第2話 美少女の来訪
「
朝、ホテルの二人部屋にて。
ベッドで横たわる俺に、同室の謙吉が声をかけてくる。
「いやー、ドイツで迎えるお正月ってのは、いつもと違う気分になるね」
「あ”あ”」
「おせちがないのは残念だけど、シュトーレンはたっぷりあるからさ」
「そゔだな」
「やっぱり風邪のせいで声がヤバいね」
そう、俺は風邪を引いている。
それもメチャクチャにタチの悪いやつ。
頭がズキンズキンだし、喉はゴホンゴホンだし、お腹もペインペイン。
そして俺からクリスマスと大みそかを奪ったこの病魔は、今まさに、正月すらも奪おうとしているのだ。
風邪を引いた原因は、やはり川へのダイブ。
ダイブ後、俺は濡れた体を乾かせる場所を求めて、夜風にだいぶ晒されるはめになり、おまけに川の水も飲んでしまっていた。
当然、何も起きないはずもなく。
翌日からさっそく体調が悪くなり始めた。
医者に行っても、簡単な問診と申し分程度の薬の処方のみだ。
ドイツは古くから知られる医療大国だが、いざドイツに来ると、日本の医療制度の親切さが恋しくなる。
病気の当事者となった今では、余計に恋しい。
親友の謙吉は年末からずっと、俺の看病をしてくれた。
嗚呼、相沢謙吉のような良友は世に二度とは出会えないだろう。
しかし、食欲不振に苦しむ俺の前で、謙吉がクリスマスのチキンだったり日本食店で手に入れてきた年越しそばだったりという旨そうなものを殊更旨そうに食っていたこと――この一点を以てして、俺の脳裏には謙吉を憎む心が今日まで残っている。
この野郎……笑いながら、食レポみたいなことまでやってきやがった。
食ベ物ガラミノ恨ミハ怖インダゾ……怖インダゾ!
「くそぅ……今日こそはシュトーレン食ってやる……」
「その様子だとまだ無理だよ。はい、ホットコーラ」
俺のベッド脇のデスクに置かれるマグカップには、湯気立つコーラ。
畜生、正月だってのにおせちもお雑煮も食べられず、今日も今日とてホットコーラで栄養補給を図るだけになりそうだ。
と――
RINGRINGRING!
部屋に備え付けてある電話が鳴る。
俺と謙吉は顔を見合わせる。このホテルに腰を据えて一か月近くになるが、あの電話が鳴ったのは今日が初めてのことだった。
俺は風邪で喉が潰れているので、謙吉が電話に出る。
【はい……はい?】
親友の声に戸惑いが宿る。
【いえ、お名前は僕たちも知らないので……ええ、はい。分かりました。御通し願います】
受話器を置く謙吉に、俺は目線で尋ねる――どうした?
「フロントに、僕たちを探しているっていう人が来ている」
「誰だ?」
「僕たちと同じくらいの年齢の女の子なんだってさ。名前を、エリス・ヴァイゲルトっていうんだって」
それって――
俺がとある予感を抱くと、謙吉が頷く。
「多分僕ら、同じことを考えているよ」
果たして。
部屋のドアベルが鳴らされ、謙吉が応対し、一端部屋の中に戻ってくる。
「やっぱりあの子だ。通しちゃっていいかい?」
「俺は病気なんだが……」
「ここまで来てくれたのに、追い返す?」
そうもいくまい。
心を決めた俺が頷けば、謙吉がドアの方へまた向かう。
そのまま彼は一人の少女を連れてくる。
銀色の髪が印象的な美少女だった。
一見して安物と分かる誂えのコートを抱えているが、彼女の容姿は服の値段に左右されるようなものではなく、その美貌は場に彩りを与えてくれる。
【あの時の……】
ベッドに寝たままの俺の顔を見て、少女の表情がパァッと華やいだ。
逢えて嬉しい――そんなことを考えている顔だと、一目で分かる。
だけどすぐに彼女の芸術品のような顔が曇る。
俺がなぜベッドに寝たきりで、病苦に耐えているのか。
その原因を理解してしまったからからこその自責の表情だと分かった。
【……窮地に陥っていた私に救いを施してくれたこと、誠にありがとうございます。そして、本当に申し訳ございませんでした】
謝罪の言葉を述べる少女の瞳の端には、涙の雫すら浮かんでいる。
【奪われてしまった私の大切なものを取り戻すため、冷たい冬の川に飛び込んでくださったと聞きました。私のために、こんな目に遭わせてしまいました。心よりお詫びいたします】
【いや、気にしないでいい。それより君の方が無事でよかった】
恐縮され過ぎても困るので、俺は熱で朦朧とする頭を懸命に回し、明るく振舞おうと努力する。
【申し遅れました。私はエリス・ヴァイゲルトと言います】
【よろしく、ヴァイゲルトさん。俺は於菟。そっちにいるのは俺のダチの謙吉だ】
謙吉のことを紹介すれば、少女は「はい、存じ上げています」と応答。
すかさず謙吉が補足してくれる。
【僕の方はあの日、ヴァイゲルトさんに鞄を届けた時に簡単な自己紹介をしてるよ。鞄が濡れた説明をするため、於菟が川に飛び込んだことも話した。まぁ、宿は教えていないはずなんだけど……】
謙吉が不思議そうな目を少女に向けると、エリスと名乗る少女は、色素の薄い頬をほんのりと染めた。
【その、ですね……於菟さんにも絶対にお礼を言いたいと思いまして、あの日から方々を探し回って、ようやくこのホテルに行き着いたんです】
【凄いな。まるで探偵みたいだ】
探偵小説が好きな俺が、自分なりの褒め方でエリスの努力を称えると、彼女は恥じらったようにもじもじする。
その姿があまりに魅力的で、俺の顔もさらに熱くなる。
高熱に感謝しなければいけないかもしれない。
彼女を見て顔を赤らめたことを、高熱のせいだと誤魔化せたのだから。
俺は彼女が見せたひたむきさと熱心さを、純粋に評価していた。
これより3か月後、俺は我が身をもって彼女の追跡能力の恐ろしさを思い知ることになるのだが。
この時の俺はまだ、自分の身に待ち受けている運命を何も知らなかったのだ。
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