The Great Escape #season4

有池 アズマ

エピソードゼロ:タオくんのたのしいアルバイト

 自身が人身売買の対象商品として扱われるかもしれなかった、そんな危機的事件から少しした頃。タオは熱心に求人サイトを見るようになった。とてつもない勢いで、まったく読めなかった文字を習得してから、真っ先に見に向かったのは求人サイトだったのだ。

 トパーズは当然、心配している。つい最近まで世間のセの字も知らなかったような、言葉を選ばずに表現すれば無知蒙昧のタオが、すでに勤労意欲を見せていることは、何か、育ちの部分を感じてしまう。

「タオくん、あの、そんなに慌てて世間に慣れなくても、大丈夫だよ。ほら、サファイヤさんだって、元々かなりの箱入りだったらしいし、いまでもそういうとこあるじゃない。タオくんが焦る必要ないよ」

「んや……オレ、早く働けるよーになりてー……やってみてーんだよ……」

「……何を?」

「バイト上がりの、缶ジュース……!」

 「世間」のハードルは、タオには、高い。そのぶん、満足度のハードルは、低い。

「テメェで稼いだ金で、好きなモン飲み食いするって、スゲーじゃん! 誰にも文句言われる筋合いねーし、マジで好きなモン選べるし!」

「そりゃ、いままでその環境になかったタオくんはそう感じるかもだけど……」

 てっきり「トパーズに働かせてオレなんもしてねーのダメじゃん」といった、世俗に染まった返答がくるものと思ったトパーズは、意味もなく胸を撫でおろす。タオの口からそういう言葉を聞くのは、何か、違う気がしていた。

「い~加減桃以外のジュースが飲んでみてーのよ! オレはりんごが気に入ったね!」

「そんなの私が買うよお!」

「んや、トパーズよ。オレはな、思うワケ。ぶっちゃけいまの状況……実家にいたときと、あんま変わんなくね?」

「……!」

 ショックを受けたトパーズがヘナヘナとくずおれる。いちばん、言われたくなかった言葉だった。

「ずっと家籠ってベンキョーして留守番して……オレ全ッ然家から出てねーじゃん」

「うう!」

「ベンキョーは楽しいけどさあ……散歩程度の外出じゃもう飽きたっつーか」

「うぐう!」

「オレはもっと外の世界を知らなきゃダメだと思うんだよ。いまオレの頭はなんでも吸おうとしてる。つまりなんでもベンキョーだ。つまり、金を稼いでみるのも、ベンキョーだ」

「うええ~ん! やだやだやだあ~! タオくんにもう危ない目に遭ってほしくないぃ~!」

「うわっどしたん」

 こういったやり取りが、約一週間前にあった。いま、トパーズは、しわくちゃの複雑な表情で、タオの隣を歩いている。

「すげー広ぇ~! 実家の庭より広いぜ!」

「や~、まタオくんの実家見たっスけど庭ムチャクチャ広かったスもんね」

「隅の方から未処理の砂が何十人分か出てきたって聞いたときはさすがにびっくりしちゃったわ」

「砂を隠すには庭石の下、ね……下手なミステリでもそんなことはしないと思ったモンだが、いやはや事実は小説よりってかね」

 なぜか同行しているエメラルドとルビーとアメジスト。サファイヤの姿は珍しく、ない。

「趣味も高じてみるモンだな。まさかサフィめ、遊園地のダンサー衣装まで手掛けるとは」

「なんだかんだ、ずっとやってみたいっつってましたしね。や~姐さんのハレの衣装見るのにこ~んな楽しいトコ来れるとかお得っスわ」

 タイミングの良いことに、こういった事情があり、珍しい組み合わせで珍しいところに遊びに来ていたのだった。

「ショーのダンサーだったかしら?」

「そっスよ。ほらこれ、ここのデッカいステージでやるやつ」

「個人的には、こっちの小さいステージのショーも気になるんだよな。日長にっちょう先生がキャラデザしたって聞いてさ」

「あ、オレ、そこにバイトしに行くんだよ。今日は下見くらいの感覚で来いってことだったけど」

「そうなのか! じゃあ、サフィの方のショーと、時間をすり合わせておかないとな」

 午前中に一回、午後にももう一回と、大ステージのショーがあり、小ステージのショーは一回の公演が短いため、日に何度か観られるようだ。大ステージに向かいつつ、周囲を広く見渡す。花々の手入れの行き届いた庭園や、スピードが売りのジェットコースター、魔法界で唯一、箒道より高所を通過する観覧車など、様々なエリアが点在している。大ステージは、その中でも、かなりのメインコンテンツのようだった。

「ショーの筋書きとかはさ、センセーは書かねーの?」

「ああ、そういや、書いたことなかったな。まあ私の本業は一応、教科書とか参考書だからな。物語は連載とか、そういうのがメインだし」

「あら? 演劇の脚本とか、あったじゃない?」

「ありゃ連載が本になったのが原作になってるだけだ。私はあんまり関わってない。つーかそのクセ大コケしたやつだから話題に出すな」

 アメジストの苦々しい表情とは真逆の麗らかな音楽が、園内に流れている。その中に、遠く、アナウンスが混じっているのを聞き取り、タオがぱっと顔を上げた。

「小ステージのやつ、キャンセルだってさ」

「え、た、タオくん、あの距離聞き取ったの?」

「うん。地元広いクセに静かでさー。耳も目も利いて利いて、困るわ」

「そういう問題じゃないと思うっスけどね」

「なんかあったのかな。オレちょっと見てくるわ」

 大ステージのショーまでも、まだ時間がある。タオは一人、一行を離れ、小ステージの方へと向かった。慌てて追いかけようとしたトパーズを大魔女三人がかりで足止めしたことは、タオには気づかれてはいないだろう。

「わー荒れてら。人気のショーなんだな……」

 タオとすれ違う人々は、ずいぶんと怒っている。子供などは悲しみを隠せずにいる。余程、楽しみにしていたのだろう。タオの思う通り、小ステージのショーは恒常ながらに人気のショーなのだった。固定のファンが多くおり、大人から子供まで幅広い年代に支持されているらしい。

「あのー、すんません。なんでキャンセルになっちゃったのか、アナウンスって?」

「なんか、演者が欠けたらしいって、噂。公式のアナウンスじゃないから、知らないけどね。今日はもう絶望的じゃない? きみ、新規さん? 運が悪いねー」

 グッズを大量に身に着けた、誰の目から見てもファンとわかる男性客に声をかける。こんな返答では、タオはますます心配になってきてしまった。これは下見どころではないかもしれない。

 すれ違う人々をするすると抜け、小ステージの入り口付近にやってくる。警備も誰も立っていない。屋内型のステージまで、誰の制止もなく入り込める。がらんどうになってしまったステージに、誰かが立っていた。松葉杖をついて、明らかに右足に何かがあった様子だ。

「あ、お客様、申し訳ございません。本日は……」

 横からやってきた案内スタッフが、言葉の通り申し訳なさそうに、姿勢低く声をかけてくる。タオはそちらに向き直り、

「あ、違って。オレ、今日、見学で入る予定だったタオってんですけど」

「あ、きみが? あー、ごめんねえ。今日、もう全公演キャンセルの予定になっちゃって。ちょっと、座長呼んでくるね。客席で待ってて」

 小ステージとはいうものの、客席は広々としており、かなりの人数を収容できそうなものだった。観やすさ重視で、一階席しかないため、小ステージと呼んでいるらしい。

「……誰なんだろ」

 呆然と、ステージの中央に立ち尽くしている男性。右足以外を見れば、かなり鍛えているショーマンであることがうかがえる。彼から目を逸らしたところで、いかにも業界人風の男がやってくるのが見えた。

「やあ、新人バイトくん。私が座長のロッソリーニだ。来てくれてありがとう! だが今日はその、まあ、こういうことになってしまってね……すまない」

「はあ……あの、聞けたらでいーんスけど、なんで今日、全キャンなんスか?」

「ご覧の通りだ。彼は主演でね。彼よりできる子がいないから、代えがいないんだ。それで、まあ、しばらくは無理だろうってなってね。だからキミも悪いんだが……」

「え!! 困るよそんなの、オレめちゃくちゃ楽しみにしてたのに!!」

 ロッソリーニ座長は大きくため息をつく。そんな返答がくるとは思ってもみなかったのだ。

「困るのは我々も同じだとも! じゃあ聞くがねキミ、あの高さからこの下の奈落まで、ロープ無しで飛び降りることができるかね!? 本格武闘の演武ができるかね!? 全四十五分の公演中、マスクを被ったままでそれができるかね!?」

「出来らあっ!」

「できないだろう!? え!? できるの!?」

「出来らあっそんなん! オレからすりゃあ日常茶飯事ってやつだぜ!」

「これが日常的にあった生活はおかしいだろう!? な、なら、やって見せたまえ! 大口でないことを証明してみせたまえよ!」

 ステージ上で呆然としていた男が大道具のようにどかされ、タオはステージの裏手に通された。リハーサル用の衣装を着せられ、マスクを被る。視界が一気に狭くなる。

「これさ……どういうモチーフ……?」

「ストーリーはこうだ。剣豪を目指す五人の若者が、悪事を働く組織と戦う! ただそれだけ」

「剣豪ってヤツにマスクいる!?」

「当たり前だろう! 正体が世間にバレてはいかんのだぞ! さ、ではまず、基本の型からだ! ブルー! レッド! 教えてやって!」

 人間界の文化に触れているタオには、この奇妙さがわかる。タオが着せられたのは、イエローを多用した衣装だったからだ。

「オレ勝手に、レッドが主役だと思ってたわ。違うこともあんのな」

「日長先生のキャラクターデザインの時点で、イエローが主役だった。あとは私のブルーと、こいつのレッドと、いまは別ポイントから見てるけど、バイオレットと、グリーンがいる」

 ブルーのマスクを被った中から、女性の声がする。タオにはそれらカラーリングに一抹の覚えがあったが、ぶんぶんと首を横に振り、ステージから客席を見渡した。


 すげー。こっから全部見える。お客さんも、オレのことちゃんと見えるんだろうな。


「じゃ、演武ね。組手のことなんだけど、対応できる? こうきたら?」

 ブルーがゆっくりと摸擬刀(装飾過多)を振り下ろしてくる。彼女の右からなので、タオの左側を切りつけるかたちになる。タオはそれを一歩退いて避けた。

「こう?」

「そうそう。これを連続で、右、左、正面。正面のときは自分の剣で受け止めて」

「こう?」

「いいね。最後に足払いをジャンプで避けて」

 テンポ良く進んでゆく演武の伝授。最後にタオがトンと跳ねて摸擬刀を避けると、ブルーが首を傾げた。

「なんか武道とかやってた?」

「あー、えーと、かなり我流のやつを、ちょっとだけ」

「飲み込み早いと思ったらそういうことかー。じゃあちょっと適当に襲い掛かってみるから、いい感じに立ち回りできる? いくよー」

 タオの承諾を待たずに、ブルーは摸擬刀を振りかぶった。タオは瞬時に、ブルーのまとう空気感が違うことを察する。


 マジに殺すときの剣筋でくるな、これ。てことは後ろのレッドまで気を抜けねえ。


 右、左、正面、足払い。ここまでは同じ流れで襲ってくるが、速さが格段に違う。そして、まったく構えの外にある突きが繰り出される。タオは難なく避けたが、予想通りに背後からレッドの剣が滑り込んできた。見込んでいた範囲の動きでそれも避ける。

「お! 避けたか! やるな新人!」

「……いまの避けたのは、だいぶおかしくない? 私かなり殺す気でいったよ?」

「デカい動きの方が、お客さんは喜ぶだろ? だったら、いいじゃねえか」

 物騒な会話ではあるが、あくまでショー用の殺陣の話である。タオはまだ構えを解かずに警戒している。どこから誰が襲い掛かってきても、倒せるように。

「真上と……客席の上もか!」

 気配を探り、位置を言い当てる。レッドがまだ雰囲気に飲まれきらないまま、おそるおそる訊ねる。

「えっと、このショー、観劇経験がおあり、か?」

「んや? ないよ。この遊園地来るの自体初めてだもんオレ」

「……新人おまえ、何者……?」

 これをずっと客席から見ていたロッソリーニ座長と主演の男とがひそひそと話し合っていたのを、「おい!」と声を張り上げる。

「飛び降りのやり方を教えてやれ! 早く仕上げろ! 午後の公演から、そいつを出す!」

「おいマジかよ座長! てか待って、俺もその子と組手したいんだけど!」

「私もですけど~!」

 ステージの真上と、客席下手方面の上から、また新しい声が聞こえてくる。姿は出さないが、登場予定のバイオレットとグリーンなのだろう。

「照明! 音響! 機材を立ち上げろ! 広報! 園本部に連絡だ! スタッフ全員戻ってこい! 最高のチャンスがきたぞォ!」

 小ステージはみるみるうちに活気にあふれだす。タオの肩をブルーが軽く叩いた。

「急ピッチの仕上げだけど、ついてこれる?」

「おう!」

「よっしゃ! 気合入るぜ~!」

 順調に進んでいく再演準備。主演の男は絶望からくる呆然ではなく、感動を覚えての呆然で、また、客席を見下ろして立ち尽くしていた。台本を持ったキャスト陣が、笑って彼を囲んでいる。

「新人くんがいれば、イエローも治療に専念できるね」

「そうだな。しっかり時間取って、いままで以上のキレで戻ってこいよ!」

「そんじゃ、最後の最後で悪いが、読み合わせだ。立ったままだが、演技はしっかりな」

「押忍! ん? え、演技……?」

 タオの最終確認は、見逃されてしまった。台本を読み上げていくと、すぐに、イエローのセリフに行き当たる。

「い、いやー、えっと……ここが、道場かあ~……!」

 タオ渾身の、声量だけはある、棒読み。空気が冷えてゆくのを、誰もが感じている。

「……もっかい、やってくれる?」

「いやあの、ごめんなさい。たぶん、同じのが、出る」

 タオ以外の全員が頭を抱えてしゃがみこんだ。

「あの……知らなくて、マジで……演技もあるの……?」

「あるよ! 舞台なんだから!」

「オレ……演技だけはからっきしで……知り合いの演技派魔女にも、下手っぴねえ~! って……そんなズバッと言わないひとなんだけど、普段」

「どーすんの座長! これはそんな、急ピッチで直るモンじゃないよ!?」

 どうしようもない空気感に変化しつつある中、凛とした声が「いや」と切り出した。ここまでずっと黙ったままだった、主演の男だ。

「それなら、声だけを、俺が当てる。彼の動きに合わせる。マイクさんに一仕事頼むことになるが……声も変わっていなければ、お客さんもそこまで不審には思わないだろう。それに、今日録音してしまえば、しばらく彼に代役を頼む間も使えるだろう。座長、どうだ」

 世間的に「良い声」と評される部類の声だった。タオは思わず自分の喉を押さえる。口調と語気からくる荒々しさはあるものの、体が女性である以上は男性のような低く凛とした声は出せない。それでも完全に男性と勘違いされたままなのは、一旦無視をしたが。

「お、おお! そうか、その手があった。よし、よし! すぐに録音の準備だ! あと一時間もしないうちに、またお客を入れるぞ! さあ、ラストスパートだ! 頑張るぞ!」

「おー!」

 タオは主演の男と、上手に引っ込む。主演の男は涙ながらにタオの手を握り、ぶんぶんと上下に振った。

「よかった……きみはすごい。本物のヒーローみたいだ」

「ヒーロー……」

「ああ。俺が完治するまでの間、代役を頼む。しかし本当にすごい動きだったな……単なるショーマンにはもったいないくらいだ」

 主演の男は真面目なトーンでそう言うと、しばらく考え込んだ。ぱっと顔を上げると、タオに矢継ぎ早に質問を投げかけてきた。

「きみ、就職先なんかは?」

「全然。バイトもこれが初めて」

「そうか。学校に行くというのに、抵抗は?」

「ない。むしろ行ってみたい」

「ちなみに、魔力は?」

「からっきし!」

「そうか……もし、よかったら。本物のヒーローが、この魔法界には、存在する。俺の型のモデルを見せてあげよう。知ってるよな?」

 動画は、ニュース番組のアーカイブだった。飾り気のない棒を携え、咥え煙草で、脱力している、眼帯の男が映っていた。

「誰……?」

「なんだ、かなりの世間知らずだな。トキシカ第一部隊の隊長、ダチュラじゃないか。ほら見ろ、体重がないみたく軽い動きをするのに、一撃はすべて重いんだ。とてつもない武闘家だろう?」

「ほんとだ。花びらみてーな動き方してんのに、雷みてーな威力……」

「だろう? きみなら、彼のレベルにまで、到達できると思うんだ。結局俺たちの演武は、見世物だからな。本当の戦闘とは、また違う。きみは、彼に学ぶべきだ」

 タオは食い入るように動画を見ている。ダチュラの身長より十センチ程度長い棒は、ときに小川のせせらぎのように波打ち、ときに荘厳な滝のように強く落ちる。


 水の武術。オレが目指した極地だ!


「まずは、彼が講師をやってる、ブルーミアという学校を受験して、そこに合格する必要がある。挑戦してみてはどうかな」

「ああ……ありがとう。オレ、目標ができたよ。ダチュラの弟子になって、本物のヒーローになる!」

 客席はすでに、すべて埋まっている。モニタから見たそこに、見慣れた魔女たちの姿があるのを見て、タオはしばらくの相棒となるマスクを被った。




Season3 #1へ続く

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