この病の名、風に乗せ
最後の一体の魔物が塵となり、風に吹かれて消える。オリビアのおかげでいつもよりも怪我が少ないどころかほとんどない隊員たちは、わっと歓声をあげた。その中でオリビアは、ニコニコとただ笑っている。
「オリビア、やったな!」
ペステが右手を挙げてハイタッチを待ち構えたが、オリビアはにっこり笑って上品に小さく頷いただけだった。
「そうですね。」
ペステの表情が固まる。近くにいたジーリッシュも、ルピナスとハイタッチする予定だったのに空振りした。
「こういうのやらなかったの?」
オリビアは、きょとんと目を丸くした。そして周りを見渡すと、確かに他の隊員たちもハイタッチをしたり抱き合って背中を叩いたりしており、なるほどと頷く。
「ありませんわ。友と喜びを分かち合う…私のやり方でよろしければ、やりますわ!」
きらん、とぺステとルピナスの目が輝いた。そして空気と化していたジーリッシュを前面に押し出す。ジーリッシュは手を挙げてハイタッチの構えを取ったが、オリビアは、ジーリッシュに思い切り抱きついた。
「!?」
ジーリッシュが顔を赤くして立ち尽くしていると、他の隊員たちも寄ってくる。完全に警戒を解いて、野次馬になっている。
「勝ててよかったですわ。」
勝利、というよりかはプレゼントをもらって喜んでいるようにしか見えない。ペステがため息をつくのと同時に、他の隊員たちも苦笑した。何もわかっていないのは、原因となったオリビアといまだ困惑し、赤面しているジーリッシュだけだった。
その後、第五分隊の中では抱き合うことへの禁止令が出されたとか。
オリビアはパチリと目を覚ました。自室の中を見渡して、いつもと変わらない風景にホッとする。立ち上がり、さっと着替えればもう魔法騎士団の一員として気が引き締まった。かちゃりとドアを開け、たまたま目の前にいたジーリッシュににこりと微笑む。
「おはようございます。」
「おはよう。」
ジーリッシュも笑ってそれに返した。偶然、とは言っているものの、オリビアがここに配属されて一週間ほどしてから毎日この光景は繰り返されている。それが偶然なのか、はたまたどちらかが計画しているのか、判断はできない。
「じゃあ行こうか。」
ジーリッシュの言葉にオリビアは頷いて彼の隣に行き、揃って歩き出した。
「今日の朝飯、なんだろうな。」
ジーリッシュがオリビアに聞いた。オリビアは首を傾げて考えると、にっこりと笑った。
「骨付きラム肉のシチューがいいですわ!」
そんなのあるのか、と問いたくなるようなメニューだ。しかもとても食べづらそうである。
「それ、どうやって食べるんだ?」
オリビアは、不思議そうな顔をしてジーリッシュを見上げた。どうやら食べ方があるらしい。
「ナイフとフォーク、スプーンを使って、ですわ。それ以外にありまして?」
まさか手で食べるわけありませんでしょう、と言外に言われた気がしてジーリッシュは諦めた。さすが貴族はカトラリーを手と足のように扱うことができるらしい。
「うん、ないな。俺は残念ながらカトラリーを手と足のようには使えなくて…」
オリビアはクスリと笑い、ジーリッシュの背中を優しく叩いた。
「…私は足は使いませんわよ?とにかく、大丈夫ですわ。誰にも得手不得手があります。私が教えて差し上げますわ。」
ジーリッシュの顔が赤くなった。深呼吸をしてすぐに元に戻ったが、オリビアはその様子を不思議そうに眺めていた。
「ありがとう。ところで、今日の鍛錬はなんだろう。そこまで重くないといいな。」
急な話題転換にオリビアは目を丸くしたが、すぐに答えを返した。
「うふふ。でも、きちんと体を動かさなければいざという時に動けませんわ。」
冷静な返しに、ジーリッシュは言葉に詰まった。その一方でオリビアは、ジーリッシュとの話に夢中になりすぎて足元をみるのを忘れていた。
「きゃっ」
「っと。」
少し大きめの石につまづき、そのまま倒れ込みそうになるのをジーリッシュが支える。つまりジーリッシュに抱え込まれる形となり、オリビアの顔が真っ赤に染まった。
「あ、ありがとうございます!」
すぐに身を起こして礼を言うが、ジーリッシュはオリビアの顔が少し赤いことに気がついてくすりと笑った。
「どういたしまして。」
その笑顔にまた顔を赤くして、オリビアは心臓の音がうるさいことに動揺した。オリビアは生まれてこのかた、こんなことを経験したことがなかった。
「ジーリッシュ、私病気かもしれませんわ。心臓がうるさいんですの。」
ジーリッシュは吹き出しそうになるのを堪えるカモフラージュに、考えるそぶりを見せた。少しして落ち着くと顔を上げて、いかにもな顔で告げる。
「それは成長の過程で発症する病気だ。これによる死者は出ていないし、最終的に害もないから病名はないし、気にしなくていいと思う。それに、オリビアなら誰にも被害は出ないしな。」
さらりと髪を撫で、ジーリッシュはオリビアの瞳を見つめた。しかしオリビアは全く意に介さずになるほど、と呟いた。確かに死者も害もないなら病名がついていなくとも良いのだろう。何度か頷いて、納得する。
「ジーリッシュは物知りですのね。私も精進しなくては!」
ムン、と謎のやる気を見せたオリビアは、とりあえず朝食を食べに食堂まで走って行った。一応その原因であるジーリッシュは、呆然として見送る。
「…え?」
ヒューッと冷たい風が吹き抜けた。いつの間にか現れたぺステとルピナスが、その肩を叩く。
「そんなこともあるさ。」
「昼飯は一緒に食べてもらおうぜ。」
なんとも謙虚な目標。さて、オリビアが気がつくのは、いつになるのだろうか。ペステとルピナスは当事者ではないので、一応表面上はジーリッシュを宥めつつ心の中でニヤニヤと笑った。
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