第19話 気遣いできる殺し屋

「いや! やめて!」


 地面に倒された娘。

 手足を押さえつけられている。


 一人の男が衣装に手をかけた瞬間、俺は錫杖を四回突く。


「ぐがっ」

「がっ!」

「ぐぼっ」

「ぎゃっ!」


 男たちの悲鳴とともに、まるで儀式のように音を立てる錫杖。


「あんたも運がなかったな」


 一瞬にして、四人の死体が転がった。

 娘は呆然としている。

 その頬は腫れており、口から血が出ていた。


「これで血を吹け」


 俺はポケットからハンカチを取り出した。


「あ、あ」

「歩けるか?」

「は、はい」

「そうか。ここは危険だ。すぐに離れろ」


 それだけを言い残し、俺は洞窟の外へ向かって歩く。


「あ、あの」

「お前はもう自由だ。好きに生きろ」

「ま、待って」


 娘が俺のシャツの裾を掴んでいた。


「なんだ?」

「あ、あの。ありがとうございます」

「礼はいらん。むしろこれからが大変なんだ」


 歩き出すと、シャツを掴んだまま娘がついてくる。


「ヴァン、大丈夫だった?」

「娘は助けた。洞窟内には死体が転がってるがな」

「え? 殺したの?」

「そうだ。娘を……」


 俺は言葉を止めた。

 この娘に非は一切ないが、自分のせいで四人の男が死んだと思うかもしれない。

 エルザに教えられた気遣いだ。


 エルザが娘の正面で膝をつき、両手で衣装についた砂埃を払う。


「大丈夫?」

「あ、あの……」

「ごめんね。どうしても助けたくて、ヴァンに頼んだの」

「あ、ありがとうございます。でも、これからどうしたら……」


 俺は手を挙げて、二人の会話を止めた。


「話はそこまでだ。モンスターだ」


 俺は暗い夜でも見えるように、眼球に暗視の薬品を注入されている。


大爪熊ベルベアか」


 森の中からこちらに近づく物体が見えていた。

 人の三倍はある巨大なモンスター、大爪熊ベルベアだ。

 熊の祖と呼ばれ、森林の食物連鎖で頂点の一角に立つ。


「それも三頭か」


 ゆっくりと森の中を歩いている大爪熊ベルベアたち。


「ヴァン! どうするの!」

「殺すしかないだろう」

「殺すって大爪熊ベルベアよ! しかも三頭も!」


 冒険者ギルドでも、大爪熊ベルベアの狩猟は難易度が高い。

 一頭でも二級冒険者のパーティーで対応するほどだ。

 それが三頭同時ともなると、一級のパーティーでも厳しいだろう。


「エルザ。少しでいいが、風は起こせるか?」

「ええ、小さな旋風レストならできるけど」

「俺の合図で、大爪熊ベルベアの顔に向かって小さな旋風レストを出せ」

「分かったわ」


 俺は視線を娘に移す。


「娘、その髪留めをもらうぞ」

「え? は、はい」


 娘の後頭部には、棒状の髪留めが三本挿さっている。

 金属製で箸よりも太く、娘の頭部よりも長い。

 髪留めを三本抜くと、黒い長髪がまるで水流のように広がった。


「わっ! 綺麗な髪ね」


 思わずエルザが声に出すほどだ。

 よほど綺麗なのだろう。


「おいおい、余裕だな」

「だって、ヴァンさんがどうにかしてくれるでしょう?」

「ちっ」


 俺はすぐ近くにあった樹木に目を向ける。


黒皮栢サフシャか。使えるな」


 黒皮栢サフシャの枝先から、実をいくつかもぎ取った。

 黒皮栢サフシャの実には、細かい粉状の胞子が詰まっている。

 この胞子は、実が割れると風に乗り拡散する上に、接着剤の原料として使われるほどの強力な粘着力を持つ。

 そのため、黒皮栢サフシャは様々な場所で爆発的に繁殖する。


「ねえ、ヴァン。それをどうするの?」

黒皮栢サフシャの胞子を吸い込むと、呼吸困難になる」

「それで?」

黒皮栢サフシャの実に切り込みを入れ投げる。大爪熊ベルベアの顔に当たったら小さな旋風レストを出せ」

「なるほどね。分かったわ」

「失敗したら死ぬと思え」


 大爪熊ベルベアまでの距離はまだある。

 その隙に、十個の実に割れ目を作った。


「娘、悪いがさっきのハンカチを貸してくれ」

「は、はい」


 黒皮栢サフシャの実をハンカチに包む。


「そろそろやるぞ」


 ゆっくりと近づく大爪熊ベルベアに向かって、黒皮栢サフシャを投げつけた。


「グオオ!」


 先頭にいたベルベアの顔面に直撃。

 ハンカチから実が飛び出す。


「エルザ! 今だ!」

「小さな旋風レスト!」


 大爪熊ベルベアたちを覆うように胞子が舞う。


「ギャウ!」

「ゴウゴウ!」

「グフウ!」


 胞子を吸い込んだ大爪熊ベルベアたち。

 呼吸ができないようだ。

 二本足で立ち上がり、凶悪な大爪を持った腕で顔を何度も拭っている。

 目に付着したことで、視力も奪っただろう。


 俺は即座に大爪熊ベルベアへ走る。

 先頭で立ち上がっている大爪熊ベルベアの頭部に向かって、大きくジャンプ。

 大爪熊ベルベアの体長は人の三倍。

 一旦肩を足場として、さらにジャンプ。


 髪留めを眉間に突き刺す。


「グオオオオ!」


 そのまま二頭目の頭部へ飛び移り、同じように髪留めを眉間に突き刺した。


 暴れる三頭目だが、目が見えない状態だ。

 闇雲に腕を振っても俺には当たらない。

 とはいえ、一撃で人の頭を吹き飛ばす大爪熊ベルベアの爪。

 細心の注意を払い、頭部へ駆け上り髪留めで仕留める。


「あんたも運がなかったな」


 大爪熊ベルベアといえども、脳を突き刺せば死ぬ。


大爪熊ベルベアの素材は高く売れるが……」


 大爪熊ベルベアは頭の先からつま先まで、全てが素材となる。

 しかも高級素材として用いられる。

 一頭でひと財産になるほどだ。


「ヴァン! 大丈夫?」


 エルザと娘が走って近づいてくる。


「ああ、問題ない」

「べ、大爪熊ベルベア三頭を一人で倒すなんて信じられない」

「エルザのおかげだ」

「え? な、何よ、急に」


 赤らむエルザの頬。


「あ、あの、腕に傷が」


 娘が指差す左上腕を見ると、裂傷ができていた。


「ん? ああ、これくらい問題ない」

「でも、血が流れてます」

「さすが大爪熊ベルベアだ。いつの間にか爪が当たっていたのだろう」

「あの、あそこに薬草が生えてるので、傷口に貼っておきましょう。止血作用があります」


 娘が葉を数枚もぎ取り、俺の腕に貼った。

 さらに自分の衣装の袖を引き裂き、腕に巻く。


「この葉に止血作用があるなんて、良く知ってるな」

「はい。薬草の勉強をしていました」

「そうか」


 俺はエルザに視線を向ける。


「エルザ。助けたは良いが、娘はどうする? 村に居場所はないぞ」

「母親がいたでしょう? 自分の子供が助かったのよ」

「どうだかな」


 虐待され続けてきた俺には分かる。

 あれは子供を見る目ではない。

 それに、娘は初めて会った時に、娘の頬は僅かに腫れていた。

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