37 【ラブラブパワー】

 その日のノルマ『DAY8 おやすみのキスをする(Lv2ほっぺ)』をそれぞれしていざ寝ようとしたけど、珍しく俺はすぐに寝付くことができなかった。


 何度も寝返りを打つ俺に、龍之介が心配そうに声をかける。


「亘、寝られないの?」

「ん……」


 明日からは俺たち二人きりで、大人で理知的だったジャンさんたちペアとはライバル同士になる。また、モヤモヤだ。


 ダンジョンに入る前までは、こんなにモヤモヤすることなんてなかった。なのにここに来てからというもの、俺は大分おかしい。


「……淋しいね」


 龍之介がぽつりと呟いた。龍之介の言葉で、そっか、俺は淋しくなっているんだ、と気付かされる。


「……龍之介、そっちいっていい?」


 ここのところずっとくっついて寝ていたからか、距離が開いていることに違和感を覚えていた。龍之介の体温を感じたい。


「あ……うん、どうぞ」


 龍之介が両手を広げたので、ゴロゴロと転がってすっぽり龍之介の前に収まる。うん、やっぱりここが一番落ち着くな。ドキドキもするけど、それよりも安心感の方が強い。


「眠れそう?」

「ん……蹴ったらごめん」


 ふふ、と龍之介が小さく笑った。


「大丈夫。気にしないでいいから」


 トクン、トクンという穏やかな鼓動が、耳を付けている龍之介の腕から聞こえてくる。瞼を閉じると龍之介の息遣いも感じられて、ようやく身体の力を抜くことができた。


「おやすみ」

「うん、おやすみ亘」


 瞼を閉じたまま、俺は「そっか」と納得していた。


 龍之介に時折感じていたモヤモヤの正体が、ようやく分かった。


 俺は淋しかったんだ。ちゃんと好きだって言ってほしかったんだ。


 ――龍之介のことが好きだから。



 今日もアホドラゴンの騒音で起こされて、地下十二階に滑り落ちていった。


【男バス元女マネさっちー】谷口、元気ない。どうした?

【男バス女マネ雪】亘先輩、マンハッタンペアに懐いてたからな

【名無し娘】海外イケメンに媚び売ってたビッチちゃん、残念草

【男バス元女マネさっちー】名無し娘出ていけ、お前こそビッチだよ

【通行人A】さっちーさん、落ち着いて。アラシはスルーが鉄則だってば

【名無し】粘着ってすごいなあ。ワタルちゃんを貶したって龍くんから嫌われるだけなのにね

【名無し娘】龍くんは優しいから嫌ったりなんかしないし。部外者こそ黙れ


 ……今日も荒れてるなあ。にしても、ビッチって酷くね? 俺は正真正銘童貞処女ですが。ファーストキスすらまだなのに。


 でもそのファーストキスは、今夜龍之介に捧げることが既に決まっている。……あれ、考えたら頭がぐるぐるしてきた。


 え、キスってどんな顔してすればいいの!? 目って瞑るのか!? だけど目を瞑ったらぶつからない!? 成功するまでチャレンジするのなんて恥ずかしくて死ねるし、かといって目を開けたままチューするなんてもっと無理なんだけど!?


 注意深く周囲を観察しながら一歩前を歩く龍之介の背中を見つめていると今夜の妄想がどんどん広がっていって、心臓が口から飛び出してきそうになった。


 あ、駄目だ。今は龍之介を見ていると心臓がヤバい状態になる。キューはどこだ? 俺の癒しよ、どこにいる? と目だけで探すと、今は離れた上空から俺たちが進む様子を映していた。遠いよ……。


 仕方なく、俺は心臓の上を両手で押さえながら深呼吸を繰り返して自分を落ち着かせる。でもきっと、龍之介を見たら絶対また心臓が跳ねるんだよな。


 どうしようもなくて、もう一度スマホ画面に目線を戻した。


「……ん?」


 言い争いはまだ続いている。その中に気になる言葉があった。


【男バス三年ひいくん】名無し娘ってさ、さっきから龍之介のこと知ってるような口調じゃね? もしかしてうちの学校の奴?

【通行人A】ここで個人が特定されるような言動はやめよう

【男バス女マネ雪】うちらバレバレだけどな。この間顔写真出回ってて怖って思った草

【男バス三年ひいくん】俺もうちょっと映りいい写真あったのに、なんであんな目を瞑ってるやつにされたんだろ

【名無し娘】ひいくんは目を瞑ってても格好いいよ!

【男バス三年ひいくん】まさかあの写真、お前か?

【男バス元女マネさっちー】うわあ……最低

【男バス三年ひいくん】そういや、いつも俺らの練習に来ちゃ写真取りまくってる女いたよな

【通行人A】ひいくん、ストップ! はい、この話はこれでおしまい!


「うわあ……」


 やっぱり荒れてるなあ。だけど氷川の言葉に、俺は思い当たる節があった。そう、以前俺にいきなり暴言を浴びせて突き飛ばした例の彼女のことだ。


 彼女はいつも体育館のドアの隙間を陣取って、「撮らないで」って俺たちマネが止めても写真を撮りまくっていた。あまりにもしつこいので扉をガコンと閉める時、いつも物凄い形相で「チッ」と俺たちに舌打ちしていた子。


 長い髪の毛に赤い口紅が特徴のちょっと派手めなそこそこ可愛い子だったけど、いつも目が三角に尖ってる印象しか残ってなかった。


「あれか……」


 可能性はありそうだ。彼女は龍之介だけでなく、氷川や他のスタメンにもきゃあきゃあ黄色い声を出していた。俺は「退け、ちび」とか何度か小声で言われたから、多分高身長が好みなんだと思う。


 なるほどなるほど、とスマホ画面に注目していたその時、龍之介の鋭い声が飛んできた。


「亘、危ない!」

「え」


 目の前に火球が見えたと思った瞬間、龍之介が俺に飛びかかる。咄嗟に反応できなくて、なすがままに二人一緒に地面を転がった。


「亘、大丈夫!? 怪我はない!?」


 俺を庇って覆い被さっている龍之介が、必死な表情で尋ねる。これは明らかに俺の落ち度だ。こくこく小刻みに頷いた。


「だ、大丈夫……っ、ごめん、コメント見てて」

「あ……、よかった……!」


 余裕がなかった龍之介の表情が、一瞬で安堵の笑顔に変わる。


 トクンッ。


 龍之介のまっすぐな笑顔に、俺の胸がときめいた次の瞬間。


『ピンコーン! ハート値がマックスになりました。必殺技【ラブラブパワー】が発動できるようになりました』


 俺たちのスマホが、突然おかしなことをのたまい始めたじゃないか。


 二人とも同時に、自分の画面を覗き込む。画面には、大きなハートがピコンピコンと点滅していた。悪趣味……。


 と、龍之介が目も口も大きく開けて、俺と画面を交互に見比べる。


「え、ハート値マックスって、え、だって僕は最初からだし……え? どういうことっ!?」


 龍之介は混乱しているのか、「え? え?」ばかり繰り返していた。すると、龍之介の頭のすぐ上を火球が再び通り過ぎていく。


 ぐいっと龍之介の肩を押した。


「龍之介! 今はそれは置いておいて、戦うぞ!」

「あ、う、うん?」


 龍之介が戸惑っている間にも、またもうひとつ火球が通り過ぎていく。


「くそっ」


 俺は龍之介の肩を思い切り押すと、龍之介と自分の位置をくるりと入れ替えた。


 そのままの勢いで立ち上がると、龍之介に手を貸す。


「立て! 倒すぞ!」

「……! うん!」


 龍之介は俺の手を掴んで立ち上がると、長剣を抜いて構えた。火球が飛んでくる方向を確認する。


「うげ……っ」

「間違いなくフロア転移陣を持ってるよ! 頑張ろう亘!」

「うええ……っ、が、頑張る」

 

 俺は虫が苦手だけど、大蜥蜴の時に爬虫類も案外駄目だと知った。新たな気付きってあるよな。


 そして洞穴のような通路をびっちり埋めているのは、大蛇の大軍だった。クラクラする。奴らは口を開けると火球を放ってくるけど、連続して放てないのか攻撃速度自体は速くない。


 ピコーン! ピコーン! と鳴り続けている画面をタップすると、【ラブラブパワー】の文字の下に火魔法、水魔法、氷魔法……と使用可能な魔法が書いてあった。


 機械的な女性の声が、淡々と告げる。


『【ラブラブパワー】発動には投げ銭1000が必要です。使用しますか? 使用する場合は、声を合わせて【ラブラブパワー】と大きな声で唱えながら発動する魔法をタップして下さい。【ラブラブパワー】発動には投げ銭1000が……』

「一発百万円かよ! このごうつくばりが!」


 思わず地面をドン! と踏みつけた。だから異世界のドラゴンが金集めてどーすんだよ! 事業でも始める気か!?


 飛んでくる火球を氷を纏わせた長剣で左右に弾きながら、龍之介が俺を宥める。


「確かに高いけど、投げ銭は溜まってるから試してみようよ! ボス戦にどの程度効果があるのか確認しないと!」

「それは確かにそうだな!」

「じゃあせーので言うよ!」


 ――あのアホドラゴン、いつかぶん殴る!


「……チクショー! 恥ずいけどやってやる!」

「激しく同意だけどいくよ! せーの!」

「【ラブラブパワー】!!」


 二人同時に怒鳴りながら氷魔法をタップすると、俺たちの前にこれまでとは比較にならない雪だるまみたいな大きさの透明の玉が出現する。


 俺と龍之介は二人で大玉を掴むと、上に振り被り――大蛇の大群に向かって投げつけた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る