水族館
珠洲泉帆
水族館
一人になりたいときはここへ来る、白樺の林に囲まれた水族館。他に人がいたためしはなくて、いつもがらんとしている。でもそれがいい。平たく丸い筒にふたをしたような外観で、中に入ると周りをぐるりとひと続きの巨大な水槽が取り囲んでいる。
水槽の中は暗い。青黒い水の奥から、時折いきものがこちらへやってきて顔を見せる。ふわふわと幻想的にただようクラゲ、水槽の底を這うダイオウグソクムシ、八本の足を巧みに操るタコ。斑点模様を持つジンベエザメやぬっと姿を現すクジラなど、種類は様々だ。
薄暗い建物の中央には展示台が置かれ、海中で見つかったものやいきものの標本が展示されている。そういったものをじっくり眺めることもあれば、水槽に張りついていきものの出現を今か今かと待つこともある。ただ、期待して待っているとたいていは来てくれない。ぼんやり水槽の前に立ってもの思いをしていて、気づくとそこにいることが大半だ。
人間と、海のいきものと。生命の始まりは海であるはずなのに、人間は海ととても相性が悪い。海中では息ができないし、深いところへは行けないし、泳ぐのにも潜るのにも限界がある。陸に上がったというただそれだけのことなのに、どうしてこんなに海から遠くへ進化を遂げたのだろう?
海のいきものだって、陸に上がればすぐに死んでしまうのはなぜだろう。どうして海を住処と定め、海にだけ適応して生きることにしたのだろう。地球には海のほうが多いから? 彼らが陸に上がらなかった理由が知りたい。
海のいきもの、陸のいきもの。何がそれらを分けたのか。
水槽の奥のほうに素早く泡が立ち、ペンギンがどこかへ鋭く、すべるように泳いでいった。そこから逃げてきただろう小魚がガラスのすぐ向こうで旋回し、また消えていく。
もし、わたしが原始のいきものだったら。海にいるままか、陸に上がるか、果たしてどちらを選ぶだろう? 陸に行けば、天敵のいない怖いもの知らずな種になれる。海にいるままだったら……。
足元が何かの影で暗くなった。見上げると、水槽の上のほうに大きないきものが現れていた。
「シャチだ」
シャチはおだやかに、どこかへ泳ぎ去った。
わたしは目を閉じる。次に目を開けたときには、水槽の中の様子が一変していた。
そこは古代の海になっていた。わたしはアンモナイトを見つけた。シーラカンスが優雅に泳ぎ、モササウルスが悠々と目の前を横切っていく。図鑑の中でしか見たことのない海藻やイソギンチャクらしきものがあちこちに生えていて、知らない惑星に来たみたいだった。
展示台のほうへ行くと、海底に沈んだ都市や宮殿から見つかった物が並んでいた。コップやイスなどの日用品、装身具、死んだ人と一緒に埋められただろう物まで。わたしは考える。いつか、わたしの町も水底に沈み、遠い未来に発見されるのだろうか。
わたしは水族館を出た。
目覚ましの音が夢の余韻をぶち壊した。完全に目を覚まさせられたわたしは起き上がり、右手を伸ばして音を止めた。
カーテンを開けると、まぶしいほどの陽光が部屋に降り注いだ。わたしは窓を開け、ベランダに出る。深く呼吸してみた。昨日と変わらず、わたしは完全なる陸のいきものだった。
水族館 珠洲泉帆 @suzumizuho
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ネクスト掲載小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます