誘い師エルフの道連れ旅
光星風条
第1話
大きな戦いの後、そこには大きな傷跡が残る。
緑の大地は幾千の死体で埋め尽くされ、たちこめる死臭は濃い霧となり、血は土に染みて沼を作る。
この地獄を一人の青年が漂っていた。青年も大地と同じく大きな傷を抱えて彷徨っている。
青年の名はウォドセフ。身長は一四〇と小さく、大きく丸い黒の瞳と小さな丸鼻、目の下のそばかすが、青年を幼く見せている。しかし、年は十七。髭も本格的に生え始め、不慣れな剃刀から逃れた毛が顎のあたりにポツポツしている。
魚の骨、皮、鱗でつくられた青灰色の兜と鎧を装備し、その上から薄汚れた黒の斑模様のマントを羽織っている。その背にはウォドセフにとっては大きいショートソードと丸盾が紐で括り付けられている。
今、ウォドセフの意識は混濁していた。自分が今何をしているかも、どこに向かっているかも分からなかった。
しかし、突然、とある呼び声がウォドセフの自己としての意識を取り戻させた。その声は脳裏に閃光のように瞬き、次の瞬間には戦の跡地に立っていることと、竜人たちと殺し合いをしていたこと、そして、戦争に行く前の全てのことを思い出していた。
「あれ、何してたんだろう……」
ウォドセフはぼうっと自らの手を見つめる。
記憶も自分自身も全てを思い出し、ここにいる理由も分かっているのに、何かが欠けているような気がした。それが記憶の一部なのか、自分自身の一部なのか、はたまた全く別の何かなのかは分からない。ただ、何かがおかしかった。
そうして手を眺めて首をかしげていると、再び呼ぶ声が聞こえてきた。今度ははっきりと、霧の向こうから聞こえてくる。
ウォドセフはその方向に顔を向ける。
霧の奥に人影が見え──、その時、霧をかき分け一本の矢が飛んできた。それは、金色に光り輝き、ウォドセフ目掛けて一直線に飛んできていた。
ウォドセフが身構える前に、すでに矢は目と鼻の先にあった。しかし、矢はウォドセフの頭の横を通り抜けると、今度は背後から断末魔のような激しく甲高いうなり声が聞こえた。
ウォドセフは思わず振り返る。
すると、そこには二メートルはある大男が立ち、その手には黒の大剣が握られていた。よく見ると男は人ではなかった。顔はプレス機で潰されたように平らで、上下に引き延ばされ、目鼻口が塗られたように真っ黒だった。全身を覆い隠せるほどの黒いマントを身につけ、首には十本の短い指が首輪のようにつけられている。そして、怪物の指には第二関節から上が無かった。
ウォドセフはその男の大きさに怯み、膝が笑って尻もちをつく。恐怖に竦んで、口をあんぐり開けたまま男を見上げる。
次の瞬間、怪物の体全体が黄色く光ると、風船のように膨らんで爆ぜた。後には何も残らず、大剣も弾け飛んで太い剣先が地面に突き刺ささっている。
ウォドセフは驚きのあまり言葉にならず、怪物がいたはずの虚空を見上げる。
「大丈夫だったか?」
座り込むウォドセフの前に、一人の女がしゃがみこんできた。
女はグレーのサーコートを着込み、細かな装飾のなされた銀の弓矢を背負っている。目は綺麗なエメラルド色で、鼻筋は流れるように伸びて先が尖り、長髪も絹のように滑らかなブロンドで、肌は新雪のように白かった。そして、髪の隙間から飛び出た耳は斜め上に鋭く尖っていた。
エルフだと、ウォドセフはすぐに気がついた。
初めて見た……。噂の通り、なんて綺麗なんだ。
ウォドセフは彼女の微笑みに見惚れ、また何もかも忘れてしまったようだった。
「おい」
エルフの女は反応のないウォドセフを小突いた。ウォドセフはそれでようやく我に返る。
「あ、ありがとうございました。助かりました」
ウォドセフが頭を下げると、女はにっと笑い、ウォドセフの頭を兜の上から撫でた。ウォドセフはなんだか嬉しかった。
女はウォドセフに手を貸して立たせる。
「あれは、なんだったんですか?」
ウォドセフは尋ねた。
「悪霊さ」
「あくりょう?」
「そう、戦争の後はこういうのがわんさか出てくる。まだ死ねないって未練が、執着になって悪霊になる。さっきの奴は故郷に奥さんを残してきたんだろうね」
「そんなことまで分かるんですか?」
「さっきの男、首に自分の指をつけてただろ」
「そういえば……」
ウォドセフはその姿を思い出して、またゾッとする。
「ある村では、結婚すると両指の第一関節に赤い入れ墨をするという風習がある。それは結婚の証でもあり、一生を添い遂げるという契約でもある。だから、さっきのおとこは死んだ後も、それを守り続けたかったんだろうね」
「なるほど……」
ウォドセフはそれを聞くと、あの悪霊に同情せずにはいられなかった。もしかしたら、自分もそうなっていたかもしれないのだから。
「あいつはどうなったんですか?」
ウォドセフはふと気になって尋ねた。
「魂ごと消えてしまったよ。完全にね。ああなったらもう、そうするしかない」
「そうですか……」
それを聞くと、魂や輪廻の考えに実感を持っていなくとも、少し寂しい気がした。
「ところで、君の名は?」
女はウォドセフに微笑みながら尋ねてきた。その笑みは、いかにも快活そうで、生来の性格の明るさをよく表しているようだった。ウォドセフには貴族生まれのお転婆娘のように見えた。
「俺は……、ウォドセフです」
ウォドセフは少し口ごもり、小さな声で名乗った。
「ウォドセフ?」
女は聞き返し、ウォドセフは恥ずかしい思いで小さくうなずいた。
すると、女は笑った。その笑い方は、エルフとは思えないほど豪快で、ドワーフのように腹から声が出ていた。
ウォドセフは呆気にとられ、同時に幻滅し、怒りも沸いた。
「ちょっと、笑いすぎですよ。失礼でしょ!」
そういうと女は笑うのをやめ、ごめんごめんと平謝りをする。
「それにしても、親御さんはよくハーフドワーフ? の君に、〈
「死んだドワーフの父がつけたんですよ。大きな男になるようにって。馬鹿にされることくらい容易に想像つくのに……」
ウォドセフは唇を噛み、村でのいじめを思い出す。
女はその様子を食い入るように見つめていた。
「まあ、どうでもいいことです。それで、あなたは?」
女はパッと表情を明るくする。
「私はエレーネ。
「いざない?」
ウォドセフは聞き覚えのない職業に首を傾げる。
「まあ、案内人みたいなもんだと思ってくれればいい。あんたみたいな、困ったちゃんのね」
エレーネはそう言うと、自慢げに笑った。
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