第19話 二人の共同作業
御息所学園には学食がある。
特にメニューが豊富というわけではない。日替わりのランチかカレーを選ぶという、簡素なスタイルだ。
それとは別に購買部もあるため、生徒たちは学食派・購買派・自作派・絶食派の4勢力に分かれている。
その学食で事件が起きたのは、生徒の数もだいぶまばらになった放課後のこと。
部活を終えた生徒たちが帰っていくなか、俺は学校に戻ってきた。
忘れ物をしたのだ。
忘れ物は、神社で買ったお守りである。
ラッキーアイテム……というほどのものではないのだが、あれを持ち歩いていると何となくいいことがありそうな気がするので、ポケットに入れていたのだ。
家に帰り、玄関でお守りがないことに気付いた。
別に明日の登校時に探せばいいのだが、靴を履いている時点で気付けたことは意味があることだろうと考えて、そのまま学校に戻ってきたのだ。
「あった」
沈みかけている西日が差し込む教室で、俺の机のなかに目当ての物を見つけた。
あっさりとした幕引きだった。
これだったら明日でもよかったのかもしれん。
どうせ学校まで戻ってきたのだから、どこか商店街でも散策しようか。
鞠になんか美味しいものを買ってあげてもいいかも。
そんなことを思っていると――
どんがらがっしゃーん‼
「…………」
確実にトラブルが起きたのであろう音が、遠くから聞こえてきた。
「落ち着け。冷静になれ、俺」
俺は自分に呼びかける。
「ここで様子を見に行けば、絶対にトラブルにぶつかる」
「トラブルに巻き込まれると分かっていて、向かうバカがどこにいる?」
「ここにいるとも。俺だ」
よし。
自問自答の結果、俺はトラブルの現場に向かうことにした。
大きな音は学食からだった。
向かってみれば、昼時になると生徒たちで満たされる学食の床に、沢山の皿の破片が散乱していた。
「これは一体……」
呆然としている俺に「あらあら」と声がかかる。
「毛利君、やんちゃしちゃいましたね~」
この場に似合わぬおっとりとした声音だ。
声の方向に目を向ければ、そこにはフワフワとした髪を持つ、ふわふわした笑顔を浮かべた女子生徒がいた。
俺は肩を竦める。
「林先輩。これをやったのは俺じゃないですよ」
「言い訳は生徒会室で聞きましょうか。私が取り調べちゃいますよ。ふわふわのオムレツをお出ししますよ~」
「取調室で出されるのが、かつ丼じゃなくてオムレツなんですか?」
「得意料理がオムレツなんです。毛利君も食べたことあるでしょう~?」
「美味しかったですね、あれ」
やってきたのは、林美代子先輩。高等部3年。
御息所学園高等部の生徒会で会計を務めている人だ。
就任挨拶で「ふわふわした優しい会計がモットーです」とかいう、耳を疑うような会計指針を打ち出した伝説の持ち主である。生徒会顧問の先生が頭を抱えていたというが、ごもっともだ。
で、この人と俺は浅くない関係を持つ。
というのもこの人、俺のクラスメイトであり元カノである美代の姉なのだ。
俺もプライベートで何度か先輩にお会いしている。
オムレツをご馳走になったのもその時だ。
姉が美代子で、妹が美代。
林家の命名は中々に面白い。
が、今は目の前の惨状に目を向ける必要がある。
林家のネーミングセンスは後回しだ。
「というより、この大量の皿は一体なんですかね? なにか情報を持っていたりしませんか?」
「そういえば、学食で使う食器の入れ替えがあると、先生たちが話していた気がします。廃棄するお皿は明日に業者が引き取りにくるというお話だったんですけれど、それがおそらくこれでしょうね~」
なるほど。
おそらく業者に引き渡す分をテーブルの上に置いていたのが、何らかの要因で落ちて割れてしまったらしい。
よっぽど不安定な置き方をしてたのだろうか。
誰かが故意に落としたのでないことを願いたい。
「林先輩」
「美代子でいいですよ~?」
いい訳があるか!
こちとら、美代と別れてからは、彼女のことを「林」呼びしているのだ。
それでいて姉を名前呼びし始めたら、そこにはどうしたって爛れたドラマ性が付きまとう。
俺は昼ドラの主人公になるのは御免だ。
美代に腹パンされるのも御免だ。
「林先輩はこの状況をどう見ますか」
呼び名を変えずにつき通せば、林先輩は「そうですねぇ」と小首を傾げる。
「……毛利君」
「はい」
「私の灰色っぽい頭脳が、これはお菊さんの仕業であると告げています」
「番町皿屋敷ですか。幽霊一体で、ここまで割りますかね?」
「それならきっと、大勢のお菊さんがやったんでしょうね~」
「お菊は量産化に成功していたというわけですね。ふわっふわの推理をありがとうございます」
盛大に時間を無駄にした気がする。
そして、盛大に時間を無駄にしてもなお、俺たち以外に誰もやってこない。
「ひょっとして、もうほとんどの人が帰っちゃった感じですかね?」
「あの音に気付いていたなら、面倒なことが起きていると分かったでしょうから。わざわざ巻き込まれに来る人は、珍しいのではないでしょうか~」
「せいぜい、俺と林先輩くらいですね」
よし、と俺は覚悟を固めてスマホを取り出す。
そして床の惨状を何枚か写真に収めると、林先輩に声をかける。
「先輩、職員室には残っている先生方がいるでしょうから、声をかけてきてもらえませんか? 俺はここを片付けるんで」
ここから職員室までは少し距離がある。
音が聞こえなかった可能性が高いので、先輩に呼びに行ってもらう。
「この量を一人では難しいですよ。私も一緒にやりますね~」
「いえ、林先輩は先生方を」
「もうスマホでメッセージを生徒会顧問の先生に送っていますよ。もうじき軍手と雑巾をもってやってきてくれますので、片付けは装備が整ってからにしましょう~」
「連絡を……いつの間に?」
「毛利君がわたしから目を離した隙にですよ~」
そうだった。
林先輩、ふわふわしているように見えてかなりデキる人だ。
そして言葉通り、生徒会顧問の先生がバケツやら軍手やら掃除機やらをもってきてくれた。
先生は「生徒が手を出すとケガする」という理由から自分一人でやると言ってくれたが、それではここに来た甲斐ってもんがないので、俺は先生と一緒に作業をすることを申し出た。
先生は俺を説得しようとしたが、俺が「先生……お忘れではありませんか? 俺は模試で全国1位の男ですよ?」と言えば、納得してくれた。 流れで林先輩も掃除を手伝ってくれることになった。
なんで皿の破片の片付けに関する説得に、模試の順位が有効だったのだろう?
そこは言い出した俺も分からないが、こういうのはノリと勢いが大事だ。
ガシャン、ガシャン、ガシャン。
バケツに皿の残骸を入れていく。
「では私は掃除機をかけますね~」
ハンディタイプの掃除機を持った林先輩が、俺の後を追いかけるようにして掃除機をかけて、細かな破片をとっていく。
「はい、毛利君そこでストップ。動かないでくださいな~」
ふと、林先輩から制止の声。
俺が皿の破片を持ち上げたまま動きを止めると、掃除機を持った先輩が俺の脇にかがむ。
そして生徒会顧問の先生が、俺と先輩の姿をパシャリとスマホで撮る。
「あの、これは?」
「生徒の皆さんの見ていない所でも、生徒会は頑張っているという記録です~」
「じゃあ、生徒会メンバーではない俺が撮られたのはなぜですか?」
「陰で頑張る生徒会の仕事に感動して手伝ってくれた一般生徒……という最高の画になったからです~」
抜け目ないなこの人。
やはり、なんだかんだで生徒会は曲者揃いだ。
俺は生徒会に興味はないが、親友の相沢は生徒会長の椅子を狙っているのだから大変だ。
相沢は親が外交官で、どちらかといえば野心家の類い。穏やかな顔でありながらも、少しでも高い椅子に座りたいと願っているクチである。
――生徒会長の座を狙うのは大変だぞ、相沢。
脳内の相沢に呼びかけてみれば、脳内の相沢に「なんで君は他人面しているんだよ。僕の当選のために死に物狂いで働けよ」と言われた。
そう言えば相沢にはエリス絡みでデカい借りを作ってしまっている。
あの後、エリスはやってきてしまったし、あの借りをうやむやにできないものか。
そう考えて、俺の心臓が冷えた。
エリス……ドイツ……やべえ!
「ちょ、ちょっと先生待ってください!」
俺たちの写真をとったスマホを操作している先生に急いで呼びかける。
「今撮った写真、どうする気ですか?」
「ん? 生徒会の広報ページにアップロードしたが?」
「した⁉ もうしてしまったんですかアレを⁉」
「何か問題が? 教師として見る限りは、特に問題がなさそうだったが……」
「…………イエ、ナンデモアリマセン」
俺は硬直した。
生徒会顧問の先生は「?」マークを頭に浮かべていただろう。
実は、ドイツに変わった風習がある。
結婚式の時に、参列者たちが新郎新婦の回りで椅子やら皿やらを破壊し、新郎新婦に後片付けをさせるのだ。
これは「大変な時も夫婦が力を合わせて前に進みます」という新郎新婦たちの誓いを固くするための儀式なのだという。
全てのドイツ人がこのスタイルの結婚式をやるわけではなく、時の流れのなかで廃れたりもしたのだが、このイベントがSNS映えすることから、近年になって若い人たちがこのスタイルで挙式をすることがあるのだという。
皿の破片の中、にこやかに掃除する新郎新婦。これが一つの様式美。
俺すら知っているこの文化を、エリスが知らないとは思えない。
さて。
俺と林先輩が二人仲良く、割れた皿を片付けている写真が。
さも学校公認のように、教師の手によってオフィシャルなサイトに上げられたこの状況。
何か非常にマズい気がする。
具体的には、エリスあたりが――
俺が悶々としていると、俺のスマホに申し合わせたかのようにメッセージ。
2件だ。
エリスと美代からだ。
まずはエリス。
【素敵な写真でしたね】
……怖い。
短文で、こちらに相手の感情をいくらでも想像させる。
これを彼女はどんな顔で、どんな気持ちで送ってきたのだろうか。
続いて、美代。
「なんでお姉ちゃんと?」
……こちらも怖い。
短文で、こちらに相手の感情をいくらでも想像させる。
これを彼女はどんな顔で、どんな気持ちで送ってきたのだろうか。
「…………」
俺は2人に返す気の利いたメッセージも思いつかず、諦念のまま目を閉じ、林先輩に向き直る。
林先輩の行動に悪意がないのは承知。
それはそれとして、林先輩の考えで俺が針のムシロになっていることは事実。
だから。
「もしも俺の身に何かが起きた場合、俺は生徒会を提訴します」
鋭い林先輩も、流石に俺のセリフには目をぱちくりさせていた。
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