02 死者の嘆き

 私は今日も大河のほとりにいる。

 どこからか吹いてくる風が私の長い白銀の髪をなびかせる。朝焼けに染まる川面に白のワンピースが映っている。

 大河の奥から無数の小舟が静かに渡ってきた。それぞれの舟には、新たにこの世界へと辿り着いた魂たちが乗っている。


「おはようございます、ソラ様」


 背後から聞こえた声に振り返ると、私の従者であるアキラが、大きな建物の前で両手に朝食の載った銀のトレイを持って立っていた。

 私の秘書的存在が必要だと思い、創造の力で生み出したのがアキラだ。なぜか私と正反対の頭からつま先まで黒色で統一している。ちなみに服は執事服だ。


「おはよう、アキラ。今日も美味しそうね」


 私はアキラの元へ進み、そのまま建物の中に入った後、執務室へと入った。

 両袖の机にある椅子に腰掛けると、アキラがトレイを、器用に音を立てずに置いた。


 トレイの上には、夢の星で採れた小麦で作られたパンと、現の世界のニワトリに似た霊獣から得られた新鮮な卵、そして香り高い紅茶が並んでいる。もう1つのトレイには山盛りのパンケーキが載せられており、そこから立ち上る甘い香りに、思わず頬が緩む。死後の世界でも食事が必要な神様というのは、私くらいのものだろう。というより、食事を楽しめる神様は私だけかもしれない。


 私は3つの世界を創造し、維持する責務を負っている。

 生者の世界である「うつつの世界」、死者が集う「星間郵便局」と生者が見る「夢の星」、それらを総じた世界の「夢の世界」、そして魂が還り新しい魂が生まれる「輪廻の世界」

 これらの世界を維持するために、私は絶え間なくエネルギーを消費している。そして、そのエネルギーを補給するために、私は食べ物を必要とするのだ。


「いただきます」


 パンケーキにメープルシロップをたっぷりとかけ、一口頬張る。ふわふわした生地が口の中でとろける。これこそが、私の至福の時間だ。


 私がパンに手を伸ばすと同時に、窓から見える岸辺に一艘いっそうの小舟が到着した。乗っていたのは、血に染まった衣服をまとった中年の男性だった。


 その男は、行列ができているここ、星間郵便局局員管理センターの最後尾に並んだ。


「ソラ様。お食事中に申し訳ございません。こちらの方がぜひソラ様にお会いしたいとのことです」


 アキラが扉を開き、招き入れた。私は手を止めず、チラっと見る。


「お初にお目にかかります。生きていた時には商会の会長をしておりました。ぜひこの世界でも商会を立ち上げ、商売を始めたく存じます」


 小太りの初老の男が、帽子を取り深々と頭を下げた。


「……それが貴方の未練を晴らす役に立つならそうしなさい。だけど、商会の中だけでふんぞり返る事はなりません」


 私は右手のフォークを空に指す。


「あの夢の星々の中に、商いに役に立つ物があります。そして、その夢の星の主に手紙を送りなさい。詳しくは配送センターで聞くといいわ」


 そう言い、食事を再開した。


「しょ、承知いたしました!」


 私がこれ以上話を聞かないという気配を察したのか、小太りの初老の男はそそくさとその場を去っていった。


「ソラ様」

「うん。通してちょうだい」


 次に入ってきたのは、刃物でズタズタに割かれたような衣服を着た青年だった。


「神様! 俺は天国に! 俺を殺した奴は地獄に落としてくれ!」


 青年は私の近くまで寄り、料理が置かれている机を強く叩いた。

 叩いた衝撃で、積みあがったパンケーキがぐらつき、そして倒れてきた。

 アキラはすぐさま食器棚から皿を数枚取り、倒れてきたパンケーキを瞬時に取り分けて机の上に置いた。


「ありがとう、アキラ……そこの青年」

「は、はい!」

「食べ物を粗末にしてはいけません」

「……は、はあ」

「返事は、はい!」

「はい!」

「よろしい」


 そう言い、紅茶に手を伸ばす。


「そ、それで、地獄に落としてくれるのか?」

「現の世界の物語に出てくる『天国』と『地獄』というのは無いよ」

「そ、そんな……」


 青年はガクと膝を落とす。


「だけど安心して。とても悪い事をした人にはペナルティがあって、配達報酬がないわ。あと、物を売ってお金を得る事もできないわね」


 私は引き出しから郵便配達の報酬である星間通貨を取り出して、青年に見せた。


「お金?」


 青年は首を傾げる。


「お金が無いってことは、車も借りられない。食事も買えない。自力で夢の星まで行き、自給自足しないと苦しんで消滅するという地獄を味わうことになっているわ」


 私がそう言うと、青年は真剣な眼差しで見た。


「ここで悪い事したら、刑務所行きだからね。夢の星で食材を調達する刑に処させるわ。あと、刑務所での食事も自給自足ね。だから、ある意味『地獄』はあるわ」

「そうなんだ。よかった」


 ほっとした様子で立ち去ろうとする青年。


「あ、天国はないから貴方もお手紙の配達やってね。それが貴方のためであり、まだ生きているの友人のためでもあるからね」

「わ、わかった」


 振り返った青年はそう言い、再び立ち去ろうとした。


「あ、それと」

「まだあるんですか……」


 青年は渋々振り返る。


「アキラの手を煩わせた罰として、最初の配達の報酬から1割差し引きます」

「そ、そんなー……」


 青年は遅い足取りで、扉から外へと出て行った。


「ボクの事はいいですのに……」

「そんなわけにはいかないわ。貴方は私の大事な部下ですもの」

「は、はい……」


 アキラは少し恥ずかしそうな表情を見せた。


 私の元には、死んで間もない人の中で、直接会って話がしたいという人がやってくる。その人達の話を聞く事も私の仕事。


 人々の話を聞いては、啓示をする。それを繰り返していると、先程気になった血に染まった衣服をまとった中年の男性が部屋に入ってきた。 


「……ここは?」


 男性の声は震えていた。その瞳には深い悲しみと怒りが渦巻いている。食事を終えていた私は席を立ち、男性に近づいた。


「あなたは今、死者と神々が住まい生者の夢の星が輝く、夢の世界にいます。私は霊神のソラ。この世界の創造神です」


 私がそう言うと、男性は膝をつき、声を震わせながら語り始めた。


「僕の名はクロード。盗賊団に襲われ……妻は今も……今も……」


 彼の言葉は途切れがちだった。私は胸が締め付けられる思いだった。現の世界では今も、このような残虐な行為が繰り返されている。

 クロードの魂からは濃い邪気が立ち昇っている。通常、人の魂は霊気と呼ばれる陽の気と邪気と呼ばれる陰の気が1対1で構成されているが、強い負の感情によってその均衡が崩れることがある。彼の場合、邪気が霊気を大きく上回っていた。


「ご家族のことを案じておられるのですね」

「案じる? 違う! ……僕は……憎いのです! あの畜生どもを……人の世界そのものを……」


 クロードの周りの空気が重くなっていく。邪気が渦を巻き始めた。


「クロードさん、あなたのお気持ちはよくわかります。でも、この夢の世界には素晴らしいシステムがあるんです」


 私は手を差し出し、霊気で作られた光る手紙を見せた。


「これは浄化の手紙。夢の星々を巡り、人々の心を癒すものです。邪気は手紙となって、誰かの心を照らす光となる。そうして、魂は少しずつ浄化されていくのです」


 しかし、クロードの目は既に憎しみで曇っていた。


「無意味です……そんなもので何が変わる? 妻は今この瞬間も苦しんでいる! それなのに、僕にできることは手紙を配達するだけだと?」


 彼の魂から放たれる邪気が、さらに濃くなっていく。私は焦りを感じながらも、冷静に説明を続けた。


「現の世界と夢の世界は、繋がっているのです。ここでの浄化は、確実に現の世界に影響を与えます。あなたの魂も、手紙によって浄化することができます」


 しかし、クロードは首を横に振った。


「僕は浄化される必要などありません。この憎しみこそが、僕の存在理由です」


 その瞬間、彼の邪気が更に濃くなるのが見えた。


 私は深いため息をつく。世界の創造と維持を任された神として、こういった魂の闇を目にすることは珍しくない。だからこそ、浄化のシステムを作り上げた。だが、時として魂は頑なに浄化を拒む。


「では、せめて街を案内させてください」


 私は執務室を出て、クロードを案内することにした。廊下には沈んだ顔の死者たちがいた。現の世界から来たばかりの死者だ。


「ご覧ください。皆、少しずつ前に進んでいます」


 建物の外に出て街の中へ。そこには、未練が少しずつ解消されつつある明るい顔。夢の世界への配達から戻ってきた達成感に満ちた顔があった。車で夢の世界へ向かう者たち。郵便局配送センターで手紙を受け取る者たち。その光景は、まるで生きている街のようだった。


「他の神々は……」


 クロードが突然呟いた。


「ええ、この街の高層ビルの最上階には、それぞれ神が住んでいます。ですが……」


 私は言葉を濁らせた。他の神々は怠惰だった。人間の問題に関わることを拒否し、ただ己の領域で安寧あんねいむさぼっている。


「私一人でも、できることをするだけです」


 その言葉に、クロードは皮肉な笑みを浮かべた。


「一柱の神に、何ができるというのです?」


 確かに、私は力不足かもしれない。世界を創造し、維持することで精一杯。だからこそ、常に大量の食事が必要なのだ。しかし……


「私には、希望があります」


 街を見下ろす展望台で、私は続けた。


「見てください。あの星々を」


 夢の世界の星々が、優しく輝いていた。


「一つ一つの星は、誰かの夢。その中には、きっとあなたの心を癒せる光があるはずです」

「いいえ、ソラ様」


 クロードは立ち上がり、私を見つめた。その目には決意が宿っていた。


「僕は……人の世を終わらせます。この腐敗した世界に、もはや救いなどありません」


 その言葉を最後に、クロードは街の方へと姿を消した。私は彼を止めることができなかった。


「ソラ様」


 アキラが私の肩に手を置いた。


「あの方の魂……尋常ではありません。今までに見たことのないほどの邪気の濃度です」

「ええ……わかっているわ」


 私は朝焼けの空を見上げた。夢の星々が、まだかすかに輝いている。その1つ1つが、誰かの夢であり、希望なのだ。


 街並みを見渡すと、次々と起きだす人々の姿が見える。現の世界と変わらない建物が立ち並び、その間を様々な表情の魂たちが行き交う。未練を解消しかけている者は明るい表情で、夢の星へと向かう車に乗り込んでいく。一方で、つい先ほど現の世界を去ってきた者たちは、まだ悲しみに沈んでいる。


 私はポケットに忍ばせておいたクッキーを手に取った。世界を維持するためには、力が必要だ。そして今、その力が最も必要とされている時かもしれない。


「アキラ、街の見回りを強化しましょう。クロードの動向を……注意深く見守る必要がありそうね」

「承知いたしました」


 アキラはうやうやしく頭を下げた。その瞳には、私と同じ危機感が宿っているのが見て取れた。


 朝日が昇り、夢の星々の光が薄れていく。新たな一日が始まろうとしている。しかし私の心の中には、暗い予感が渦巻いていた。クロードの魂に宿る深い憎しみは、きっとこの世界に大きな波紋を投げかけることになるだろう。


 私は一口でクッキーを頬張りながら、考えを巡らせた。神々の怠惰、人々の苦しみ、そして新たな脅威。この均衡の取れた世界は、大きな試練を迎えようとしているのかもしれない。


---


「ちょっと疑問なんだけど」

「なーに?」


 夢羽は一息つくために、淹れた紅茶に手を伸ばす。


「なんで一人称視点? まるで経験してきたかのような……」

「あー、それね。話を聞いてたらわかるわ」

「あと少しの辛抱ってことね。わかった」


 私は再び空になったティーカップを持ち、立ち上がった。

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