パンダおでん

酒月うゐすきぃ

パンダおでん

仕事からの帰り道。

大きめのヤマをやっつけたこともあって、一杯ひっかけて帰りたい気分だった。

たまにしか寄らない横丁をぶらぶらしながら吟味していると


『パンダおでん』


と書かれた暖簾が目についた。

居酒屋というよりは、個人がひっそりと続ける大衆食堂のような印象である。

少し迷ったものの、その妙な名前を無下にできず、暖簾をくぐることにした。


店内はこじんまりとした質素な作りで、惣菜の乗った大皿がカウンターに並んでいる形式の出で立ちである。

店の中央には大きなテーブルが1卓あり、10人ほどが座れる塩梅だ。


そんな店内でとりわけ目を引くのは、入り口正面に鎮座する立派な水槽である。

生簀として使っているのかと顔を近づけてみると、いい香りが漂ってきた。

よく見ると、水槽を満たしているのは水ではなく、透き通った琥珀色の出汁だった。

中には山と盛られたおでんが陶器のどんぶりごと沈められている。


それだけではない。

どんぶりに寄り添うように、拳より少し大きい程度のパンダが数匹、出汁の中に沈むように思い思いの様相でくつろいでいるではないか。


『当店のパンダは哺乳熱が非常に高く、その熱を利用しておでんを煮込んでいます。大変お熱いので、水槽にはお手を触れないようお願い致します』


水槽の手前には、ご丁寧にもそんな注意書きが張られている。

なるほど、確かにどんぶり近くのパンダは、より小さな個体を抱いて授乳をしているようだ。

これで発熱しているのだろうか。


「お好きなお席へどうぞ」


カウンターの向こうから、女性の声がした。

空いている席に座ると、他の客の様子が目にとまる。

皆一様に、むかしばなしのごとくてんこ盛りのどんぶり飯を抱えていた。

その飯の上に思い思いの惣菜をのせ、黙々と食べているではないか。


「お待ちどうさま」


先ほどの女性が、俺の目の前に他の客と同じような山盛りの飯を置いた。

まだ何の注文もしていないはずである。


「好きなお惣菜を勝手にとっていってください。ただ、おでんだけはお熱いので、こちらでやらせていただきます」

「なら、大根と豆腐、たまごをお願いします」

「かしこまりました」


女性はテーブルに置いたばかりのどんぶり飯を持ち去り、水槽の方へと歩いて行った。

ほどなくして戻ってきたどんぶりには、確かに注文したおでんの種が、飯の上に盛り付けられている。

不安定極まりない様相なのに、不思議と落ちるような様子はなかった。


試しに大根をかじってみる。

―――実によく染みた大根だ。

出汁の味はしっかりとしているものの、決して煮詰まって塩辛いなんてこともない。

半丁程の豆腐も、表面が乾いて固くなっておらず、滑らかな舌触りだ。


行儀は悪いが、こうなってしまっては致し方ない。

飯の上で豆腐とたまごを崩し、一緒くたにかきこむ。


―――――


あれほどの飯を、あっという間に平らげてしまった。

夢中で食ってしまったが、他の惣菜も試してみればよかったな、などと思いながら勘定を済ませて店を出る。


……と、酒を飲んでいないことに、いまさらになって気が付いた。


「まぁ、今日は十分か」


膨れた腹に強い満足感を覚えながら、帰路についた。


―――――


それから半年ほど経った頃、突然、妙にあのおでんを食べたくなった。

仕事帰りに例の横町に行ってみたが、中々店を見つけられない。

確かこの辺りだったはず、という場所には、暗い路地があるのみだった。


「ここいらに、パンダおでんという暖簾をかけた食堂がなかったかい?」

「お兄さん、だいぶ吞んできましたね。うちでもう一杯どうです」


呼び込みをしている若いのに声をかけるも、心当たりはないようであった。

閉めてしまったのか、あるいはそもそもそんな店はなかったのか。

あれから数度、横町を歩いてみたが、あの暖簾を見ることはついぞなかった。


そして俺はというと、大きなヤマを片付ける度に、自分で簡単なおでんを煮込むようになった。

パンダには敵わないが、最近はだいぶ板についてきたものである。


今日も山盛りの飯の上に、おでんを乗せて。

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パンダおでん 酒月うゐすきぃ @sakazukiwhisky

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