ローレライを探す冒険

sousou

第1話

 そもそもの始まりは、ローレライの籠城は老体に響くにちがいない、とローマンが言いだしたことにあった。ローマンはあのライン川の乙女がお婆さんだと思っているらしく、なぜかといえば、妖精は天変地異が起こらないかぎり、決して死なない存在だからだ。ぼくは全く違う意見で、老体だなんてとんでもない、ローレライは美声の妖精なのだから、しわくちゃのお婆さんであるはずがない、きっとぼくらのような田舎者にはまぶしいくらいの絶世の美女にちがいない、と言い張った。それで結論がつかなかったために、実際に見に行ってみようじゃないか、という話になったのだ。


 ぼくたちは葡萄畑の手入れをしていた父さんを捕まえて、今度の週末に船に乗せてほしいと頼みこんだ。もちろん、ローレライの住処に行くためだった。父さんはライン川を上り下りしている、蒸気船の乗組員として働いていたから、それまでにも何度か、船に乗せてもらったことがある。父さんは、ぼくと弟のローマンがどこに行こうとしているのかを、知りたがった。


「ザンクト・ゴアーだよ」


 とぼくが答えると、父さんは訳知り顔でうなずいた。


「ははあ、ローレライの岩場に行くつもりだな。よし、母さんにはうまいこと言っておいてあげよう。男の子にはそういう冒険が必要だからね」


 当日になって、船に乗り込むぼくらに、母さんはバスケットを持たせてくれた。中には弁当と水筒が入っているみたいで、それはずっしりと重かった。母さんは、ぼくとローマンの首に、ほどけないよう、ややきつめに襟巻を巻いた。ウッとローマンが苦しげな声を漏らしたが、母さんは気にしなかった。


「いいこと。父さんの仕事の邪魔をしてはいけませんよ。それと、川の上は風が強いんだから、風邪をひかないように、手袋と帽子をつけること」


 はーい、とぼくたちは、よい子の返事をした。母さんは、ぼくたちがずっと船上にいると思っている。でも本当は、ザンクト・ゴアーで降りて、岩場に向かうのだ。父さんが下流から戻ってくるときに、ぼくたちを拾ってくれる手はずになっている。


 船が動きだすとぼくたちは、甲板から母さんに向かって手を振った。母さんはにこにこ、いっぽうで寒そうに足踏みしながら、大きく手を振り返した。本当のことを言えないのは、少し心が痛む。けれど母さんは子供だけで出歩くなんて、許してくれないだろうって、父さんが言っていた。遠ざかっていく母さんを見ながら、心の中でごめんね、とつぶやいた。


「ねえ、父さんはローレライを見たことがある?」


 バスケットから自分の弁当を取り出している父さんに、ローマンが尋ねた。取り出しておかないと、ぼくたちがバスケットを持って船を降りてしまうからだ。顎の髭をこすりながら、うーん、と父さんは考え込んだ。


「じつは、父さんも子供の頃に、岩場を探検したことがあるんだ。そのときはローレライに会わなかったけれど、こうして船に乗る仕事をしていると、たまに歌声を聞いたって人がいるよ」


 父さんがそう話しているうちに、身体の大きい、熊みたいな風貌の男の人が、にこにこしながらやってきた。父さんと同じ制服を着ているから、乗組員の人だろう。


「いいところに来てくれた」と言って、父さんがその人の肩を叩いた。


「仕事仲間のテオさんだ。ローレライの歌声を聞いたことのある人だよ。テオ、おれの息子のカールとローマンだ」


「よろしくな、ぼうやたち!」


「こんにちは、テオさん」


 ぼくたちは声を揃えて挨拶した。父さんは仕事があると言って、テオさんにぼくたちを任せて、船室に入っていった。テオさんとぼくたちは、船室の横にある木箱に腰かけ、話しこんだ。テオさんは、船に乗る生活をはじめてから、二度もローレライの歌声を聞いたことがあるらしい。


「どちらも、岩場の横を通ったときのことだ。女の人の高い声で、きれいなメロディが聞こえてくるんだ。おれは好奇心から『おーい!』って呼んでみたよ。そうしたら、『ラー♪』と声が返ってくるんだ。それを何度か繰り替えしたんだ。『おーい』『ラー♪』『おーい』『ラー♪』ってな」


 体格に似合わず、「ラー♪」のときだけ、テオさんは高い声を出した。それが面白くて、ぼくたちは笑った。すると調子づいたテオさんが、胸に片手を当てて立ち上がり、オペラ歌手のように「ラー♪」と大声で空気を震わせた。ぼくたちはおなかをかかえて笑った。甲板で作業している他の船員さんたちも、こちらを見てにやにやとした。ぼくたちも真似して、「ラー♪」と高い声を出した。


 そんなことをして遊んでいると、船がザンクト・ゴアーの岸辺についた。ぼくたちは、お昼ごはんが入ったバスケットを抱えて陸に降り、父さんとテオさん、それに甲板にいる他の船員さんたちに向かって、手を振った。


「戻ってくる時間に遅れるなよ」と父さん。


「ローレライに会ったら、さっきの歌声を披露してやるんだぞ」とテオさん。


「がんばれよ!」と他の船員さんたちが口々に言った。


 汽笛が鳴って、船が遠ざかっていく。ぼくたちはザンクト・ゴアーの集落を抜けて、ローレライの伝説がのこる岩場に向かった。


「けっきょく、ローレライがどんな見た目をしているのかは、分からなかったね」


 バスケットをぶらぶら振りながら、ぼくはローマンに話しかけた。


「もしローレライみたいな人を見かけたら、どうやってローレライだと見分ければいいんだろう?」


「『ローレライさんですか』って訊けばいいんだよ」


 それもそうだ、とぼくは納得する。息をきらしながら、岩場の頂上まで登ると、対岸の葡萄畑が目の前に広がった。右を見ても、左を見ても、ライン川が蛇行しながら、ずっと先まで伸びている。空は青く、樹々は深く、川は輝いていた。達成感でいっぱいになったぼくたちは、ここでお昼ごはんにすることにした。


 しかし、風が強いことをもう少し考えなければいけなかった。地面に置いたバスケットから、ローマンが水筒を取り出したとき、風に煽られたバスケットが、岩場をころり、と転がった。ぼくはあわてて持ち手を掴もうとしたが、そのままバスケットは、険しい岩壁をころころ転がった。ついに、灌木の茂みに引っかかって止まった。


「お昼ごはんが!」


 ぼくたちは途方にくれた。どう考えても、岩壁を降りていくのは危なかった。もし足を踏み外せば、何十メートルも下の道路に真っ逆さまだ。縄でも持ってきていれば、バスケットを引き上げることができたかもしれないけれど……。


「ふん、おバカさんね」


 背後からかけられた声に驚いて、ぼくたちは振り向いた。そこには、腕組みした女の子が立っていた。ローマンと同じ年ごろか、少し下に見える。むっとしたぼくは、「落ちてしまったものは仕方ないじゃないか」と言った。女の子は得意げな顔をして、腰のポシェットから、束になった何かを取り出した。それはきれいに処理された、長い葡萄の蔓だと思われた。


「あたしが引き上げてあげてもいいわよ」


「そんな蔓、切れちゃうに決まっているよ」


 ぼくはローマンの腕を掴んで、行こう、と言った。集落まで下りて、事情を話せば、誰かが力になってくれるかもしれない。だが、ローマンは動こうとしなかった。不思議に思って見やると、彼は目をまん丸にして、食い入るように女の子を見つめていた。


「もしかして、ローレライ……?」


 そんな馬鹿な、と思って改めて女の子を見ると、たしかに伝承通りの、透き通るような金髪に、うす青の瞳を持っている。それに、どちらかというと、顔の造りはかわいいほうだ。自分にも言い聞かせるつもりで、ぼくは言った。


「だ、騙されるなよ、ローマン! 金髪の女の子なんて、そのへんにいっぱいいるじゃないか。ローレライがこんな、ちんちくりんなはずがないだろ」


「カールは夢を見すぎなんだよ。しわくちゃのお婆さんじゃないだけ、いいじゃないか」


「なんだと!」


 ぼくたちが言い合いをしている間に、女の子がつかつかとやってきて、岩壁から身をのりだした。バスケットの位置を確認すると、例の蔓を振り回して勢いづけ、びゅっ、と投げる。すると見事、先端のかぎがバスケットの持ち手に絡まった。ぼくたちは喧嘩をやめて、「わあ、かっこいい!」と叫んだ。女の子は満足そうに鼻息をはいた、「だから任せなさいって言ったのよ」。ぼくの心配をよそに、バスケットを引き上げても、葡萄の蔓は切れなかった。


 ぼくたちは、バスケットを引き上げてくれたお礼に、女の子を昼食に誘った。母さんは弁当をつくるとなると、張り切って作りすぎるふしがあるので、包みを開けると、三人で食べるのにちょうどいい量の昼食が入っていた。


 ぼくたちはそれぞれ、サンドウィッチを二つと、プレッツェルが一つと、林檎を二個食べた。サンドウィッチには、卵やキャベツやベーコンやチーズが、ぎっしり詰まっていた。食べながらぼくたちは、女の子がハンナという名前で、ザンクト・ゴアーの集落に暮らしていることを知った。彼女は、川に沈められたというニーベルンゲンの黄金を探して、休みのたびにこの辺りを探索しているのだという。


 おなかがいっぱいになったぼくたちは、民謡の『もみの木 O Tannenbaum』を口ずさみながら、岩場を下り、川沿いを歩いた。ハンナは手書きの地図を持っていて、黄金がありそうな地点を見つけると、地図上に×印をつけているのだった。その地点に至ると、ぼくたちは目を凝らして、水中に黄金らしきものが見えないか探した。また、杖代わりに持った頑丈な枝で、川岸に流れついた流木や落ち葉をどかし、宝が混ざっているかどうか、確認した。ローマンが、留め具の壊れた、カメオのブローチを見つけたときには、三人で大喜びした。議論の結果、それはニーベルンゲンの黄金の一部にちがいない、という結論に至った。


 日が傾きはじめ、父さんの船が戻ってくる時間になった。三人で船着き場に駆けていくと、ちょうど船が停泊するところだった。「おーい!」という声に顔を上げると、父さんとテオさんが、こちらに向かって手を振っていた。


「かわいらしいローレライを見つけたじゃないか!」


 とテオさん。父さんも同意するように、笑っている。


「あたし、ローレライじゃないわ!」


 と叫び返すハンナは、照れ隠しに鼻をこすった。


「まあ、かわいらしいのは認めてもいいわ」


 また一緒に遊ぶ約束をしたあと、ぼくたちはハンナに別れを告げた。ハンナの姿が森の陰に隠れて見えなくなるまで、ぼくたちは甲板から大きく手を振りつづけた。


 民家が途切れ、再び、ローレライの岩場が近づいてきた。そのとき、ぼくたちに手袋や帽子をつけさせていた父さんが、首をかしげて、「何か聞こえないか?」と言った。ぼくたちは耳をすませた。



   もみの木 もみの木 いつも緑よ

   もみの木 もみの木 いつも緑よ

   輝く夏の日 雪降る冬の日

   もみの木 もみの木 いつも緑よ……



「『もみの木』だ!」とローマン。


 岩場に近づくにつれて、歌声が大きくなっていく。手すりから身を乗り出したぼくとローマンは、顔を見合わせると、その美しい声に合わせて、『もみの木』を歌いはじめた。父さんとテオさんは、しばらく驚いた様子で岩場を注視していたが、ぼくたちの様子を見ると、気が抜けたように笑って、一緒に歌いはじめた。そしていつしか、船上にいる人全員が、『もみの木』を合唱していた。


「おかえりなさい! 船は楽しかった?」


 家に着くと、母さんがぼくたちを出迎えた。ぼくたちは腕を広げる母さんの胸に飛びこんで、言った。


「うん、ローレライと一緒に歌ったんだよ!」

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ローレライを探す冒険 sousou @sousou55

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