありますが、しかし、実のところ、私がこの筆を執った代物ゆえ、信憑性は全くの皆無です」
「とはいえ、書物が真実であると信じられるなら、それが力となり、事が動き出すこともございます。特に、戦が長期戦になればあと一押しと言う場面を必ず迎えます。その時に備え、ぜひ朝廷の権威をもって、聖徳太子が書いたものであるという裏付けを与えていただければ、我らが士気も敵への威圧もさらなる高みに達するでしょう」
正成の声は、穏やかでありながら深い確信に満ちていた。
二条師基は、ゆっくりと正成の顔を見据えた。
「正成殿、なるほど。どれも理に適った提案でございます。帝にしかるべき進言をし、速やかに手配を整えさせましょう」
その後、いくらも時間がたたないうちに、二条師基が現れ、話し始めた。
「まず、正成殿の脚色ですが、帝が夢で、神の啓示を受けたということといたしました。帝は、本当にその夢をご覧になられたということですが、その意図と真偽は、私にも全く図り知ることが出来ません」
「通常は、このような個別案件については、帝から『良きにはからえ』という言葉を賜り、我々の方ですべて処理いたすのですが、今回は、かつてない特別扱いとなりました。後々、帝からお示しがあるように思います。正成殿への特別な待遇でしょう」
さらに二条師基が言葉続けた。
「あと、『未来記』については、例の書物を返還し、四天王寺で所蔵させることとなり、既に手筈のほうは、済ませております」
「長年、京の御所でお預かりしていた四天王寺の大事な書物が、今回の幕府との戦で焼失を避けるため四天王寺に返還するという体裁で、護良親王が、帝の名代として向かいました。何も問題なければ、明日の朝には、四天王寺から戻られます。護良親王が戻り次第、帝より楠木正成殿へ綸旨を下すことにいたしましょう」
「ちなみに、書物の表紙は、年代物に交換をいたしました。また、失礼かと存じましたが、『未来記』内容を確認させていただきましたが、正成殿は、『戦の才』ばかりでなく、『文才』のほうもなかなかでございますな」
二条師基は、その瞳から笑顔をのぞかせ正成に伝えた。
師基の手配の速さと妙な褒め言葉に、驚きを隠せない様子であったが、正成は、深々と頭を下げ、丁寧に答えた。
「お恥ずかしいことで。お蔭で、勝利に向けて、その第一歩を踏み出すことができました。素早い対応に感謝申し上げます。ご期待に必ずや応えてまいります」
その翌日、護良親王は、無事に戻り、正成の記した「未来記」は、正式に四天王寺の所蔵の書物となったことが報告された。
その後、正成は、後醍醐天皇への謁見を許された。山中の笠置山御所にて、正成はついに天皇と対面したのである。
「楠木正成、よく参った。汝の忠誠と勇気、まことに心強い。
今こそ、鎌倉幕府を打倒し、新たな時代を築くときが来たのだ」
後醍醐天皇は、静かにしかし力強く語りかけた。
その言葉は、正成の心に深く響いた。
長年の苦悩と努力が、この瞬間に報われたように感じられた。
天皇の意志を直接賜り、その信念とともに戦うことができる。
それは正成にとって、この上ない名誉であった。
後醍醐天皇が、さらに言葉を続けた。
「数カ月前、朕の夢に童子が現れ、『南に枝を伸ばした大きな木の下にある上座があなたの席です』と言った。目が覚めて、「木」に「南」で「楠」という文字になることに気付き、該当者を探させたところ、おぬしを探し当てた。神の啓示だ。よろしく頼むぞ」
正成は、一地方豪族の自分の計略を特別に扱いそのまま受け入れ、嘘偽りのない帝自らの夢物語と神の啓示にまで膨らませてくれた。
その懐の深さに、ただ感嘆するばかりで、改めて、膝をつき、頭を垂れた。
「お言葉、身に余る光栄にございます。私は帝のご命令に従い、全力を尽くして戦う所存です」
天皇の前で膝をつく瞬間、正成の心は感動に打ち震えた。
同時に、これから待ち受ける戦いの重さが背中にのしかかり、身が引き締まる思いがした。
討幕という使命は、単に個人的な忠誠の表明ではなく歴史そのものを動かす大きな力の一端を担うものであった。
天皇の言葉の一つ一つが正成の胸に響き、彼の中に新たな決意が固まっていった。
その場で正成は、討幕の綸旨を受け取った。後醍醐天皇の書状には、討幕の大義が力強く記されており、正成の心はますます燃え上がった。
その書状に触れるたび、彼の心には不屈の意志が芽生え、全身の血が熱くなるのを感じた。
その後、後醍醐天皇の第三皇子である大塔宮護良親王からも激励の言葉を賜ることとなった。
天皇の期待を背負い、幕府との戦いに挑む自らの役割を改めて自覚した。
*
下赤坂の居宅に戻った正成は、すぐさま準備を整えた。
まずは城の建設を急ぎ、周辺の農民や兵士たちに呼びかけて軍勢を整えた。
彼は自らの領地である河内の国を守るべく、下赤坂に城を築き、そこを拠点に鎌倉幕府軍を迎え撃つ覚悟を決めていた。
その胸中には、天皇から賜った綸旨の言葉が刻まれており、その言葉が彼の戦いの原動力となっていた。
「いざ、幕府を倒し、新たな時代を切り開く」
と正成は心の中で叫び、天を仰いだ。
その目には、未来を見据える鋭い光が宿っていた。
「間もなく、戦いがはじまる」
正成は、覚悟を決めた。
そこへ、雷蔵が伊賀から舞い戻ってきた。
「今回、父、景盛は、討幕への支援要請を快く引き受けてくれました」
「強力な忍集団一隊と、景盛直属の忍、五人衆とともに戻りました」
「
雷蔵は、その瞳に、一瞬微笑みを浮かべたが、すぐに厳格な表情にもどり続けた。
「くノ一あやめ」
雷蔵が、呼んだかと思うと、五人は、次々とその姿を現した。
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