第29話 心配する殺し屋
エルザと宿に戻ってきた。
俺とエルザの部屋は別だ。
自分の部屋の扉に手をかけると、エルザが俺の背中を軽く二回叩いてきた。
「ねえ、ヴァン」
「何だ?」
「お風呂に入りたいの」
「お前、マルヴェスに小汚いって言われたこと気にしてるのか?」
「してないわよ! でもさすがに埃っぽいし汚れたし、この後フェルリートとレストランへ行くでしょう?」
「確かにそうだな」
「ねえ、お風呂入るから、その間私の部屋のリビングにいて」
「ちっ、仕方ない」
エルザは風呂に向かい、俺は壁に身を隠しつつリビングの窓から外を眺めた。
窓際は危険と分かっているが、フェルリートが働くことになった薬屋の方向を見つめる。
「確かあの方角か」
初夏のため日が長い。
夕焼けはまだ先だが、時刻的には仕事が終わる頃だろう。
「もうそろそろ帰ってくるか」
初めての仕事だが、フェルリートは気が利く上に真面目だ。
問題なくやっていることだろう。
「今日は最後の夜だ。好きなものを食わしてやるか」
俺はフェルリートのことを考えていた。
「ん? 俺が人の心配? まさかな。あり得ん」
少し首を振り、改めてフェルリートが働く薬屋の方向を見つめた。
◇◇◇
ヴァンたちと別れたフェルリート。
今日は仕事見学ということで、店主から店や商品について説明を受けていた。
十五歳のフェルリートにとっては初めての仕事。
さらには憧れていた薬師の仕事現場ということで、とても張り切っていた。
「ふう、今日は忙しかったですね。フェルリートさん、接客が一段落したので少しやってみましょうか。薬研で薬草をすり潰して貰えますか?」
「はい。分かりました」
「今日は売れ行きが良かったから、明日の分が足りなくなりそうです」
「たくさん売れるんですね」
「ええ、うちの薬草はとても人気があるんです」
店にある大きな薬研で、薬草をすり潰すフェルリート。
「なかなか上手いですね」
「ありがとうございます!」
笑顔で応えるフェルリート。
これまで褒められることなどない環境で生きてきたため、とても喜んでいた。
力を込めて薬草をすり潰す。
「でもね、あなたが使ってた小型の薬研と違って、もっと力を入れないといけないんですよ」
「そ、そうでしたか。もっとなんですね。頑張ります」
「まだちょっと足りないですね。フェルリートさんは腕が細いから……」
店主はフェルリートの背後に立つ。
そして背中から手を回し、フェルリートの両手を掴む。
「これくらい力を入れるんです」
「え? あ、は、はい」
「そうです、そうです。上手いですね」
「はい。ありがとうござます」
体の小さいフェルリートを包み込むように、背後から密着する店主。
「あ、あの。体が当たって」
「うちの薬草は評判が良いので、しっかり作ってもらわないと困るんです」
「わ、分かりました」
「そうそう、良いですよ」
さらに体を密着させる店主。
「あの、少しやりにくいというか……」
「ああ、そうでしたか。ごめんなさい」
フェルリートから離れた店主。
「じゃあ、任せますね」
「はい」
しばらくの間、一人で薬研で薬草をすり潰すフェルリート。
思った以上に力仕事で、額に汗を掻くほどだ。
「先生、終わりました。いかがですか?」
「ご苦労様です。どれどれ」
薬研の薬草を小指ですくう店主。
「薬草はね、舐めて味を確かめるんです」
「はい。分かりました」
フェルリートが薬草を指で抓むもうとすると、店主がフェルリートの口に小指を近づけた。
「ほら、味を確かめてください」
「じ、自分で……」
「ほら、舐めてください」
「は、はい……」
店主の小指の先についた薬草を舐めるフェルリート。
可能な限り指に触れないように、そっと舌を出した。
「覚えましたか? きめ細かいでしょう? ここまですり潰す必要があるんです」
「わ、分かりました」
「どうですか? 疲れたでしょう?」
「はい。思った異常に腕の力がいりますね」
「そうでしょう、そうでしょう」
フェルリートの腕を取り、揉み始める店主。
「私はマッサージもやってるんですよ。疲れが取れますよ」
「あ、ありがとうございます」
「どうですか?」
「はい。気持ち良いです」
「それは良かったです。この仕事は重労働ですからね。仕事が終わったら、毎日マッサージしてあげますね」
「は、はい。ありがとうございます」
店内には、フェルリートのシャツの袖が擦れる音だけが聞こえていた。
フェルリートの額に汗が滲む。
だが、それは暑さのせいではない。
「さて、では今日はこの辺で終わりにしますか」
店主がフェルリートの腕を離すと、フェルリートは小さく安堵の息を吐いた。
「フェルリートさん。店の外の看板を片づけてもらえますか?」
「はい。分かりました」
フェルリートが外に出てる間、茶を淹れる店主。
「片づけました」
「ご苦労様です。今日はどうでしたか?」
「はい。とても勉強になりました」
「それは良かった。帰る前にお茶を飲んでいってください。これもうちで人気の商品なので、味を覚えてくださいね」
「はい、いただきます」
フェルリートが茶を口にする。
「甘いお菓子もありますよ?」
「今日はこの後、皆様とご飯を食べるので我慢します」
「そうでしたか。偉いですね。じゃあ、お茶だけ飲んでください」
「はい」
茶を飲み干したフェルリート。
「では先生。そろそろ帰ります」
「ええ、明日からよろしくお願いしますね。真面目なフェルリートさんですから、少し給与も上げないといけませんな」
「え? あ、ありがとうございます! 明日からよろしくお願いいたします! 今日はありがとうございました!」
深々とお辞儀をして、扉へ歩き出すフェルリート。
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