第一話 黒い波
沖縄の夜は静寂と喧騒の狭間にあった。
かつて観光客で賑わった街は、占領という現実に呑み込まれ、歓声の代わりに低いざわめきが支配している。窓の隙間から洩れる淡い光は、隠れるように怯える人々の息遣いを映していた。その光景を切り裂くように、一陣の海風が瓦礫の隙間を駆け抜ける。
海岸線には重厚な軍艦のシルエットが並んでいた。人民解放軍の旗が風になびき、そこから射し込むサーチライトが海を照らす。夜の闇を泳ぐように、小型の漁船が波間に紛れ、岸へ向かって進んでいた。船には複数の影――男たちと女たち。彼らの表情は硬く、瞳には疲労と決意が混ざり合っている。
「準備はいいか?」
低く押し殺した声が船上に響く。答える者はいない。全員が無言のまま荷物を掴み直し、岸が近づくのをじっと待っている。
船首が砂浜に触れると、彼らは一斉に動き出した。湿った砂を踏みしめる感触は、冷たくも確かな現実感を伴っていた。海の彼方にはいまだ中国軍の艦隊が影を落とし、その威圧感が皮膚に突き刺さるようだ。
「急げ、ここはもう安全じゃない!」
隊列の先頭に立つ中年の男が小声で指示を飛ばす。彼は革新連のリーダー格、片山真司で、元中核派の生き残りである。
荷物の中身は銃器、通信機器、そして密かに集められた医薬品。これらは、沖縄の極左組織、革新連の命綱だった。しかし、物資の運搬よりも、彼らが恐れていたのは、誰かがその動きを察知しているのではないかという疑念だった。
突然、遠くから低いエンジン音が響き渡る。
「敵だ!」
誰かが叫ぶや否や、砂浜にいた全員が一斉に身を伏せる。中国軍の装甲車がヘッドライトを点け、砂浜に光を投げかけていた。その光は波間を捉え、海辺の不自然な影を照らし出す。
「隠れろ!ここじゃ狙い撃ちにされる!」
片山の指示に従い、一行は岩場へと駆け込む。だが、その瞬間、空を切り裂くような銃声が響き渡る。
「撃たれたぞ!応戦しろ!」
若い隊員のひとりがバッグから拳銃を取り出し、闇の向こうに向けて発砲する。しかし、敵は装甲車に身を隠し、あちらには届かない。仲間の一人が倒れ、砂浜に血の匂いが漂う。
「ここで死ぬわけにはいかない!撤退だ!」
片山の怒声が響く。彼らは戦うべきか、逃げるべきかを一瞬のうちに判断しなければならなかった。
岩陰で身を潜めながら、若い女性が震える手で無線を握っていた。彼女は元革マル派の活動家、南条優香で、革新連の情報係として動いている。
「こちら第一班。交戦中。撤退、撤退する!」
彼女の声が震えながら電波に乗る。しかし、返答はない。
そのとき、遠くから別の音――空を切るようなヘリコプターのプロペラ音が聞こえた。
「増援が来るぞ……間に合わない!」
誰かが呟く。
その場にいる全員が理解していた。
ここで命を落とすわけにはいかない。この戦いは、革命の始まりに過ぎないのだと。
夜の闇に包まれる中、砂浜から逃げ去る彼らの背中を黒い波が静かに飲み込んでいった。
そして、この出来事をきっかけとし、沖縄を中心に新たな闘争の幕は開かれたのだった。
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