第15話 集い、咲き誇る乙女たち
喫茶店・餓狼の店内に入ると、目当ての人物はすでに席をおさえてくれている。
テーブルの上のグラスには、ココアが半分以下にまで減っている。結構待たせてしまったらしい。
「お兄様、お待ちしておりました」
待ち合わせの人物は、白と黒を基調とした服にベレー帽を合わせたファッションの子――俺の妹であるがいた。
鞠は俺が入ってくるとニコニコしながら声をかけてきたのだが、俺の背後から続いてやってくる人影に気付いて、目を丸くする。
「お、お兄様? そちらの方々は……」
「今日、一緒に勉強するクラスメイトだ。名はエリス・ヴァイゲルト」
【こんにちは】
「はわっ⁉」
エリスが柔らかく挨拶をすると、妹が素っ頓狂な声を上げる。
これには俺も驚いた。
鞠は不登校ではあるが、別に引きこもりではない。対人関係で悩んでいるとも聞いたことがない。
それなのに、初対面のエリス相手に鞠が挙動不審である。
「お、おい鞠?」
「はぁっ、はぁっ、し、失礼をいたしましたお兄様。鞠はとんだ無作法を」
「お前が無事ならいいんだが……無事なんだよな?」
安否を尋ねれば、鞠はこくりと頷いて、もじもじと言う。
「その、ですね、お兄様」
「うん?」
「鞠は自分よりも美人な方に出会ったことがありませんので、美人な方とのお付き合いの仕方がよく分からないのです……」
「繊細なのか図太いのか、一体どっちなんだ?」
贔屓目による加点分を差し引いても、鞠の見てくれが良いのは分かる。
その鞠が惜しみない賛辞を口にするあたりに、エリスの顔の良さが証明された。
俺はエリスに椅子をすすめ、俺もまたエリスの横に腰を下ろす。
店員さんがオーダーを取りに来てくれたので、俺はエリスの分も合わせてカフェラテを注文した。
【オト、こちらの可愛らしいお嬢さんは?】
【マリって言うんだ。俺の妹】
【妹さんですか】
エリスは鞠に微笑みかける。
そしてたどたどしい日本語で、挨拶する。
「はじめまして。よろしくおねがいします」
「こ、こちらこそ」
鞠はすっかりとエリスの美しさに呑まれてしまっているようだ。
エリスの美貌から逃れるように、鞠は俺に目を向ける。
「お兄様、もしかしてこの方は……」
「いつぞや話したか? ドイツ留学中に出会った踊り子だよ」
「鞠はてっきり、お兄様がご学友の謙吉さんを連れてくるものかと」
「たまには違う雰囲気で勉強会をしたいと思ったんだよ」
ふぅん、という平坦な声。俺に言いたいことがあるらしい。
が、鞠はすぐに話題を変える。
「お兄様。お勉強会ということで、鞠もご一緒させていただくとのことでしたけど、今日はエリスさんと一緒にお勉強ということでよろしいですか?」
「いいや、実はもう一人来るんだ」
「もう一人?」
「ああ。ここに来る途中で『ちょっと用事を思い出した』とか言ってどっかに行っちまったんだ。店の場所は知っているはずだから、じきに合流することになる」
もう一人とは花子のこと。
エリスを見て、あいつは何やら思いつめたような表情をしていた。
それが花子の言う「用事」と関係があるのかどうかは定かでないが、一つだけ確かなことがある。
あいつは絶対に勉強させないといけないということだ。
元々、あいつはやればできる子。
それは前に勉強を教えた俺がよく分かっている。
来たら存分に勉強させてやる。そう決心を固めている俺である。
さて、今日の勉強会。
開催する運びとなったのは、鞠が原因である。
鞠が俺に「普通の学生が放課後にどのような勉強会をやっているのか、実際の光景を見てみたい」と言い出して、俺と相沢の勉強会に相席させてほしいと頼んだことが全ての始まりであった。
俺は可愛い妹の頼みを快諾し、定期的に開催している相沢との勉強会に鞠を同席させ――るはずもない。
俺は鞠の職業を知っている。
こいつはBL作家だ。
そしてここ2週間ほど、筆の運びが重くなっていることを愚痴っていた。
しかも「アウトプットばかりではいけませんね。インプットも必要です」という妹の独り言まで俺は聞いてしまっている。
そんな独り言を聞いてしまった後で、「俺と謙吉の勉強会に同席させてほしい」なんて言われて、素直に了承できるはずもない。
鞠のやつ、絶対に俺たちを使って一本仕上げる気だったろう。
今も鞠がそわそわしているが、これは俺が言う「もう一人」が謙吉あるいは別の男の可能性があるから。
だが、残念だったな鞠よ。次に来るのも女だ。
そして、果たして。
店のドアが開いて、一人の美少女がやってくる……美少女?
「お、お待たせしました……っす」
やってきたのは、間違いなく花子だ。
しかし普段の駄犬具合は鳴りを潜め、こじゃれたワンピースに身を包み、メイクもばっちりという出で立ち。
なんだこいつ可愛いな。
想いもよらぬ美少女を見ていると、俺の中に鈍い罪悪感。
俺はこんな娘を相手に、頭を掴んだり、場合によってはアイアンクロ―をしていたのか……。
いや、でも相手も喜んでいるフシがあったから――
「せ、先輩……そんなに見ないでくださいっす……は、恥ずかしいっす……」
とりとめのない葛藤を頭の中で回している俺に、花子が花子らしからぬ奥ゆかしい言葉を投げてくる。
それだけで俺の情緒が焼き払われそうになった。
【むぅ】
「むぅ」
花子の来訪に、場にいたエリスと鞠も似たような反応を示す。
エリスは、さっきとは違う花子の姿を見て、何やら警戒感を抱いた様子。
日本に来てからは常に余裕なエリスだったが、花子の変貌に思うところがあったのだろう。エリスから見ても、花子の変貌はそれだけ凄まじいものだったのだ。
一方の鞠の「むぅ」については……花子が女の子だったこと。
鞠は男が来ることを希望していたのだろうが、今回は俺が一枚も二枚も上手だったということだろう。
そして花子は鞠の隣におずおずと座り、オーダーを取りに来た店員さんに「今日はアプリコットティーで」と注文をしている。
俺が「特盛角煮丼じゃなくていいのか?」と聞いたら、「せんぱいのイジワル」と言われてしまった。
鞠から咎めるような視線を向けられたので、俺は大いに恥じた。
しかし――このテーブル。
美少女ぞろいになってしまったな。
瑞々しく咲き誇る花々のなか、俺だけ浮いている感が否めない。
まぁそんな違和感も、勉強に没頭すれば全て忘れられよう。
と、いうことで、
「勉強を始めるか」
やがてみんなの飲み物が出そろって。
俺は勉強会の開幕を宣言した。
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