罪なき犯罪者

ボウガ

第1話

 記憶喪失の男。ある戦争に巻き込まれ記憶をなくした。そればかりではなく、彼はある障害をもっていた。男は長らくそれに気づくことがなかった、だからこそある事件がおきたのだが。


 入院している間。妻と名乗る女性が現れ、献身的に介護をしてくれた。女性は非常に美しく、何よりひどく性格がよかった。彼はSNSを使いこの不思議な状況を発信していて、彼の記憶を取り戻す過程は興味深く注目を集めた。彼は定期的にこんなことをつぶやいた。


「俺は、戦場で記憶をなくしたわけじゃないと思う」


 だが徐々に記憶を取り戻し始め、記憶を失ったきっかけの事件以外のことは、ほとんど断片的に思い出しつつあった。日常生活に支障がなくなったのだ。


 記憶を取り戻してからというもの、むしろ彼の妻は、彼につらく当たるようになった。彼が記憶を取り戻すまでは、とても献身的に介護したのに。同時に彼はある記憶を思い出しつつあった。主に夢の中で。


 その記憶は彼にとってひどくつらいものだった。まるで彼女に、妻に責められているような感覚に襲われる。それは彼の悪事の記録。人殺しの記録だった。戦場ではなく、もっと重大な記憶。彼は退役軍人だったことを思い出したが、軍人である以前、いや以後において、ひどい犯罪をしたことを思い出したのだ。それがばれればきっと長い時間刑務所に入れられるだろう。


 一日中恐ろしい感覚におびえ、同時にいつ妻に見放されるかをおびえた。だから妻を避けるようになり、疑うようになった。毎日神経がとぎすまされ、ついに男はある実験をしてみることにした。


 もし、妻からの愛情を取り戻せれば、妻は自分の罪を許してくれるのではないか?そもそも献身的な介護―記憶を取り戻すまでは優しかったのだ。もしもう一度怪我、病気になれば、あるいは記憶を失ってしまえば。正直自暴自棄の側面もあった。

 

 彼の決意は固かった。彼はわざと家の屋上から飛び降りた。見事骨折。すぐに病院に運ばれ、気が付いたときにはすでに手術が終わっていた。

「あなた……どうして」

 妻は自分をなでて泣いていた。ようやく愛情をとりもどしたようだ。それでも、彼を攻め立てたりもした。

「こんなに苦しむなんて、どうして本当の事をいわないの?何かを隠すのはやめて」

「何?」

 いや、あの事を話すには、まだ愛情が足りない気がする。愛情がたりなければ、自分は警察に突き出されてしまう。

「あなたは死にたいの?それならそういってくれればいいのに」

「本当のことを言わないのは君だろ?僕を愛していないんだ」

 妻は雷に打たれたように驚き、静かになって病室をでていった。しかし翌日にはケロリとしていた。男はうすうす、彼女の本心を悟り始めていた。


 彼は絶望していた。というのも記憶が思い出されるにつれ、彼自身の罪が思い出されてきたからだ。彼は、刑務所に入っていたことを思い出したのだ。そしてその理由が、妻の父親殺しの罪である。献身的に介護をするふりをして、その後保険金目当てに殺した。それは妻に常に新しいブランド品をプレゼントするためだ。


 もともと彼はお金もそれほどなかった。近所の人々は世話をしてくれたが、豊かな生活が望めなかった。次第に不安にさいなまれるようになって、その犯行をおかした。彼は耐えられなくなった。


 退院してからも妻は冷たかった。理由をきいても

「自分の胸に聞いて」

 というばかり、段々と理解してきた。自分こそが次の獲物なのだ。すると、その考えを巡らせている夜の食事中に突然妻がナイフを取り上げて振り上げた、初めはそれをとりかえそうとしたが、やがて諦めた。自業自得だ。自分は戦場で人をたくさんころした。それに、現実にも納得できなかった。戦場でしか仕事ができず、普通の仕事に戻ってからも、確かな能力や才能がなく、妻に見捨てられることを常に恐れている哀れな男だった。

(これで死ねる)

 男は血を流しながら、静かに眠った。


 目を覚ますとまたもや病院にいた。妻が泣いてだきついてくる。

「ごめんなさい、ごめんなさい、あなたが思い出していなかったなんて、私……」

「奥さん!」

 医者が妻を引きはがす。落ち着けるために医者が説明する。

「あなたは、自分で自分の体をさしたんです……深刻な統合失調症で、あなたの妻の父の死を勘違いしていたようですね」

「勘違い?」

「そうよ!夕食でそのことをいったらあなた突然ナイフをとりだして……」

「あなたの妄想はPTSD、主に戦場でのトラウマと罪の意識がつくりだしているのです、奥さんは治療のための勉強を続けており、そのことで冷たくされたと誤解して妄想を幻覚を発症したようです」


 眼を閉じると、負傷する前……ふと、記憶の中であの時の夕食が思いだされていた。

「あなたはもう負担に思わなくていい!」

 妻はナイフを取り上げた。そもそもナイフを自分で自分につきさそうとしたのだ。そして、妻はつづけた。

「父は衰弱で、お風呂の中でなくなった、けれど介護は……認知症の介護は、ずっと様子を見ているのは不可能よ、私はつかれて一瞬ねてしまった、そして、その間に、父は溺死してしまった……しかたないことよ、仕方がない事も世の中にはあるのよ」


 男が冷静に記憶をたどると、その主張が正しい気がしてきた。めをあけ、現実に戻ると、ひとことだけ、言葉がくちをついてでた。それは自分の幻覚からの解放を意味した。

「殺してなどいなかった」

「そうよ、あなたの苦しい思いを話してほしかったの……でも下手に刺激すると危ないから、知識をつけて……」

「すまない……すまない」

 男は、記憶と幻覚を整理し、それでもなお残る妻の愛情を実感した。それからは自分でカウンセリングに通うようになり、幻覚と戦うすべをみにつけていった。


 テレビでは、この事件が取り上げられると人々は彼等を“罪なき犯罪者”とよぶようになった。印象が良くない言葉だが、彼等は罪なき犯罪者として、その後も愛しあったという。


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罪なき犯罪者 ボウガ @yumieimaru

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