屋根の上の私の味方

あおなゆみ

私の味方

 部屋の窓から屋根の上によじ登る。

高いのが怖いとは思わなかった。

私がまだ大人じゃないから怖くないのか、悲しいから怖くないのかは分からない。



「あっ、またいるね」


私が言うと、


「おっ、また来たね」


と返ってくる。


その少年は、いつも屋根の上で月を眺めていた。

曇っていて月が見えなくても、月を眺めようと見つめ続けていた。



「今日も何か悲しいことがあったみたいだね」


私の顔を覗き込み、全てを察したかのように少年が聞いてきた。

私にとっては、その少年だけが話を聞いてくれる相手だった。


「うん・・・ねえ、どうして皆、喧嘩ばっかりするんだろう。家でも学校でも嫌になっちゃうよ」


言葉にすると、余計に悲しくなる。

でも、少年が目を逸らさずに聞いてくれるから、少しだけホッとする。


「色々事情があるんだよ。でも、そんなのは関係ないよね?君を傷つけてもいい理由にはならない」


「喧嘩は、嫌い。私なら、すぐに謝る。喧嘩になりそうになったら、一生懸命怒らせないようにするよ。自分が悪くなくても謝る」


「そっか。偉いね」


「うん。正直、私って偉いと思う」


「僕は絶対に、君を怒ったりしないよ。僕は君を応援する為に存在するんだ」


「ありがとう。そう言ってくれる人がいて、嬉しい」


「照れるね」


「照れるね」


 少年は私の味方で、私が唯一、何でも話せる大切な人。



「ねえ。いつも私の話ばっかりだから、私も話を聞いてあげたいな」


「僕の?」


「うん」


「僕は、君が今のまま優しい心を持ってくれたらって願ってるんだ。それだけだよ」


「そんなわけないでしょ?私に関係のない話を聞かせて」


「そう言われてもな・・・僕は、君が傷つかないでほしい。君の周りの人が、君のことを、そして大切な人を傷つけないでほしい。そして、君には・・・泣きたい時に泣いてほしい。涙って、悲しみとか、苦しみとか負のイメージが強いと思うけど、それでも涙を流せる人になってほしいんだ」


「涙を流せる人?」


「うん。君が泣けば、僕も泣けるから」


「泣いたことないの?」


「君が泣かないから、僕も泣けないんだよ」


「私、泣いてもいいのかな?」


「いいよ。僕が君の全てを愛してるから」


「愛・・・」


「そう。愛・・・」


「本当に、愛って何か分かってる?」


少年が少年のくせに愛なんて言うから、私はつい聞いてしまった。

正直、恥ずかしかった。

私は愛が何か分からなかったから。


「君が傷つかないでほしいって気持ちが、僕にとっての愛だよ。君みたいな優しい人は、誰よりも傷つきやすい。浅く傷つくっていうことを知らない。深く傷ついてしまう君を、泣かせたかったんだ」


「そっか・・・ありがとう」


不思議な気持ちになる。

そんなことを言ってくれる少年こそ、私にとって優しい人だった。

泣きそうになってしまう。


「僕からもう一つ、聞いてほしい話がある。」


「何?」


さっきの愛という言葉が効いたのか、突然涙が溢れてきて、私は空を見上げた。

本当に、泣いてもいいのだろうか。


「もう、ここには来ちゃダメだよ」


「えっ、どうして?」


少年の方を見た瞬間、私の目から涙が流れた。


「僕の役目は終わったから。君はもう、僕に会えなくなる」


「どういうこと?」


「ただ、思い出してほしい。直接会えなくても、僕を思い出して」


「嫌だよ。ここにいてよ」


涙が止まらない。

悲しくて、苦しくて、辛い。

それなのに、少年の前で泣けたことが、私の気持ちを楽にしている。


「君はもうここには来られない。それは間違いない。そして、僕が君の味方だということも事実だ。僕を、忘れないでね」


「私は明日も来るよ。ねえ、私、ちゃんと泣けたよ?ねえ・・・」


涙で視界が揺れ、傍にいたはずの少年は消えていた。

私は泣き続けた。

屋根の上で一人、夜が明けるまでずっと。



 次の日の夜。

寝静まった家の中で一人、いつも通り音を立てないように窓を開け、屋根の上によじ登ろうとした。

それなのに・・・


「怖い」


高くて怖い、と思ったのが最後、そこから動き出せなくなってしまう。

少年が待ってる、と思っても私は、昨日は知らなかった恐怖に怯えていた。


「ねえ、そこにいるの?」


できるだけ小さな声で呼び掛ける。

返事はなかった。


「私が泣くことが、役目だったの?本当にもう、会えないの?」



 部屋の窓から、月を眺めた。

雲に邪魔されることのない、綺麗な月だった。


 私が泣けたことで、少年もようやく泣けると祈って・・・

私は少年のことを絶対に忘れたくないと、涙を流した。

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