帰ってきたのは別の人
石田空
時が流れて数年後
ロゼッタは領主の元で働くメイドとして、領主の元で騎士を務めるクレメンテと出会った。
朗らかで優しい眼差しの人であり、ロゼッタはそんな彼に惹かれ、大らかで優しいロゼッタにクレメンテは惹かれ、婚約を結ぶまでにそこまで時間はかからなかったが。
「この剣を鞘から抜き取ったものこそを勇者と見なし、魔王討伐を命ずる! 魔王討伐の暁には国王から褒賞を出すぞ!」
王都からやってきた使者の声に、この小さな領地の人々がざわついた。
元々王都から離れた領地だが、魔王領との戦場からは近く、もし魔王が攻め込んできたらどうしようと、年々城壁が高くなっていたところなのだから、もしも勇者が現れれば、皆の希望となる。
しかしロゼッタは胸騒ぎがして、王都からの使者のほうに向かおうとするクレメンテを引き止めた。
「なんだか嫌な予感がするわ。やめて」
「大丈夫だよ、ロゼッタ」
クレメンテは朗らかに笑う。
「仮に剣が抜けたとしても、すぐに帰ってくるから。魔王領が近いのはたしかだし、年々ここにもごろつきや冒険者たちが押し寄せてきている。もしも勇者が現れたと知られれば、この領地もちょっとは落ち着くんじゃないかな」
「そんな……いざとなったらここなんて捨てて逃げればいいじゃない」
「ロゼッタ。そんなこと言わないで」
そう言ってクレメンテは使者の元に出向いていった。
誰が引っ張ってもびくともせず、中にはこの領地一番の大男が仲間と一緒に綱引きのように引っ張ってもなお抜けなかったというのに、クレメンテはまるで流し台からひょいと包丁を抜き出す要領で、あっさりと抜き出してしまったのだ。
こうして、クレメンテは使者たちに連れられて王都へと向かっていった。
ロゼッタは心配してクレメンテを見る。
「……危ない真似はしないでね」
「ロゼッタ。そんなこと言わないで」
彼はどこまでもどこまでも澄んだ瞳をしていた。
「君の住む世界を守ってくるから」
これが、ロゼッタがクレメンテと言葉を交わした最後の瞬間であった。
****
待てど暮らせど、勇者一行が魔王を討伐したという報告はやってこなかった。
それどころか、だんだん魔王領が拡張していったため、とうとうロゼッタたちは領地を捨てて逃げ出さないといけなくなった。
ほとんど着の身着のままキャラバンに助けられて馬車で王都のほうへと逃げ出す様はあまりにもみじめで、何度膝を抱えて泣いたかがわからない。
王都にやってきたらやってきたで、彼女たちは魔王領に近い領地出身なため、王都の人々からは煙たがられてなかなかまともな職にありつけなかった。
それでもロゼッタは、なんとか冒険者ギルドの掃除婦の仕事を手にし、そこで一生懸命掃除をしていた。ここからだったら、勇者一行がどこまで到着したかがいち早くわかるため、その話を待ちながら、ロゼッタは一生懸命掃除の仕事をしていたのだ。
領主の屋敷から冒険者ギルドに所属が変わっただけで、やることが全く変わらなかったロゼッタは、心折れることなく掃除をして生計を立てていたが。
「魔王討伐、成功したと!」
王城からの使者の言葉で、冒険者ギルドは歓声が上がった。だが、次の瞬間打ちひしがれる。
「勇者クレメンテ戦死! 同行魔導師、同行剣士はなんとか一命は取り留めたが、呪いが進行中。現在神殿にて治療中とのこと!」
こうして、国葬として王都では勇者クレメンテをたたえる式典が執り行われ、どこの軒先にも喪中を示す白い百合が飾られた。
それにロゼッタは沈み込んだが、元気だったのは元々ロゼッタの住んでいた故郷の人々である。
「クレメンテのおかげで領地が取り戻せた以上、我々は故郷に帰れるぞ!」
ロゼッタは無理矢理掃除婦を辞めさせられ、領主に連れられて故郷に帰ることとなったのである。領主からしてみたら、ロゼッタが後追いしないか心配だからそのまま連れ帰ってきたのだが、意気消沈しているとはいえど後追いする気力すら失われていたロゼッタからしてみれば、余計なお世話であった。
「ロゼッタ、クレメンテのことは残念だったな」
「いえ……彼はこの世界のために無事に戦い果てました。充分だったんじゃないかと」
「……君は気丈だな。痛々しい程に。提案がある。君に見合いの話が来ているんだ」
「……私はつい先日、婚約者を失ったばかりの喪中の身ですよ?」
なにを言い出すんだとロゼッタは目を剥いたが、領主の余計なお世話は続く。
「だからこそだよ。君が後追いしないよう、うちの騎士団から若い騎士を着けよう。彼と一緒に家庭をつくりなさい」
なんでそんなことを言い出すんだ。横暴にも程がある。
日頃の気丈なロゼッタであったのなら、かつての主人にもかかわらず噛み付いて撤回させていただろうが。今の彼女は自分が思っているよりもずっと弱っていたらしく、あっさりと彼の言葉を受け入れてしまった。
「わかりました」
こうしてロゼッタは、顔見知りの騎士と結婚し、家庭を持ったのであった。
ふたりの相思相愛ぶりを知っていた騎士は、それはそれはロゼッタに気を遣って、一年ほどは白い結婚のままではあったが。喪が明け、一年も過ごしていれば情も湧く。
ふたりは子供を三人つくり、慎ましくも温かい家庭をつくって生活を送るようになったのだが。その生活は唐突に終わりを迎えたのだった。
****
その日は晴れてはいても寒い日で、ロゼッタは薪を取りに倉庫に向かっていた。
夫は今は領主のところで仕事をしていて、子供たちは学校にいて今は留守。一番下の子だけを背中に抱え、一生懸命薪を乗せたカートを押していたところで。庭先に影が伸びているのに気付いた。
「ここは宿ではありませんよ」
ロゼッタはそう言った。雪がちらちらとしていて視界は不明瞭だ。宿を探しあぐねたんだろうかと考えていた矢先で。
「すっかりと大人びたね、ロゼッタ」
その声を聞いた瞬間、ロゼッタはえも知れぬゾクリとした悪寒を感じた。
目の前に立っている人。
優しげな眼差しに穏やかな表情。この領地の騎士団の制服も様になっている人が、七年も経っているのにあのときと同じ姿形をして現れたのだ。
(このひとは誰だ)
心底愛した男であった。今の夫が嫌いな訳ではないが、彼の死んだ日にはひっそりと元魔王領に向かって祈りを捧げ、白百合を飾る程度には忘れられない人だった。
だからこそロゼッタは思う。
このひとは誰だ。私の愛したひとではない。
姿形も言動も同じだが、彼女の魂が、肌触りが、彼は違うと訴えていた。
彼と同じ眼差しの人は、不思議そうにロゼッタを眺めた。
「ロゼッタ?」
「……誰ですか」
「忘れてしまったかな。七年も経っていればそうかもしれないね……その子。結婚したんだね?」
「誰ですか。私の愛した婚約者は死にました。そもそも七年も経過しているんです。同じ姿形をしている訳ないでしょう!?」
背中の子だけは守らなければ。夫は職場、他の子たちは学校。
ロゼッタは吐き気のするほどの緊張感の中、薪をたくさん乗せたカートの柄を握りしめた。
その中、かつて愛した人と全く同じ顔をした誰かの顔が、歪む。
「……ほう、食らった魂の通りに演じてやったが、それでもなお否と申すか」
「……っ、あなたは本当に誰ですか!?」
「勇者に忌々しくも封印された魔王よ。この体を奪って作り替え、魂を食らうまでに七年も経ってしまったがな」
「……っ!? どうして……!!」
「魔族避けの結界が完成したからな、正攻法ではどの領地にも入れぬ。神殿は我らの呪いを研究しつくしたからのう。忌々しい。だが、人間の器に関しては研究が進まなかったようだな。魔族が結界を通れぬなら、人の体を奪えば済む」
「……なんてことを……!!」
「魂を奪われてもなお、体は君を探してひと目会いたかったんだ。愛している、ロゼッタ」
「……やめてください! 今の私は、結婚しているんです! もう彼の愛した私はいない!」
「ハハハハハハハハ」
彼は哄笑を上げたと思ったら一転、いきなり倒れた。それに驚いてロゼッタは動いてしまった。
「クレメンテ? クレメンテ、クレメンテ……!」
彼の体は冷たく、急激に冷えていく。先程まで魔王の器としてたしかに赤味を帯びた肌をしていたのに。
それに絶望している中。耳元で先程と同じく、おそろしく湿度を帯びた哄笑が響いた。
「……勇者の体を奪うのに時間がかかっただけで、他の体を奪うことなど、造作もないことだろう?」
「!!!!」
それにたちまちロゼッタは硬直した。
背中におぶった我が子から、魔王の哄笑が響いたのだ。
「貴様には魔王を育てる権限を与えよう。魔王に忠誠を誓えるのだ。誇りに思え。このことを神殿に言うでないぞ?」
「あ、なたは…………!!」
「嫌ならこの器を壊そう。次はそなたの子、そなたの夫、そなたの夫は領主の護衛騎士だな? 領主まで行くまで最短ルートだ。この地を奪うまで、せいぜい働いてもらうぞ?」
くつくつと笑う。赤ん坊とは思えぬほど流暢な声で、ロゼッタの心臓を冷やしていく。
「勇者に愛されたことを、せいぜい誇りに思うがいい」
たったひとつ。勇者が愛した人の記憶こそが。
この地を地獄に塗り替えるきっかけとなってしまったのである。
<了>
帰ってきたのは別の人 石田空 @soraisida
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