第15話:意外な人との再会
広い吹き抜けの天上には寝室にある物よりさらに巨大なシャンデリアが下がっていて、数百はあるだろう硝子飾りが美しい光のきらめきを放っていた。
朱色のカーペットが敷かれた長い廊下には絵画がいくつもかけられていて、足を進める度に美術館を回っている気分になる。
「さすが大貴族……」
エイドルースの屋敷、西洋ファンタジー映画に出てくるような王城をさらに豪華にしたような大邸宅だった。さすがラーシャ国の中でも指折りの大貴族。気を抜くと迷子になりそうだと気をつけながら廊下を歩いていると、途中で何人もの使用人とすれ違った。その時に気づいたのだが、フォンダム邸で働いている人たちは皆、驚くほど優しい。こちらが歩いていると笑顔で挨拶してくれるし、怪我はもう大丈夫かと心配もしてくれる。リルゼムなんて一目で庶民だと分かるだろうに、決して色眼鏡で見たりしない、いい人たちばかりだった。
ありがたいなと、温かい気持ちでいるとふと廊下の先に大きな窓があることにリルゼムは気づいた。
「え、うわぁ。すごっ」
大窓に近づき惹かれるように外を見ると、一瞬で目の前に別世界が広がった。
キラキラと輝く日差し込む散歩道には丁寧に整えられた薔薇やラベンダーなどの花々が溢れんほど植えられ、緩くカーブを描いた道の先には、空に向かって水の筋を上げる立派な噴水がある。少し近づいてみれば水しぶきが陽光に反射し、虹色に光っていていた。
幻想的な光景に、自然と溜息が零れてしまう。
思わず息を呑むほど広大なフレンチガーデン。
まるで天国にでも迷い込んだかのようだった。
「屋敷もでかいけど、庭も広すぎだろ……」
リルゼムが暮らす単身者用の小さな家とは雲泥の差だ。感動と羨ましさを綯い交ぜにしながら、リルゼムは庭園をゆっくり進む。
近くにいた女性から声をかけられたのは、そんな時だった。
「リルゼムさん」
「はい……って、えっ?」
覚えのある声に名を呼ばれ振り向くとそこにはメリルがいて、リルゼムはぽかんと呆然してからすぐに仰天した。
「メリルさんっ?」
まさかこんな場所で再会するとは思わず、リルゼムは目を白黒させて慌てる。そんなリルゼムに、メリルはそんなリルゼムにフフフッと悪戯が成功したかのような笑顔を浮かべた。
「お久しぶりです、リルゼムさん。驚かせちゃいましたね」
「どうしてメリルさんがここに?」
「実は裁判長様が……いえ、エイドルース様が私さえよければ自分の屋敷で働かないかと、迎えて下さったんです。」
「裁判長が?」
「はい。この屋敷には宿舎以外に使用人専用の保育室もあるから、私のような人間も働きやすいだろうって」
夫を亡くし、頼れる親もいなかったメリルにとって子どもがいながらでも働ける場所は貴重ゆえ、迷う間もなく息子と二人でこの屋敷にやってきたという。
「この屋敷、保育室もあるんですかっ?」
「私も初めて知った時は驚きました。ですが、このお屋敷には私みたいな事情の者が以前から多くいるそうで」
保育室を作れば子どもの心配をしないで働けるし、新たな働き口にもなる。実際保育室で子供たちの世話している人間も、事故で夫を失った女性なのだという。
しかもこの屋敷の保育室は子どもを預かるだけでなく、将来のためにと文字の読み書きも教えてくれるそうだ。
「本当にエイドルース様は神様ような方です。私のような人間の前途を守ってくださるだけでなく、中には冤罪を晴らしてもらった者もいるんですよ」
「裁判長が冤罪を?」
「ええ、先日のリルゼム様のように」
メリル曰く、一年前街で若い娘が殺された事件があったが、捜査の結果、最後に会話したという理由で知人の男が捕縛されたそうだ。
牢に入れられた男は一貫して無罪を主張したが、結局取り調べで罪を自白。死罪が確定するものだと思われたが、直前でエイドルースが不審に思い事件を調べ直した。すると自白は、男を犯人だと決めつけた取調官の暴行によるものだったと判明したのだ。
その後、エイドルースの再捜査命令によって男にアリバイがあったこと、さらに殺された女性には交際をしつこく迫っていた別の男がいたことも分かり、無事真犯人が逮捕された。
こうして誤認逮捕された男は無事釈放されたのだが、理不尽なことに雇用先から「一度でも捕縛された人間を職場に置いておくことはできない」と言われ、解雇されてしまったのだ。
そんな男に救いの手を差し伸べたのが、エイドルースだったとメリルは語る。
──冤罪を晴らすだけではなく未来も救う、か……。
エイドルース本人に弱者を救いたい意志があるのは木の上での会話で分かったが、実際は法律に抗えず何も出来ないと思っていた。しかしメリルの話を聞く限り、エイドルースは自由がきかない中でも自身が持つ権力で何人もの人々を救っていたようだ。
──弱き者を守りたいってところは、漫画と同じだな。
漫画のエイドルースは、特権を盾に正しく裁かれない貴族たちから弱者を守るために闇堕ちした。つまり両者手段は違えど、根底にある想いは一緒なのだ。ということは、やはり。
──この世界のエイドルースもいつかはダークヒーローになるのかな。
先日のギャングの件はリルゼムが止めたが、そんなものは一時凌ぎにすぎない。
──犯罪者か……。
脳裏に漫画で登場した黒衣姿のエイドルースが過る。
闇の粛清者となった彼は月の出ぬ夜に舞い降り、使用人に暴力を振るう貴族や人を騙して金を奪う悪人、そして殺人を犯しながらも賄賂を渡して罪から逃れる者に鉄槌を下し続けた。
時に大量の返り血を浴びることすら厭わずに。
──漫画ではスカッとしたんだけどな。
正義が悪を打ち砕く展開は、いつだって面白い。しかし白熱しながら楽しめたのは、それが創作物だからだ。誰だって知り合いが「今から犯罪者になります」と言ったら動揺する。もちろん兄の死の理由を突き止めたい気持ちは分かるし、近い将来、謀反を企てる宰相を倒す存在としてダークヒーローになったエイドルースが必要になるのも納得できる。けれども。
「なんか……もったいないなぁ」
ずっと光の下にいればいいのに。
このまま清廉潔白の裁判長として多くの人を救い、法改正の先駆者になる。エイドルースにはダークヒーローよりもそういった姿が似合っていると考えてしまうのは、おかしいことだろうか。
「リルゼムさん?」
不意に名を呼ばれ、リルゼムはハッと我を取り戻す。
「あ……ごめんなさい、オレ、ボーッとしてました」
「お怪我をされたと聞きましたが、まだ調子が戻ってないみたいですね。呼び止めてしまってごめんなさい」
「あ、いや、ちょっと考えごとをしてただけですから」
「でもエイドルース様から、リルゼムさんのことは特に気にかけるよう使用人全員が言われてます。ですのでお部屋までお連れしますね」
「本当に大丈夫──」
「さ、行きましょう」
まだ散歩の途中なのだがと言おうとするも、彼女の顔には『部屋に戻るまでちゃんと見張ってます』としっかり書いてあって、どうにも言うことを聞くしかなさそうだった。
女性の笑顔の圧に勝てる術など、若輩者のリルゼムにあるはずがない。
「……分かりました、戻ります」
リルゼムは仕方なく頷くと、メリルとともに歩き出した。
それは束の間の自由時間だった。
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