第8話「化け物と村」

―――暗い、何も見えない、何も聞こえない。

底知れぬ深海に飲み込まれたように、耳鳴りが止まずにいる。

時の流れすらも感じさせず、ただ孤独に取り残されていた。

鬼との死闘の末、俺は命を落としたのだろうか。

いや、まだだ。未だ俺の肉体は地についてはいない。

何か音が聞こえるが、耳鳴りによってかき消されてしまう。


前に見た夢の内容、ようやく思い出した。

両親は、朧気ながら優しい人だったと思う。

父親はとにかく酒を飲み続けていたな。酒乱という訳でもなく、ただ陽気な人だった。

母親は料理が上手で、絶品なご飯をよく作ってくれたんだっけ。

そんな両親のことはもう覚えてもいないけども、きっと俺の理想とするような人達だったのだろう。

でも、どんなに良い人でも、結局は手を差し伸べなかった。

あの日、俺は逃げたんじゃない。己の弱さから逃げられなかったんだ。

…俺って奴はてんで駄目だ。過去に縛られ続けて

死ぬのが怖いのに何処か心の奥底では生を恐れている自分がいる。


もう良いんだ。リアナにも、村の民たちにも。

他の誰かが助けてくれるから。


「頑張って!」

だから、もう良いんだよ。俺の事なんか忘れてしまえよ。

……なのに、どうして、この足は前に進む。


「何で、全部がどうでもいいみたいな、そんな顔してるの!

見せてよ、さっきみたいなかっこいいところ!」


その一言が、今の俺にとってどれだけの救いになることか。

少年の声だけが、この暗闇の中で響く。

本当に馬鹿野郎だよな、俺は。諦めてんじゃないぞ、まだやれるだろ。

やり残したことなんて山ほどあるだろ。

目を開く。視界は良好とはお世辞にも言えないが、十分だ。

少年はこちらを振り向き、驚いたような表情を浮かべる。

鬼もその様子を見てか、同様に驚愕していた。

……だが、その状況下において最も異彩を放つのは他でもない俺自身である。

左腕が骨を剥き出しにしており、鋭利な刃物と遜色ない。


驚くのもつかの間、鬼が一直線にこちらに迫りくる。

それに応えるかのようにして俺は駆け出し、右腕を振り上げて力一杯振り切る。

極限までの集中状態で繰り出される打撃を受け流す。


偶然にも、辺りに散乱していた瓦礫が鬼の足を鈍らせ、その拳が頭に直撃する。

肉体には一つの傷も付いていないが、脳を揺らされたせいか鬼は地に膝をつく。


「ズルイ、オマエワ、ズルイ。

ナントイウ、コノカンジョウヲナントイウ」


「それはお前如きが理解できる代物じゃない。

人を舐めるな。侮るな」


頭部に突き刺した骨が鬼の脳髄に突き刺さる。

血しぶきが上がり、鬼はその場に倒れこむ。

その亡骸を見下ろし、俺は安堵の息を漏らす。

「お、おにいちゃん…!」

涙目を浮かべ、力強く抱きしめられる。

興奮状態であったからか、さほど腕の痛みはつのらなかったものの

危機は去ったと見なしてからは、それはもう。

謝罪の一言を一節、少年は笑ってこう言った。


――――ありがとう、村を救ってくれて。



村の者たちにも報告を終えて、街へと帰る支度を進めていた。

賞賛の声が、些か小っ恥ずかしかったのはご愛敬。

祝いも込めての簡易な宴が提案されもしたが、待っている人がいると丁重に断りを入れておいた。


「ねぇ、おにいちゃんはなんでお金が必要なの?」

皆が復旧作業に勤しんでいる中、座ることに長けていそうな木を 背もたれ代わりにして、少年は俺の横に座る。

いざ理由を話すとなると口がうまく開かないものだ。

俺が沈黙を貫いていると、何を思ったのか少年は話し始めるのだった。


「おにいちゃんはさ。きっと、凄い苦しい瞬間に何度も居合わせんだと思う。

誰が認めなくても、この瞬間、この空間だけは、おにいちゃんは…英雄だよ」


両手を目いっぱい伸ばし、夜空の下ではにかむ少年。

英雄、という言葉が妙に胸に刺さる。その一言は、俺の人生で初めて言われた言葉だったから。

俺はそんな言葉が相応しくないと思っていた。

でも、この少年は違う。俺を肯定してくれたのだ。

だからそれに答えようと思う。


「金がいるんだ、大切な人を故郷に送り届ける為には。

でも、その子とはあんまり良い関係を築けていなくってさ」


折角の勇気を無碍にするつもりなんだろうか。

次は少年が沈黙を貫き、決して活発な姿を見せようとはしない。

僅かの間に目をぱちくりと、何度も瞬きを繰り返している。

「これ、チョコレート!美味しいから食べてみて!

甘くって、口の中がぬちょぬちょになるんだよ!」

少年は口を開くと、ポケットの中に入れていた小包をこちらに手渡す。

包装紙を剥がし、中身を確認する。一口サイズに切り分けられた茶色の物体がこじんまりと並んでいた。

一つを手に取り、口の中に放り投げる。常温下で保存していたから

ぬちょぬちょと言われれば確かにと頷けるが、少年の言っている意味合いとは異なる気がしてならない。


「生きるのに必死だから、分かることも分からなくなっちゃうんだよ。

だから、お菓子でも食べて、お話しようよ」


「話し合う、そんな安易なことでいいのか?」

「話し合うって難しいことなんだよ?」


少年は誇らしげにと胸を張る。

その仕草は、ようやっと年相応の子供らしさを十分に感じさせるものだった。

人差し指を口元に近付け、打って変わって静かに微笑む。

お互いに笑い合い、恥ずかしがり、そしてまた笑う。

立ち上がり、少年は俺の顔を見て口角を上げた後、走り去っていった。


「…そうだなぁ、このまま帰ってもリアナになんて言われるんだろうなぁ。

報酬は金貨三十枚だったか。高級菓子でも買って帰るとするか」


ふと、周囲を見渡す。

焼け焦げた村、その地には、子供の笑い声が響き渡っていた。

復旧するには何か月、何年と長い年月を必要とするかもしれない。

しかし、希望の満ちた目は途絶えておらず、それは俺自身も例外ではない。

あの笑顔を忘れることはないだろう。村を背に、場を後にするのだった。

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不幸を辿る二人旅 ~人々から忌み嫌われ「鬼」と呼ばれた男は、不幸を望む奴隷少女と旅を共にする~ さばサンバ @sabasanba

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