第20話 殺し屋の嘘
「あの! わ、私を連れて行ってください!」
突然、娘が地面に正座した。
「な、なんでもします! お願いします! お願いします!」
何度も地面に頭を擦りつける娘。
額に血が滲んでいる。
「お願いします! お願いします! 村から出たいんです! 親から離れたいんです!」
「や、やめなさい!」
叫ぶエルザ。
だが娘は何度も頭を地面にぶつける。
「お願いします! お願いします!」
俺は正座する娘の胴体に手を回し、片腕で抱え上げた。
俺の腕の中で泣き始める娘。
「帰りたくない。もう帰りたくないよ。もうやだよ。死にたいよ」
「ヴァン、こんなに嫌がるって……」
俺は娘を胸に抱え直すと、俺の背中に手を回ししがみつく。
「村へ戻るしかないだろう。娘には辛いかもしれんがな」
娘は俺にしがみついたまま泣いている。
泣き止むまで待ち、娘を抱きながら村へ戻った。
「フェルリートだ!」
「あ、あいつらがフェルリートを奪ったんだ!」
「お付の者が殺されてたぞ!」
「あいつがやったんだ!」
村の広場へ入ると騒ぎになっていた。
村人が騒ぎ立てる中、一人の老人が近づいてくる。
「客だと思っておったのに! 何の真似じゃ! フェルリートを生贄にせんと神がお怒りになる! 秋の収穫ができぬ! この村は終わるのじゃぞ!」
激怒している老人。
恐らく村長だろう。
祭りの祭壇で見かけた顔だ。
「生贄にしないと村が終わるですって?」
村長に反応するエルザ。
怒りで声が震えている。
「部外者には関係ない!」
「
「な! 山の神を殺したじゃと! なんということじゃ!」
「もう山を荒らすモンスターはいないのよ!」
「村の掟じゃ! その娘は死ななければならんのじゃ!」
当初は山の収穫を確保するために、人を餌として捧げていたはずだ。
だが、いつの間にかその行為自体が神格化され、収穫ではなく、人を捧げることが目的となったのだろう。
目的のための手段が、目的にすり替わる。
よくあることだ。
「殺せ! 殺せ!」
村人たちの表情が、人とは思えぬほど歪んでいる。
まるで集団暗示にかかっているようだ。
中には桑や斧を持ち出している者もいた。
「だから言っただろう。村人を殺すことになるぞ?」
エルザに視線を向けると、両手の拳を握りしめ肩を震わせていた。
「こ、こんな子供を生贄にするなんて!」
エルザの怒りが収まらないようだ。
「どけっ! どけよっ!」
一人の女が、人の輪をかき分けていた。
娘の母親だ。
こちらに向かって、必死の形相を浮かべながら走ってくる。
俺は娘を地面に下ろす。
「お、お母さん」
「金が! お前が死なないせいで金が入らない! この馬鹿が!」
怒鳴りつけ、娘の頬に向かって強烈な平手打ちを放った。
娘は大きく体勢を崩し地面に倒れ込む。
「え?」
「だから言っただろう。良い結果にはならんと。あの母親は日常的に虐待してるぞ」
「ぎゃ、虐待?」
エルザの周囲で、僅かに風が起こる。
そして空気が動き始めた。
「ゆ、許さない!」
静かに声を荒げるエルザ。
金色の長髪が揺れ動く。
だが、俺の誓約を解いたことで、魔力が枯渇し強力な魔術は使えないはずだ。
「おい! エルザ!」
母親は倒れた娘の髪を鷲掴みにし、地面を引っ張り回している。
「ごめんなさい! ごめんなさい!」
「この馬鹿が! 死ね! 死んで金になれ!」
「ごめんなさい! ごめんなさい!」
「死ね! 死ね! 死ね!」
騒然とする広場だが、誰も止めに入らない。
「絶対に! 絶対に許さない!」
エルザの周囲に、風が集まってきた。
「何が生贄よ! 何が掟よ! 子供の命を何だと思ってるのよ!」
逆立つ長髪。
両手を前方に構えたエルザ。
「
魔術を発動させた瞬間、前方に突風が発生。
広場の舞台が崩れ、木々がなぎ倒されていく。
大勢の村人たちが突風に煽られ吹き飛ぶ。
なんとか地面にしがみつく村人もいるが、その体は宙に浮いていた。
「はあ、はあ」
肩で息をするエルザ。
魔力はないはずだが、これほどの大魔術を放って平気なわけがない。
「次は村ごと消す!」
突風が収まると、広場は半壊していた。
顔面蒼白となった村長が、エルザの前で地面を頭につけ平伏。
「お、お許しください! お許しください!」
村長に続き、村人たちも広場に平伏していた。
「生贄は金輪際禁止よ!」
「はっ! お、仰せのままに」
平伏したまま答える村長。
「
「はっ!」
地面に顔を伏せたまま、エルザの言葉を聞く村長。
「街に行けばただの素材よ! 三頭もの
「か、風の神よ! 感謝いたします!」
「今すぐ獲りに行きなさい!」
「はっ! かしこまりました! 風の神よ!」
村人たちは、すぐに行動した。
――
広場から離れると、その場にしゃがみ込むエルザ。
「大丈夫か?」
「枯渇した魔力の代わりに……。命を……削っちゃった。ヴァン、ごめんな……さい」
「命を削るだと?」
そのまま倒れた。
意識を失ったようだ。
「ちっ」
エルザを右脇に抱え、宿へ向かう。
「あの! 一緒に連れて行ってください!」
振り返ると娘が立っていた。
左頬が大きく腫れ、切れた唇から血が滴り落ちている。
「確かに村にはいられないが、子どものお守りはエルザだけで十分だ。お前は好きに生きろ。もう自由だ」
「だから一緒に! お願いします!」
娘が地面に膝をつけた。
「お願いします! お願いします!」
「やめろ!」
額から血が流れようが、構わず地面に擦りつける。
恐らく、これまでもずっとこうして生きてきたのだろう。
親の虐待に怯える日々。
理不尽な暴力に対し、とにかく謝るしか方法はない。
その時俺は、人買いに拾われ、暗殺者ギルドに買われた時のことを思い出していた。
だが、エルザ一人でも大変だというのに、娘まで連れて行くことはできない。
それに、俺たちは狙われている。
娘まで巻き込まれるだろう。
「お願いします! お願いします!」
「ちっ!」
人に関わると、ろくなことにならない。
俺は自分の不運を呪う。
「分かった。連れて行ってやる。だが、俺の前で二度とその格好をするな。いいか、そんなことは子供のすることじゃない」
「あ、ありがとうございます」
「立て」
「は、はい」
ゆっくりと頭を上げ、立ち上がる娘。
表情は暗い。
「こっちへ来い」
「はい」
俺の正面へ近づき、頭を深く下げた。
「私はフェルリートと申します」
顔を上げるフェルリート。
埃まみれの衣装、乱れた黒髪、流血している額、腫れた頬、切れた唇。
エルザは美少女と言っていたが、そうは見えないほど汚れている。
「俺はヴァン、この娘はエルザだ」
「ヴァン様、エルザ様」
「俺たちはこの国を出て帝国へ行く。お前はどこか王国内の街で働き口を見つけろ。そこまでは連れて行ってやる」
「わ、私も一緒に帝国へ」
「だめだ。足手まといだ」
「わ、分かりました。申し訳ございません」
もう一度、深く頭を下げるフェルリート。
よく見るとフェルリートの身体が小さく震えていた。
あれだけの恐怖体験の上に、人を殺す俺の姿も見ている。
人が怖いのだろう。
無理もない。
「気遣いか……」
親に虐待され、村で生贄にされ、十五歳で終わるはずだったフェルリートの人生。
確かに運命としては過酷と言えよう。
「フェルリート。この旅は危険だ。野営もする。お前にできるか?」
「は、はい」
小さく頷くフェルリート。
「旅の間は働いてもらうぞ?」
「はい、何でもします」
「料理はできるのか?」
「はい、できます」
「俺は味にうるさいぞ?」
「だ、大丈夫です」
フェルリートの声に、少しだけ張りが戻ってきた。
「得意な料理はなんだ?」
「
「オムレツか。なかなかいいな。他にはないのか?」
「カボチャのシチューも得意です!」
「そうか」
「お任せください!」
「楽しみだ」
フェルリートに僅かながら笑顔が戻った。
「宿へ行くぞ。風呂に入るんだ」
「はい!」
意識のないエルザを抱きかかえ、宿に向かって歩く。
その後ろで、俺のシャツの裾を掴み、フェルリートがついてきた。
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