第3章 帝

第八話 密使

―再び討幕への決意―


 鎌倉時代末期、日本は大きな転換期を迎えていた。

 鎌倉幕府は、長年にわたり武家政権を維持してきたが、次第にその力を失い、内部の腐敗が広がっていた。

 農民たちは年貢に苦しみ、貴族たちは政治的な権力を失って不満を募らせていた。  

 こうした状況の中、朝廷からも幕府に対する不満の声が高まり始めていた。


 そのような背景の中で、後醍醐天皇は、即位をした。

 彼は父・後宇多天皇から引き継いだ「倒幕」の意志を強く持ち、幕府に対する反感を募らせていた。

 後醍醐天皇は、鎌倉幕府を倒し、天皇親政を取り戻すことを目指していた。


 失敗に終わった「正中の変」後も後醍醐天皇は、笠置山で鎌倉幕府の圧政に対抗し自らの手で新たな時代を切り開こうとする強い意志で討幕への動きを進めていた。


 しかし、幕府の力は依然として強大である。

 その野望を実現するためには、各地の有力な武将たちの協力が不可欠だった。

 そこで後醍醐天皇は、楠木正成を討幕計画に引き入れることを決意し、信頼できる密使を正成のもとへ派遣した。



―天皇の密使―



 ある夜、正成が河内の国の下赤坂の居宅に佇んでいると、一人の密使が、ひっそりと到着した。

 密使は後醍醐天皇の命を受けて正成に会いに来たものであり、

 その名を「二条師基にじょうもろとも」といった。

 彼は、後醍醐天皇からの書状を正成に手渡し、天皇の意志を伝えた。


「楠木正成殿、私は後醍醐天皇の命を受けここに参りました。帝は貴殿の才覚と勇気を高く評価されており共に幕府を倒し、新たな時代を築くことを望んでおられます」


 二条師基の言葉に、正成は静かに書状を受け取り、その内容に目を通した。

 書状には、天皇が鎌倉幕府を打倒し、新たな政権を樹立するための計画が詳述されており、正成にその計画への協力を要請する内容が記されていた。

 正成はその場で深く考えた。


 彼自身も幕府の圧政に対抗し民を救うために戦ってきたが、後醍醐天皇の倒幕計画に協力することが、さらに大きな影響力を及ぼす可能性があると感じていた。

 しかし、その計画には多くの危険が伴うことも理解していた。


「天皇のお考えは尊重すべきものです。しかし、今の幕府を打倒するには、並大抵の覚悟では足りません」

 正成はそう言って、密使の二条師基に目を向けた。


 正成の瞳には、確固たる意志が宿っていた。

「私は、天皇のご意思に従い、共に戦う決意を固めます。しかし、そのためには周到な戦略など万全の準備が必要です」


 二条師基は正成の言葉を聞き、深くうなずいた。

 彼は天皇の元に戻り、正成の決意を報告するために正成の居宅を後にした。

 正成の心は揺らぎはじめていた。


 楠木正成は、波乱の時代を生き抜くために、一族を守らねばならないという責務を感じていた。

 しかしその戦いは次第に大きくなり、朝廷対幕府という国家規模の争いに発展していた。

 正成にとってこの戦いに加担すれば、一族が滅びるかもしれないという不安が常に胸中に渦巻いていた。

 彼は朝廷に忠誠を誓うべきか、あるいは幕府との争いを避けるべきか、その葛藤に苛まれていた。

 どちらかに加担すれば、民衆を不幸に陥れることになるのではないか、という懸念も捨てきれなかった。


 正成は、戦いの中で民衆がどれほど苦しむかを知っていた。

 農民や商人、そして武士たちも、戦いの犠牲者となり得る。

 勝利がもたらすものは一時的な安定にすぎず敗北すれば全てを失う危険があった。 

 正成は、家族や家臣、そして民衆を守るために最良の選択を模索していたが、その答えは見つからないまま、時だけが過ぎていく。


「戦いを最小限に抑える方法はないものか……」

 正成は呟いた。

「しかし、もう後戻りはできない」


 正成は、この複雑な心の矛盾を乗り越えるため、幼少時、自分に真言密教を叩き込んだ観心寺の学僧、龍覚りゅうかくに会い、今すぐにでも、何らかの答えを得たいという気持ちに駈られていた。    


 そんな時に、父・正遠から、観心寺に届け物を頼まれた。

 正遠は、半年ほど前から体調を崩し、全く表に出なくなり最近では、正遠が果していた一族の長としての役割りを正成が行うようになっていた。


 毎年、観心寺で盛大に行われる行事、牛瀧祭にあたり御供物を届けてほしいということらしく、さらに小競り合いが続く幕府相手の戦いに、神仏のご加護を受けるためお祓い御祈祷を受けておくようにという父からの示唆でもあった。

 そのため正成は、急きょ、観心寺に向かうこととなった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る