第6話 触れてもいいんですか?

 壱嵩side……★


「待ち合わせの時間は十一時か……。一応、念の為に早目に向かおうかな」


 先日、とあることがきっかけで知り合った女性に助けてもらったお礼をしたいと食事に誘われたのだが、正直かなり迷っていた。

 きっと二度と関わることもない縁もゆかりもない関係だったのだが、どこか違和感のようなものを感じ取り、突き放すことができなかった。


 おそらく職業病に近いのもあったのだろう。老人ホームに勤めているのだが、同じ敷地内に隣接した精神病棟に入っている患者さん等に触れる機会が多いせいか。それとも身近にいた精神疾患の彼女を見慣れていたせいか。どうしても放っておけなかった。


 思い当たる症状は幾つかあるが、医者でもない俺が勝手に決めつけるわけにもいかないし、きっと彼女も望んではいないだろう。


 しかし、だからと言って何も知らずに会うのは、気付いてしまった手前、厳しかった。


「落ち着きがない。動きが多い。集中してしまうと他のことに気が回らなず、上の空になりやすい。突発的な行動や言葉が多い……」


 ふっと、この前のことを思い出してみた。

 確かにあの時の彼女に当てはまることが多かった。全部が全部というわけではないが、予備知識として頭の隅に置いておいても無駄ではないだろう。

 また、そういうタイプの人は、時間にルーズになりがちで遅刻などのトラブルを起こしやすいとも書かれていた。

 そしてその後「何で自分は……」と責めがちになることも。


「………念の為に小説を一冊か二冊くらい準備しておこうかな」


 もしかしたら、自分のようなダサい男と出掛けるのが嫌になって、ドタキャンされる可能性も否めない。むしろ高いくらいだ。


 正直に白状すると、未だに連絡が来たことが信じられなくて騙されているんじゃないかって半信半疑である。


 とは言え、あんな美人に「これは貴方の運命を変えてくれる壺です。お値段は三〇万ですが、もし買ってくれたらデートしてあげますよ」と分かりやすいマルチ商法をされても断れないかもしれない。

 いや、流石に……デートで三〇万は高い。だけど、もし……その先もと言われたら、もしかしたら迷ってしまうかもしれない。


 あの涙で潤んだ猫目のような瞳。触れると柔らかそうな白い肌に形のいい唇。

 女性は懲り懲りだと思っていたはずなのに、彼女……明日花さんだけはスルーすることができなかった。


 だが、勘違いしてはいけない。あくまでお礼の為の食事なのだ。決して俺のことが気になっているとか、そんなのじゃない。


「人の善意に誠心誠意に対応してくれる人って分かっただけで十分だったんだけどな……。万が一に俺のような底辺人間に好意を抱いてくれるような奇跡が起きるとは思わないけど……」


 ベッドの上で、俺は両手で頭をクシャッと乱して抱え込むように蹲った。その気がないなら放っておいて欲しいのも本音。その反面で、それでも関わりたいと思うのも本音。矛盾した思惑が入り乱れて可笑しくなりそうだった。


 何がともあれ、きっと最初で最後の食事になるかもしれない。後悔しないようにいい思い出にしようと照明の灯りを落とし出した。


 ———……★


 そして当日。案の定、明日花さんは待ち合わせの時間よりも遅刻して現れた。

 メッセージはないも入っていなかったが、息を切らして走ってきたところを見ると、悪気はなかったことが見受けられる。


 この前よりも念入りに施されたメイク。きっと夢中になり過ぎて時間を忘れていたのだろうと思ったら、怒りよりも愛しさが勝った。


 勘違いしたらいけない——……けれど、こんなの嬉しいと思わない方がおかしいだろう?


 それに比べて俺は、自分にできる最大限の努力はしたものの、明日花さんの隣に相応しいとは言えない身なりだった。こんなことなら金を惜しまず、てっぺんからつま先まで完璧に揃えておけば良かった。


「良かった。連絡がつかないから、事故にでもあったんじゃないかって心配したよ」


 俺は自分の余裕のなさを隠すように、できるだけ平然を装って近づいた。なのにそんな薄っぺらい演技を見抜いたのか、彼女は怪訝な表情で尋ねてきた。


「何で、怒らないんですか? 私、こんなに遅刻してきたのに」


 その言葉に一瞬、返答を躊躇ってしまった。

 もしかして遅刻はわざとだったのか? 俺のことを試したのか?


 だとしたら、全く怒らずにヘラヘラ笑っている俺は、とんだ愚者なのだろうか?

 だけど、綺麗に装った彼女の彩りが汗で乱れている姿を見て、嘘をついているようにも騙しているようにも見えなかった。


「あんなに張り切ってご馳走様すると言っていたから、すっぽかすような人じゃないと思ったからかな? あとは、その……単純に俺も楽しみだったから」


 もし、明日花さんにその気が無くても、これが俺の本音である。そう、彼女を疑って全部がなかったことにして帰るよりも、信じて待っていたかったんだ。

 また君に会えるのを、俺は待っていたんだ。


 そんな俺の言葉に、明日花さんはやっと緊張を解いて困ったように顔を赤く染めていった。少し顔を俯かせて、ポツリと言葉を落とした。


「あの、私も……幸山さんとのご飯、とても楽しみにしていました」


 きっと俺が怒っていないことに分かり、安心したのか……俺の袖の裾を掴んで、コツンと額を当てて静かに涙を流し始めた。


 啜り泣く声が僅かに聞こえる。不釣り合いな俺達に不審な視線を向ける人もいた。


(——え? お、俺……こんな少女漫画チックなシチュエーション、不慣れなんですけど⁉︎)


 この前と同じように、泣き止むまで摩ってあげればいいのだろうか?

 いや——そもそも、俺が彼女に触れてもいいのだろうか? セクハラで訴えられたりしないだろうか?


 何が正解か分からないまま、触れるか触れないかの距離感を保ったまま、ゆっくりと頭を撫でた。次第に消えていった泣き声に安心しつつ、表情を覗き込むように「大丈夫?」と声を掛けた。


「ごめんなさい……、こんな優しくされたの久しぶりだったので。つい甘えてしまいました」


 長い睫毛に涙の滴が留まって光っている。もしも自分が特別な人間なら、躊躇うことなく拭ってあげるのに、できない自分に歯痒さを覚えた。


 きっと彼女は、今まで理不尽な言葉に傷つけられてきたのだろう。蓄積してきたストレスを思うと、その苦しみを代わりに背負ってあげたいと思った。俺なら明日花さんを泣かせたりしないのに。


 ——けれど、喉まで出かけた言葉を、口にはせずに飲み込んだ。吐き出したところで満足するのは俺だけかもしれない。自己満足の言葉を彼女に押し付けるわけにはいかない。


(1・2・3・4・5……9・10)


 心の中で数を数えて、鼻から大きく息を吸って、心を落ち着かせた。


「明日花さんのオススメのハンバーガー、楽しみだな。連れていってもらってもいいかな?」

「は、はい! 本当に美味しいので、楽しみにしてて下さいね」


 まるで花が咲いたかのような綻んだ笑みを見せられ、俺もつられる様に笑った。

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