29 DAY5

 その晩のドキドキの腕枕は、散々な結果に終わった。


 結構疲れていた俺は、寝られるかなあなんて心配していたのが嘘のように即寝した。すると当然、俺の寝相の悪さが発揮される。


 あちこちに転がろうとする俺を引き止めるのに苦労して、龍之介は一向に寝ることができない。寝られないと、確実に翌日に響く。このままじゃ拙いと思った龍之介は、最初の日に俺たちの手首を結びつけた紐を取り出すと、俺と龍之介の腹を括った。


 ちなみに俺はこれまでの数日で何度か龍之介の急所を膝蹴りしていたらしく、「正面は危険すぎる」と龍之介は判断。後ろから抱きつく、所謂バックハグの体勢で腕枕をして、ようやく眠りにつくことができたそうだ。


 俺の寝相が悪さして、本当にごめんね。


 ここまでは、まだよかった。いや、龍之介ひとりが大変だったからよくはないんだけど、まだいつもの延長線上というか。……俺、普段からどれだけ龍之介に世話をかけてるんだろう。


 と、とにかく! 問題はこの先だ。


 俺と龍之介は、朝までぐっすり寝た。連日長距離を歩きまくっているし、緊張感の中過ごせば神経だってすり減るもんだ。だから、日頃よりも疲れの具合は深かったと思う。で、だ。


 恒例となったアホドラゴンの音量が狂った『おっはよー!』という声と共に目を覚ました俺と龍之介は、飛び起きようとして腹に結ばれた紐のせいで「ぐえっ」とえずき、きつく結ばれた紐を解こうとした。


 だけどここで、俺のお尻にピッタリ当たっていた龍之介の龍之介が、元気になってしまったんだ。


「まっ、わ、わざとじゃないんだ!」


 うん、分かるよ! 朝だからな、そういうこともあるよな!


 俺は龍之介を落ち着かせようと、「よくあることだから気にするな!」と励ました。だけど龍之介は焦りに焦ってしまい、解こうとする手が震えまくる。しかも、俺の胸のせいで上から覗き込んでもよく見えない。


 胸の谷間はよく見えていたみたいだけど、見たいのは今はそれじゃない。


 腿の間に入ってくる段々と硬くなっていくもの、焦りが募る龍之介。


 熱くて荒い息が俺の首筋にかかるのに必死で耐えていたけど、それにだって限度はある。あちこち触れられて段々と変な気持ちになってきていることに危機感を覚えた俺は、龍之介の手を乱暴に退かした。


「あーもう! 俺がやるから貸せ!」


 だけど俺は、割と不器用な自覚がある。「あれー? ここを引っ張ると……なんで締まるんだよ!」とそこそこ長い時間ガサゴソやってようやく解けた直後、龍之介は飛ぶ勢いでトイレに駆け込み、暫く出てこなかった。ギリギリだったんだと思う。


 謝るのもなあとは思ったけど、顔を赤くして戻ってきた龍之介に一応謝った。すると、龍之介は顔を両手で覆ってしゃがんでしまった。暫く立ち直れないようだったので、「……ごめんな?」と今度は心の中でだけ、謝った。



 そんなこんなで若干ぐったりしながらも、地下六階へ降り立つ。


 初の階スキップにちょっとばかり緊張したけど、そこは龍之介が慎重かつ正確にやってくれた。ちなみに俺は、もう考えなしに赤いボタンを押さなくなった。そんな俺に対し、龍之介は「偉い偉い」と菩薩のような微笑を浮かべて昨夜は頭を撫でてくれた。


 こうして俺の自尊心は膨れ上がるんだ。


 ……龍之介に褒められると、無条件でこそばゆさと同時に抑え切れない喜びを感じちゃう俺ってどうなんだろう。龍之介に褒められるイコールいいことだって、昔から刷り込まれてるからなあ。


 とにかく、これで最終日のノルマ『愛し合おう♡(配信非公開・公開を選択のこと)』は回避できた。最悪の事態は避けられたから、とりあえずヨシとしておこう。


 撮影モードに入ったキューに手を振っていると、切羽詰まった表情を浮かべた龍之介が言った。


「――亘、拙い」

「え?」

「問題が起きた」

「え、なになに」


 不安に思いながら、龍之介の手元を覗き込む。


「……うっそ、マジかよ」

「目論見が外れたね。五階でフロア転移陣を見つけられなかったのかも」


 なんと、イタリアペアも六階に来ていた。昨日、五階は彼らだけだったから入手している方に賭けたけど、その賭けに俺たちは負けてしまったらしい。


 龍之介が、悔しそうに頭をガシガシ掻いた。


「フロア転移陣に関するコメントが反映されないのは痛いな……」

「完全に予想と状況だけで判断しないとだもんなあ」

「そうなんだよね……あー、参った!」


 とにかく、ここでこうしていてもどうしようもない。ジャンさんと連絡を取り合い、気を付けながら慎重に進むことになった。


 だけど、悪い状況は続く。


 俺たちの姿を見た瞬間、茶金の髪を七三に分けた女が「おーい! ちょっと情報交換をしないか!?」と話しかけてきたのだ。


 一瞬、ブラジルチームかと思った。だけど龍之介が「イタリアペア……!」と呟いたことで、最悪のエンカウントをしてしまったことに気付く。


 作ったような笑いを浮かべた女が、どんどん近付いてきた。彼女の後ろを守るようにピッタリついてきている黒髪のダンディなお兄さんの表情は、全く読めない。


 その対比があまりにも不気味で、身体が無意識の内にぶるりと震えた。


 直後、金縛りが解けたかのように龍之介が俺の手首を掴むと、鋭く言い放つ。


「――亘! 逃げるよ!」

「わ、う、うんっ」


 俺たちが踵を返したのを見た瞬間、イタリアペアの女の方、マリオが笑顔を一瞬で怒り顔に変貌させた。


「クソッ! 待ちやがれ!」


 物凄い速さでこちらに向かってくる。


 俺たちは懸命に走った。だけど俺は、鈍足には自信がある。このままだと、あっという間に追いつかれてジ・エンドになるのは間違いない。


 俺はない頭を捻って捻って――ナイスアイデアを閃いた!


「龍之介、ちょっと止まれ!」

「でもっ」

「足止めするから!」


 スマホを操作すると、覚えたての水魔法Lv4を選択する。手の上に現れた透明の玉の中に収められているのは、一見ただの水だ。


 だけど、これがとんでもない威力を持っているんだよな。ごそっとMPは持っていかれるけど、それだけの効果はある。


 俺の意図に瞬時に気付いた龍之介が、大きく頷いてくれた。どうだ! 俺だってやればできる子なんだぞ!


「――喰らえぇっ!」


 玉をできるだけ遠くに投げつける。玉は弧を描いた後、地面にぶつかるとパンッと乾いた音と共に破裂し――突如現れた濁流が、イタリアペアを呑み込んだ!


「くそったれェェェ!」

「マリオ!」


 轟音の合間に、二人の叫び声が微かに聞こえる。俺と龍之介は拳をゴッとぶつけ合わせると、にやりと笑い合った。


「さすが亘! この手は考えてなかったよ!」

「へへーん! これで暫くは追ってこれないだろ。さ、行こうぜ!」

「うん!」


 これは濁流を出現させて敵を遠くに流すという魔法で、溺れさえしなければ死ぬことはない。いくらイタリアペアが乱暴な奴だと分かってはいても、相手に過度な危害を加えるつもりは俺にはなかった。


 どちらからともなく手を繋ぐと、全速力で来た方向に向かって走っていく。真ん中のルートが行けなくなった結果、中央のセーフティゾーンに最短で行けそうなルートから逸れてしまったけど、仕方がない。自分たちの命の方が大事だ。


 大分流されたとは思うけど、俺たちの位置はイタリアペアにバレてしまっている。


 足早に氷のスライムを倒しながら先を急ぐと、途中で七階への階段を発見した。


 ジャンさんたちに階段の場所を伝えるべく、龍之介が連絡を取る。


「はい、一番南の奥です。はい、はい――それと、先ほどイタリアペアと遭遇して、」


 すると、その時。


 真剣な表情で話していた龍之介の目が、大きく見開かれたじゃないか。慌てて龍之介の目線を追うと、後ろから迫ってきているのは、びしょ濡れのイタリアペアだった。


 マリオが、恐ろしげな形相で歯を剥いて叫ぶ。


「見つけたぞ! 日本人!」

「しつこいなっ!」


 再び水魔法Lv4をお見舞いしようと、スマホを覗き込んだ。


「拙い、龍之介! MPが足りない!」

「……仕方ない! ジャンさん、僕たちは先に行ってます! はい、はい、ジャンさんたちも気を付けて下さい!」


 龍之介は急いで通話を切ると、必死な形相で俺の手を掴み、そのまま階段へと飛び込んでいったのだった。

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