第18話
バルバロッス修道院は都市からやや離れた、鬱蒼とした森の間際にあった。
もうそろそろ着きますか、とジルベールさんに尋ねたらもうすでに敷地には入っているという。広大な土地を持つ修道院だ。
私たちは、二階建ての立派な建物の前で馬車を下りた。そこが客人を迎えるためのゲストハウスらしい。
馬車の気配を聞きつけたのか、中から黒衣の中年男性が出て来た。ジルベールさんへ気さくに手を挙げる。若いころはやんちゃしてそうな雰囲気が漂っている。
「やあ、ジルベール。どうかね、シャバの空気はうまかろう?」
「いえいえ、先生。僕は別に幽閉されていたわけではありませんからね?」
互いに砕けたように「はっはっは」と笑い合っている。
単に、迎えの修道士が来ただけに思っていたが、かなり親しい間柄のようだ。
「先生、ご紹介しますよ。こちらがお知らせしたマルグリットさんです」
「おう、手紙にあったお嬢さんか。本が好きだとかいう」
「そうですよ」
――正直に話してしまっても大丈夫なのかしら。
やや不安になりながらも自分も名乗る。
「マルグリットです。よろしくお願いいたします」
ふむ、と修道士は小さく頷いた。探るような目つきをしていた。一歩引いてしまいそうになる。
「あの……」
「安心してほしい。この人は君の叔父上と同じで理解ある方だ。なにせ彼は」
「ジルベール」
男はジルベールさんの言葉を遮った。私の真正面に立ち、こちらを見据える。
「あなたは魔女を知っているかね」
「魔女、というのは……?」
「数年前、男のなりで学問にはげんで地位を得たが、最後は正体がばれて火あぶりになった女だ」
「先生……!」
咎めるような、ジルベールさんの声。
慎重に答えなければいけないと思った。ここで相手がそのことを口にしたことは、重要な意図がある。
「知っています。当時、火あぶりが行われた場のすぐ近くにいましたので」
そこに行った理由はわからない。ただ傍らに叔父がいて、私の手を引きながらぼろぼろと泣いていたことを覚えている。
路上に積み上げられた本に、市民たちが喜々として火をつけ、踊っていた。
まだ燃えていなかった本が、一冊、私の足元に転がり出たのだ。
反射的に拾い上げて、胸に隠すようにして持ち帰った本。……私が手に取った初めての『禁書』は、あの時処刑された『魔女』の著書でもあった。
「ほう。あの場に……。君はこの修道院の本を見たいそうだが、男となるためにここへ来たのかね?」
「いえ、私は男になりたいわけではありません」
世間を欺き、魔女として断罪される危険を冒してまでやり遂げたい志が私にはない。
私は『彼女』のような道は選択できないと思う。
「ただ、疑問に思っていることはあります。どうして女性というだけで開かれない世界があるのか。……だれも、どんな本を読んでも納得できる答えを教えてくれませんでした。修道士さまならばご存知でしょうか?」
瞬間、問われた修道士は身体を強張らせたが、緊張の息を吐きだし、肩を竦めた。
「いや、わからんな……。俺にはわからんのだ」
彼はジルベールさんを横目で見てから、私へ視線を戻した。目に穏やかな光があった。
「オディロという。よろしく」
「はい。お願いいたします」
差し出された握手の手を握り返した。修道士オディロの手には、ところどころで盛り上がったタコがあった。――ペンだこ?
「さ、先生。気が済むまで品定めをされましたよね?」
状況を見守っていたジルベールさんが口を挟む。
「ふん」
「僕の審美眼もけっこうなものでしょう?」
「ふん……。ジルベール、外に出てもぜんぜん成長していないようだな」
「いえいえ、これでも筋肉がつきまして。二の腕でも触ってみます?」
「ふん! 気色悪いからいらんわ」
場の雰囲気が途端に和んだ。
――お二人は、私が思った以上に仲がよいのかしら。ジルベールさんは『先生』と呼んでいたもの。
「ああ、ごめんね、マルグリットさん」
ジルベールさんがすぐに説明をしてくれた。
「このオディロ修道士は、僕が修道院にいた時に修道士として必要な学問や規範などを教えてくれた先生に当たる人なんだ。マルグリットさんにここまで来てもらったのも、先生に会わせたかったからなんだ」
ジルベールさんは懐から小型の本を出した。表紙が簡素だから冊子と言ってもよいかもしれないが、その本には強烈な見覚えがあった。
「あっ、あっ……! それは『修道院には秘密がありて』の第一巻ではありませんか! 昔全巻同時に発行されるやいなや大流行したけど、男性同士の熱すぎる友情の描き方が卑猥すぎると教会が発禁処分を受け、あえなく禁書入りを果たしてしまった傑作小説が……!」
「……この子、さっきと別人かね? 大丈夫か?」
「先生も本がお好きなら共感するところがあるでしょう?」
「ふん」
発禁処分には著者が修道士だったことも影響しているという。
私は、目の前のオディロ修道士が気まずそうに頬をかいているのを見て、まさか、という思いで眺めた。
「も、もしや、オディロさんがこの小説の、著者、なの、です、か……?」
ジルベールさんが頷いた。
「え、え、本当なのですか」
「まあ、事実ではあるがな……人様には内緒で頼む。それに、若気の至りもあってだな」
「うそ、本当に? ど、どうしましょう、急に動悸が激しく……」
頬にまで熱が登ってきた。まるで夢みたいで頭がぽうっとする。うれしすぎて、目まで潤んできた。
「あ、あの! 私、著書を何度も何度も読み返していまして、そのたびに多彩な表現力と美しい心理描写に感銘を受けております! 特にモローとマシューが糸杉の下で愛情について語り合う台詞で、『君の言うことはわかるが、そもそも、ロベルトのやりようはなんだ。あのままでは……』」
しばらく経ってから、我に返った。
オディロ修道士が驚愕の面持ちで私を見ていたからだ。いつの間にか、ジルベールさんが持っていた本を開いたままで持っている。
「も、申し訳ありませんでした、修道士さま……つい」
「ふ、ふん。物覚えがよいのですな。……まさかそのまま一章分そのまま暗唱されるとは思いませんでしたが」
「も、申し訳ありません……!」
好きな小説の著者に会えたからはしゃぎすぎてしまった。本人から指摘されてしまったぐらいだ。穴があったら入りたい。
オディロ修道士は「あー、そうか」と天を仰ぎ、後頭部をがしがしと掻いた。
「これは参ったなあ」
「あ、あの……?」
「いや、あなたのことではありませんよ。謝ることも何もない。……ジルベール」
「はい、先生」
優等生のような返事をしたジルベールさんが一歩前に出た。
「面倒を背負う覚悟はできているんだろうな?」
「はい」
「最期まで責任を持てよ。もう二の舞はごめんだ」
「わかっています」
修道士はひとつ頷くと、ジルベールさんと私を中に導いた。通された面会室には、オディロ修道士が着ているものと同じ、フード付きの黒い修道服が二着用意されていた。
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