第14話:逃亡者リルゼム



「君の鋼の根性にはほとほと驚かされるよ」


 呆れと怒りが混ざった、感情の読みづらい声が見えない棘とともに飛んできたので、リルゼムは苦し紛れに直立不動のままハハハと乾いた笑いだけを浮かべた。

 エイドルースの視線が痛い。


「いくら貴族の屋敷が慣れないからって、そんな状態で逃亡を試みるなんて理解が追いつかないよ」


 ちなみに今、リルゼムは説教を受けている最中である。


「その情熱はどこからやってくるんだい?」


 エイドルースの屋敷で療養生活を送ること五日。医師の治療と不本意ながらもエイドルースの看護のおかげで少しだけ動けるようになったリルゼムは、早々に逃亡を図った。

 勿論、理由は迫り来る死亡フラグを回避するため。

 結果は見てのとおりだ。


「いやぁ、ね、ほら仕事ずっと休んでるし、そろそろ出勤しないオレの席がなくなるんじゃないかって心配になって」

「職務に真摯なのはいいことだけど、無理を押して動いて傷が開いたら本末転倒ではないかい?」

「そ、それは……」


 確かに急に動いたせいで背中がじくじくと痛むが、傷はまだ開いていないはずだ。うん、いないと信じたい。


「あんな大怪我からまだ五日しか経ってないんだよ?」

「でもオレ、裁判長と違ってしがない一般職員なので、有給もそんなにないし……」

「ふむ、理由がそれなら安心して寝室に戻ってくれていいよ」

「は?」

「君は王立法院の首席判事の危機を身を挺して守った。これは称賛に値する行為だから、法院から感謝状が贈られるとともに、怪我が治るまで特別休暇が付与されることが決まった。だから何も気にせず療養を続けてくれ構わないよ」

「感謝状ぉ?」


 感謝状とは道で倒れた老人に救命行為をしたとか、ひったくりを捕まえたとかで警察からもらえるあれのことか。いや、そんなものもらっても嬉しくもないのだが。リルゼムは細目になりかけたが、それよりも特別休暇云々の言葉に引っかかりを覚えて頬を引き攣らせた。


「ちょっと待って下さい。特別休暇って、それ認めるの法院のトップですよね?」


 つまり感謝状も特別休暇も、エイドルース本人が決めたこと。

 これは所謂アレだ。


「それ職権乱用って言いません?」

「そんなことはない。副判事も秘書室長もちゃんと認めてくれたよ」


 エイドルースは当然のように言ったが、上の人間がそうしたいと言えば下の人間は頷くしかないというのが役所という世界だ。きっと強引に事を進めたのだろう。


「ということで、ベッドに戻ろうか」

「もう動けますし、あとは自分の家で……」

「これ以上駄々を捏ねると、小型犬用の首輪とリードを用意させるよ?」



 訳)これ以上駄々を捏ねると首輪つけて引っ張っていくぞ。

 

 見事な脅迫とはこのことだ。

 なぜ用意する首輪が小型犬用なのかは後できっちり問い詰めるとして、エイドルースの顔が微笑んでいるのに目だけ笑っていないという恐ろしいものになっていたので、リルゼムは泣く泣く諦めて大きく項垂れた。

 そんなリルゼムに柔らかな言葉が降ってくる。


「嘘だよ、首輪なんてつけないから。でもそれぐらい君のことを心配してるってことだけは分かって欲しいな」


 寂しそうな声に視線を上げると、エイドルースは言葉と同じように両眉をハの字に下げて困ったような顔で微笑んでいた。

 まるでこちらが苛めているみたいで、罪悪感を擽られる。


「私の近くにいるととんでもないことに巻き込まれそうな気がすると言っていたが、やはりまだ私のことが信用できないかい?」


 突然の問いに、リルゼムは瞳を揺らしながら閉口した。

 今でもそう思うかと聞かれたら、これからも気持ちは変わらないと言い切ることができる。当然だ、この男に関わるだけで無残な死は確定なのだから。

 けれどリルゼムはすぐに頷けなかった。寂しげな顔のエイドルースを見ていると、なぜか無下に突き放すことができなかったのだ。


「その顔だとまだそう思ってるみだいだね。……でもそれも仕方がないか。正直、私も未来のことは分からない。再び今回みたいなことが起こるかもそれない。でも……」

「でも?」

「この先何があっても、君のことは私が守ると約束するよ」



 守りたいんだ、君のことを。

 嘘のない、真っ直ぐな瞳に見つめられ、リルゼムはハッと双眸を見開いた。

 この男と出会って何度目か忘れてしまったが、不覚にも清流のごとく清らかで凛とした思いに胸が揺さぶられてしまった。

 漫画の主人公の言葉だから心に強く響くのか、それともエイドルースだからか。分からないが言えるのはただ一つ。

 本当に悔しい。

 こんな感情、認めたくない。


「……裁判長にそんなふうに言ってもらえるなんて、すごく光栄なことです。でも守るって、傍にいることだけじゃないのではないですか?」

「どういう意味かな?」

「貴族で主席判事の貴方が、平民で一般職員のオレに関わらなければオレの平穏は保たれる。それも一つの『守る』になりませんか?」

「確かにそうかもしれないが、君と関わらないか……。うーん、それは少しむずかしいかな」

「どうして?」

「私が君のことを、手放したくないぐらい気に入っているからだよ」


 だから、それが迷惑なのだが。

 しかしこの男にそれを言っても、引き下がってはくれないだろう。

 

 ──しょうがない、病み上がりで巧く反論できそうにないし、今日のところは言うこと聞くしかないか……。

 

 観念して寝室に戻る決意をしたリルゼムは、本当に厄介な男に目をつけられてしまったものだと、ため息を吐きながら歩き出す。

 

「……もういいです。部屋、戻ります」

 

 ただ当然だが、だからと運命を諦めるつもりは毛頭なかった。

 



 


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